ハミングバード 002
オレは、ダブルチーズスペシャルの味が忘れられなかった。
ウララカバーガーのパテは本物の肉だとスラムでは噂されている。
実際、今までオレが食ったことのあるどんなメシよりも美味かった。
だから噂は本当なんだろうとオレは思う。
ウララカバーガーはレイニーの住宅街の入り口にある。
多分オレが一生使わないレールカー・ステーションの終点駅の続き。
裏口に回ると毎日どさっとゴミが捨てられてる。
鉱性雨で溶けださないように銀色の袋に入れて。
バーガーを投げ渡されてから三日後、オレはゴミ袋を失敬した。
今まではリスクが高すぎて手を出すことはなかったが、夢の中で何度も溶けたチーズの匂いと、本物の肉の歯ごたえを思い出すようになると、どうにも我慢が出来なくなった。
ねぐらに持ち帰って、丁寧に雨を拭いて、ナイフで袋を切り分けると、ゲンケイをとどめたバーガーが五つもが出てきた。
信じられねえな、とオレは唸る。
憎しみが心の奥の方で、オレと同じように唸った。
とうに諦めていたはずなのにな。
もうどうしたって、スラムからは這い上がれそうにないって。
十五年もレイニーの腐った底辺で生きてる。
オレはバーガーの匂いを嗅いだ。
それから夢中でむさぼり食う。
肉とチーズと、知らない野菜の味。
ふたつ目に取り掛かったとき、横から小さい手がしゅっと伸びてきた。
横に住んでる、横ったって壁も何にもねえけど、とにかくオレのねぐらの横をねぐらにしているガキが盗ろうとしたんだ。
オレはそのガキの手を引っぱたいた。
ガキは恨みがましい目でオレを見たが、何も言わずに手を引っ込める。
賢明なことだ。
スラムじゃあ、強いものに逆らっちゃいけないのさ。
それでオレはガキの頭の良さにかけて、ひとつ提案をすることにした。
お前にバーガーをひとつやる。
その代わり、オレが帰るまで残りのバーガーを見張ってること。
出来るな?
というと、栄養失調で目ばっかり飛び出したガキは、大きくうなずいた。
オレはガキに忠告した。
食うなら一口だけにしとけ、と。
ガキは頷かなかった。
ねぐらを後にすると、オレはいつもの見回りコースを歩く。
余裕があるから気が楽だ。
残りのバーガーで食いつなげば一週間はいけるだろう。
途中で隣のセクションのごろつきにからまれたが、腹ごなしに殴り倒してやる。
見かけは怖いが、あいつらもロクなもんを食ってない。
ゴミ捨て場で残飯をコンスタントに拾えるのは良い方で、政府の炊き出しのしゃびしゃびの汁だけで生きてるやつもいる。
腹に力の入ったオレの敵じゃない。
怖いもん無しの気分になって、オレはレイニーのダウンタウンを一周した。
雨避けの屋根が張り出す商店街で、吊り下げられていた新品のシャツをくすねる。
店主が叫びながらが追ってきたが、鉱性雨の中に飛び出してまでシャツ一枚を取り返そうとするやつなんてそうそういないから、すぐに相手は諦める。
その調子でズボンも盗った。
これで、数年はまともな服が着れそうだとオレは小躍りする。
意気揚々とねぐらに帰ってくると、隣のガキはひっくり返って泡を吹いて倒れていた。
脈を取ろうと手を握ると、もう冷たい。
半分くらい食べたバーガーが転がっている。
だからダメだって言っただろ。
オレはねぐらから隠してあったバーガーを取り出そうとしたが、案の定どこにもなかった。
食べなれないものを大量に胃にいれればキョゼツ反応を起こす。
そんなことはガキでも知っているだろうに。
ふたつ半も本物の肉を食ったんだから、そりゃあ死ぬわな。
気配を感じて銃を抜くと、忌まわしい二本足の生き物が何匹か、ぺちゃくちゃと音を立てながらゴミの山から顔を出して、伺いを立てるようにこちらを見ている。
オレたちがナレノハテって呼んでるやつら。
死体を食ってスラムを綺麗にしている。
まともな生き物じゃない。
ここで四十五年生きてる長老の言うことには、やつらは昔々レイニーの鉱山で働いていたドレイの生き残りなんだとか。
ハミングバード86をぶっ放して一匹の額に大きな穴を開けた。
