ユーラノート 003
「おいおい」
と、ホロ画像を前後左右に動かしながら、テトラは言う。
「ようぼんぼん。こいつあ、大した拾いものだぞ」
手元の鍋からパスタをすくう。
うん、ちょっと茹ですぎた。
「そうかな」
僕はテトラから<ぼんぼん>と呼ばれたことは無視して、我ながら気の入らない声で相槌を打った。
テトラは勘違いしている。
皇族の私生児は<ぼんぼん>のカテゴリ外だ。
「あのディミトリ、趣味に関してはしっかりしてやがる」
「ディミトリ?」
僕は鸚鵡返しに聞く。
テトラはサイバーモノクルをかけていない左目で、僕をちらりと見た。
「変態クモ乗り大尉だよ。ディミトリ=ヴォルコフ」
「知らなかったね。そんな名前だったのか」
「ぼんぼん、いい子ちゃんの真似しても世間は騙されちゃくれねえよ」
ふたりぶんのスパゲティー・ミートソースを持って、僕はテトラの前に行った。
「ちょっと茹ですぎた。ごめん」
名前通りの数字の四を意識して整えられた緑色のドレッドヘアの茂みが、僕を突き刺すように揺れる。
「こっちがアルデンテ好きだってのは知ってるだろ?」
「うん、だからごめん」
「絶対に茹ですぎやがる」
「うん」
「タイマーくらいかけろよ」
「砂時計は見てたんだけどね」
テトラはお手上げのポーズをした。
それで、と僕は切り出す。
「何だったっけ。そのスラムの子?」
「ああ」
サイバーモノクルから、ベッドに寝ている青年の顔の
何を読み取れというのだろう。
僕に見えるのは、骨と皮だけにやせ細り、それでも生にしがみつこうとした男の顔だけ。
「わからねえって顔だな」
「うん、わからねえってやつ」
「似合わねえ口調で喋るな」
ふーっ、とテトラが息を吐いた。
そうすると、排熱する古めかしいコンピュータみたいにも見える。
実際のところテトラの体の七〇%は機械に置き換わっているのだった。
本人に言わせれば純然たる機械はそのうち八パーセント、残りは生体機械だというけれど、僕にはその違いがよくわからない。
僕が知っているのは、テトラは腕のいい理容師だということだ。
「骨格が良い」
と、テトラ。
「抜群に良い。知ってるか、ぼんぼん。変態ディミトリは同性愛をしていたんじゃなくて、青年の骨格を偏愛してたんだ」
「はあ」
と、僕。
「わかるものなのかな。骨格なんて」
「その道のプロにはわかるもんなんだよ。ディミトリがテイスティングしたやつの骨格を全部並べると、一定の嗜好が見えてくる」
その言葉に合わせて骨格標本がずらずらと空中に整列した。
僕には意味不明なカラーと数字が標本をデコレーションしていく。
「テトラがどうしてそんなこと知ってるのさ」
「どうして? どうしてと来たかい、ぼんぼんちゃん。いい加減髪形を変えるこったな」
「僕はこのままでいいよ」
テトラが自慢のドレッドヘアをつまんで見せた。
じゃらじゃら鳴るチープなビーズの群れがついている。
僕は大きく首を横に振った。
「よく見ろ。肉付きも見栄えも何もかも、人間の基本は骨だ。」
とテトラ。
ベッドに横たわる青年の
やせぎすな現在の状態になったところで、テトラは再生を止めた。
僕の顔をじっと見る。
「ここからが肝要だ。こいつを少しふっくらさせてやる」
テトラの人差し指が微かに揺れた。
魔法のように青年の姿が変わっていく。
こけた頬が柔らかさを帯び、ひそめられた眉が穏やかになり、病的に白変していた髪がつややかに黒くなった。
するとどうだろう。
「おい、どうだ。掘り出し物だろ」
「うん」
僕は言った。
掛け値なしに驚いている。
もし、このテトラのシミュレーションが正しいのなら、これは……。
テトラは骨格模型をいったん脇に押しやって、新たな
ネオン調の派手な筆記体で文字が綴られている。
<ウララカバーガーが似合うイケメンコンテスト>。
「出すんだ」
静かだが真剣な声でテトラが言った。
「こいつなら優勝だ。ウララカバーガーに売り込め。パーティーにピエロを呼び出せ」
「できない」
僕は言った。
テトラの声と比べると、明らかにかぼそくて、頼りない声でしかない。
「思い出せよ。高貴なるものの務めだろう」
「僕は違う」
「なら、何でこんなもの読み始めたんだ?」
顎をしゃくってテトラが示したのは、僕がリチャードさんから受け取った原稿だ。
読書灯の下の棚に置いてある。
ぼくはそこに出したのをすっかり忘れている。
生活の一部になってしまっているからだろう。
「読んだの」
「読んだよ。日本語存続活動はやめて、SASSでも始めるつもりか」
「そうじゃなくてね」
僕は机の上で指を組んだ。
それだけは誤解されたくないと思ったから。
「日本語に訳して、コミュニティに開示するつもりなんだ」
テトラは地球時代のレプリカだがそれでも年代物の、DNA再生した樫でできている椅子をぎしぎし言わせながら、原稿を手繰り寄せた。
紙を触ったのは何十年かぶりなのかもしれなかった。
テトラならありうる。
それから言った。
「ドクター・アムは言っている。<手段を選べと人は言う。でも命を懸けるほど大事なものが滅びようとしているとき選択肢がひとつしかなかったら、私はどれだけ選択肢が穢かろうと、ためらわずにその手段を選ぶと思う>ってな。ぼんぼん」
「僕は」
テトラは舌打ちした。
「ぼんぼんじゃないって?」
「そうだ。本家からの認知はされてないからね」
「そんなことはどうでもいい。お前が
僕はもう一度、テトラにもわかるようにきっぱりと首を振った。
「それでも嫌だ。僕は平和的な道を行きたい」
テトラは一瞬だけ、遠いところを見る目をする。
視線が僕のところに戻ってくると、
「もうエントリーはしたからな」
僕はにやにやしているテトラの顔を見て言う。
「それとこれとは別の話だからね」
「ドクター・アム曰く――<道は分かれているように見えてひとつなのかもしれない>だそうな」
僕は肩をすくめた。
テトラも肩をすくめた。
それで、その日はお開きになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます