ハミングバード 004
オレは生まれて初めてレールカーに乗ることになった。
ダウンタウン駅は鉱性雨を避けるために地下につくられている。
雨に打たれる出入り口には黄色くにごった水晶が生えていて、それを掃除夫がばきりと折ってゴミ袋に捨てていた。
目細野郎は掃除夫のことなんて見やしない。
駅の手前のウララカバーガーには、一か月たったのに相変わらずオレの顔がでかでかと映っていた。
ikemenっていうのが、顔がいいって意味だとオレはゾーイから教わった。
ゾーイが説明したところによると、これはもともと共通語にはなかったものだという。
日本語話者が多いレイニーの方言なんだそうな。
オレがわかるかぎり、目細野郎のライターの仕事というのは、どうやらその日本語話者とかいう変ちくりんな集団に向けたもののようだった。
共通語で宇宙のすみずみまで話が通じるらしいってのに、連中は、チキュウで話されてたからって理由だけで無駄な言葉を残そうとしてる。
楽しいかそれ?
無駄なドリョクってやつじゃねえ?
とオレはいつも感じる。
ただ目細野郎が、ウララカバーガーのurarakaも日本語だから日本語が無ければウララカバガーも成立しないわけだ、つまりキティーがダブルチーズスペシャルを食べることもできないわけだね、とか脅したのでしかたなく、オレの意見は言わないことにした。
黙ることはスラムで生きていくには大事な仕事だ。
話をもとにもどす。
オレは生まれて初めて切符を買った。
銀色のカネが、青いちゃちなコインに変わって出てくるのは、どうにもいけすかなかった。
騙されてるんじゃないかって気になる。
オレが手のひらにのせたコイン切符をじっと見ていると、ゾーイが急かした。
電車にもいろいろあるんだとさ。
キャピタルホール駅への急行は一時間に一本だけ。
オレが改札を通るのにまごついている横を、あいつは例の、オレが読み取ろうとして失敗した市民証をかざしてするりと通っていた。
一級市民。
そうだった、とオレはとつぜん思い出す。
目細野郎がどんなやつなのか、知らないことが多すぎた。
電光掲示板を眺めながらすたすた歩くゾーイの背中を追いかける。
受け入れがたいことに、オレとやつの間には身長差がある。
オレの頭はだいたいゾーイの肩のあたり。
足の長さも、その差にヒレイしてる。
置いて行かれないように人込みをぬう。
スラム暮らしの時にはあじわったことのない人の数。
すれ違いざまにカモの財布を抜いてやろうと狙ったけど、ゾーイの視線に気づいてやめた。
目細野郎は目細野郎のくせに、妙にするどいとこがある。
それにオレの財布、はじめて持った財布にはちゃんとしたカネが入ってた。
ウララカバーガーのコンテスト賞金。
ゾーイはオレの分だと言って、その賞金をまるっとオレにくれた。
今日はそのカネで外の世界を見せてやろうってわけ。
ホームに滑り込んできたレールカーは長細くて、いつか死に顔を見たガキの手の細さを思い出させた。
レールカーを包んでいた半透明の膜と、プラットフォーム柵の両方が自動的に開いて、乗客を吐き出す。
ぞろぞろと出てくるやつらの顔を見ていたらオレは胸がむかついてきた。
目細野郎はまた例の勘の良さなのかなんなのか、オレの頭をぽんぽんと撫でる。
ハミングバード86が腰にないのが悔やまれた。
今こそ撃ち時だったのにな。
×
キャピタルホール駅でオレは度肝を抜かれた。
そこは晴れてたんだ。
晴れてたんだよ。
目が受け付けなくて、オレは即座に胃の中身を吐いた。
やれやれ、とオレの背中をさすりながら目細のゾーイは溜息をつく。
「笑ってんじゃねえボケ …えうっ」
ゾーイは笑う。
にひひ、とか言う。
腹の立つ笑い方だろ。