連中の頭がさっと隠れて、オレは嫌な気分になりながら、すぐさまねぐらを引き払う。
ああいうのが居ついたところにゃぁ住めないからな。
マンホールの下に隠してあった毛布と予備のナイフとナップサックに詰めて歩き出す。
数歩進んだところで振り返ると、ガキの死体を担ぎ上げて運んでいくナレノハテどもの姿がららりと目に映った。
弔いなんて、スラムで求めるもんじゃねえ。
×
ダウンタウンの外れのごみ処理場の端にオレは新しいねぐらを定めた。
警官はいるがナレノハテは来ない。
どちらがまともかは分かるだろう。
ほとんど同じだ。
オレのなわばりが変わるとともに、浮浪者の力関係も変わった。
ダウンタウンの人気の無い通りを縫うように行くと、誰かしらが喧嘩を売ってくる。
オレは買って勝ち、買って勝った。
それで大手を振って夜の街をカッポできるようになったころ、久しぶりに金づるに会った。
金づるのことは大尉と呼んでる。
呼んでるというか、呼べと言われたからそうしている。
本当の名前はエフィモヴナだったかイサーコヴイッチだったかマクシュータだったか、まあ、忘れた。
大尉はいつものように戦闘用外骨格を歩かせてレイニーに来て、オレを見つけると外骨格の手で有無を言わさずすくい上げる。
今になってオレは、その外骨格をどう表現したらいいか分かった。
四本の脚と二本の手の生えたハンバーガーだ。
ゆらゆらと不格好に歩いているように見えるが、鉱牲雨で常に溶けかかっている石畳を掴むにはいちばん適した動きらしい。
ハンバーガーの胴体に連れ込まれたオレは、肉のかたまりみたいな大尉のボディタッチを雨あられと受けながらレイニーのダウンタウンをダンスした。
運転者の動きに合わせて外骨格がぐにゃぐにゃ足を振る。
通行人にはいい迷惑だろうな。
いい気味だ。
オレは大尉の顔も嫌いだし、口臭も嫌いだし、そっちの具合も大嫌いだが、チップだけは大好きだ。
今日の稼ぎでどれくらいウララカバーガーのダブルチーズスペシャルが買えるんだろう、とオレは裏に表にひっくり返されながら考える。
そこでオレは、ダブルチーズスペシャルが<いくら>で<いくつ>なのかというガイネンををついぞ持ったことが無いってことに気づいたわけだ。
なぜって、文字が読めないから。
―――暴力という共通言語ね。なるほど。
という、ふやけた言葉がオレのおつむをくすぐって行った。
こっちの気が抜けていることを感じたらしい大尉が、オレの頬を張った。
運転席のレバーを引き倒しながらオレは転がる。
制圧用機関銃が火を噴いて、こぎれいなギャラリーをハチの巣にした。
オレの目がふと外骨格の窓の外に吸い寄せられる。
街路を逃げ惑う住人たち。
外骨格の脚が商店の分厚いガラスを打ち砕く。
その間を悠々と縫って、紙袋を下げた背の高い後姿が住宅街へ向かう坂を上がっていった。
あいつ。
オレは確信した。
ウララカバーガーの紙袋、ふざけたコート。
何を見ている、と大尉はオレに聞いた。
それから答えも待たずに外骨格を発進させた。
ハンバーガーの脚がびっくりするほど速く動いて、オレが見ていたものに追い付き、何も言わずに踏み潰す。
ついこないだオレが銃を突きつけたそいつがどんな姿になったのかは、窓からは見えなかった。
ただ、外骨格の脚が柔らかいものを踏んだ感触だけが生々しく運転席に響いただけ。
それから大尉は、ウララカバーガーに電話をかけてダブルチーズスペシャルをふたつ注文する。
オレはとても嬉しかった。
ダブルチーズスペシャルが注文してからしか作らないのだと知ったのはその時で、だからゴミ袋をいくら持って帰っても出会えなかったんだと納得したってわけだ。
それで、十分くらいそこで待っていて、通信が入ったんでオレがいそいそと受けると、モニタに映ったのは緑と白のエプロンを付けたウララカバーガーの店員じゃなくてレイニー警察で、大尉がクレームを入れると届いたのはダブルチーズスペシャルじゃなくて貫通爆弾だった。
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