よどみに浮かぶうたかたは 001
<ゾーイ>
信じられないけれど洞窟の先は幹線道路につながっていた。
雨上がりの草むらを掻き分けて行くと、さして苦労もなく種々のホバーヴィークルが不規則に通り過ぎていくエンジン音が聞こえるようになる。
レ・オロの少女――で良かったはずだが性別の識別には自信がない――案内役のロカとは洞窟の出口で別れた。
ロカは、ホバーヴィークルの音を酷く嫌っている。
秘密の出口が閉じると、僕の手元に残るのはただ静かな夜。
電波が届くようになったけれど
現在位置情報が漏れてしまっては大変だから。
キティーが毒づきながら僕の後ろを歩いている。
ムーンジャガーさんは彼の肩に担がれたまま、電源の切れたアンドロイドのように無言だ。
その時、僕は何を思っていたか。
正確に申し上げよう。
記録をしておこう。
僕は、何も思っていなかった。
何も僕の心をさざめかせることはできなかった。
虚しさで満ちた心には、天然自然の風が吹き、草の匂いを嗅ぎ、文明の灯りを見て、血と暴力からシャットアウトされ、アトラクションめいた展開から解放され、愛すべき美しい青年の「くっそ馬鹿馬鹿しい!」という声を聞いても波紋のひとつも生じない。
夢のように、幻のように。
映画館から出て来た時の気持ち、と説明をすればいいだろうか。
非現実に五感を没入させた後に否応なく現実と直面させられる、あのやるせない瞬間。
色彩と音響の魔法は去ってしまったと知る切なさ。
それを逆にしたものが今の僕だ。
洞窟に眠っていた大百足の神と、ヒトを超越しかかっている旅行会社のマネージャー(彼は、リチャードさんは何者なのだろう?)が命の奪い合いをしているという現実。
忘れ去るための精神安定剤のように平穏な夜に包まれた今の僕は非現実にいる。
僕はいったい何をしているんだろう。
僕にとってどちらが現実なのだろう。
心が緩慢に死のうとしているのを感じた。
精神的自殺。
本来の僕は平穏を愛していたはずだ。
僕に規定された血統と言うパラメータが決してそれを許容しないと知っていても、追い求めていたのは暴力なき世界だったはず。
今ここにあるのはその逆ではないだろうか。
このすべての事態の引き金を引いたのは僕。
取り返しのつかない物事をドミノ倒しにし、最初のドミノを突き飛ばして今なお何ひとつ心が定まらずおろおろしているのも僕。
(民の拓いた血の道……)
結局ヒューゴが正しいのかもしれないと思う。
洞窟を出たとき、僕は、我に返ってしまったのだ。
この二日間で何人の知り合いを失っただろう。
何人の協力者が世界から抹殺され、何人が僕のために死んだのだろう。
足裏に枯れ枝がぱきりと折れる感触がした。
雨がどれだけ降ろうとも地上に届かないこともある。
僕が何を願おうと手の届かない棚の方が多いのだ。
さりとて僕の心の中には怒りも悲しみもない。
それは全て、すでに奪われてしまったものだから。
ではどう反応するのが正しいのだろうか。
今まで僕は演技をしてきただけなのだと突き付けられた気がする。
怒るふり、悲しむふり、慈しむふり、熱弁を振るうふりを。
僕は鏡だ。
その中に他人は観たいものを見る。
鏡にありのままのゾーイ・ユーラノートは決して写らないのだ。
ああ、しかしありのままの僕なんて何処にあるのだろう。
自分にもそれがわからないのに?
僕の横にはもうふたりしかいない。
死んでいった者たちよ。
どうか僕を恨んでくれ。
呪ってくれ。
そうすればきっと、僕も実感できるのだろう。
この惨めったらしい男の夢の成れの果てで充満された心はようやく余白しかない大河小説であることから解放してもらえる。
ああ、そうだナレノハテなんだ僕こそが。
皇なんかじゃない。
そんな器では、到底無いと、知っているのに。
僕は願ってしまい、誰も彼もが――。
「目細!」
僕が振り向くと、キティーが今にも噛みつきそうな顔で立っている。
「何?」
「何処まで行くんだよ」
「ああ」
「まさか何にも考えてなかったんじゃないよな?」
「……その、まさかまさかなんだ」
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