目細野郎の無駄に真っ白できれいにそろった歯が鏡にうつるごと、オレは鏡を叩き壊すかスプレーペイントすべきだと思った。
トイレから脱出したのは、駅に着いて一時間後だった。
何人かに心配そうな声をかけられる度、ゾーイは
「大丈夫です、ただの急性フツカヨイですから。しばらくしたら慣れます。彼、ダウンタウンの出なんで」
そんな感じにせつめいする。
「フツカヨイ」
オレは死にそうになりながら言う。
「そう、レイニーの方言で、鉱性雨地方から来た人が晴れた空を見て今のキティーみたいになることを言うの。本当は酒に酔った後の症状なんだけど、よく似てるからね」
顔を洗うために蛇口をひねろうとしたがそこにはなく、気づいたゾーイがセンサーの赤い丸の上に手をかざすんだって教えてくれた。
オレがその通りにやると、水が洗面器の中にぶちまけた胃の中身をきれいに洗い流してから、よくわからん音楽と共に熱い蒸しタオルが出てきてオレの顔をすみからすみまで拭きまくる。
「お、今日はタイムレスメロディのマツリだねぇ。いいねえ。」
聞いてもいないのに目細野郎が喋っている。
「いやあいい曲だ。踊りだしたくなるでしょ、ワッショイって」
「ならねえよ」
どうやらタイムレスメロディという日本語バンドがいて、チキュウ時代の曲を発掘してはリメイクしているんだってさ。
ほんとに、目細野郎が喋るのはどうでもいいことばかり。
ようやく落ち着いてきて周囲を見渡す余裕ができると、オレはもうもういちど度肝を抜かれることになった。
ダウンタウンでは見たことが無いような高い建物が、そこかしこから生えている。
人間がつくったなんてぇのは信じられないから、絶対に地面から生えてきたんだろ。
窓ばっかりの建物とか、ぴかぴか光ってるのとか、風が吹いたら壊れそうな薄いやつとか。
オレのことばでは説明が難しい。
スラムでは必要じゃなかった言葉をたくさん使わなきゃなんない。
今のオレの言葉のゲンカイで表すならば、くそったれなほど高い、ってことだ。
ゾーイはまた、いつものように何も説明せずにオレの前を歩きはじめる。
時折、立ち止まってはジューススタンドでブルーオレンジのスムージーとか、路上の売店でレイニー名物のシューマイショーロンポーとかいうのを買って、飲み食いしながら歩く。
オレらの横を一人乗りのなにかが風を切って走ってる。
変な服を着たおとことおんなが腕を組んで歩いてく。
そいつらの肩には余分に二本腕が生えてて、それを組んでたんだ。
本物と間違えそうなホログラム広告が目の前に現れては消えていく。
どれもこれもダウンタウンでは見たことが無い。
オレは情報の量に殴り殺されそうだった。
「ゾーイ」
たまらず、悔しいがそいつの名前を呼ぶ。
二杯目のスムージーのストローをくわえたまま、目細野郎が振り向く。
「どうしたの。おなか痛い?」
「違えよ。どこに行くんだ。いいかげん説明しろ」
ゾーイはにこっと笑って、スムージーのストローで道の先に一番高くそびえている建物を指した。
全体に四角くて、細長くて、先っぽだけ三角形に尖っている。
目細野郎はえんぴつの形だと言ったが、あいにくオレはえんぴつなんてものは知らない。
はっとした顔になったゾーイは、近くの売店に駆け込むと、そのえんぴつというシロモノを買ってきた。
確かにビルとよく似ていた。
「で?」
「これはねぇ、いにしえのペンです。今日はキティーの分の筆記用具を忘れたからちょうどよかった。思う存外メモしなさい」
オレはしげしげと目細野郎を眺めた。
意味が分からねえと思ったから。
「あのえんぴつビルの中には何があるでしょーか!正解は、動物園です!!」
フカクにもオレは、歓声を上げてしまった。
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