ユーラノート 007
テトラは定期的に僕の家を訪問した。
その時は必ず、キティーを外してふたりで会話をしなければならない。
とてもセンシティブな内容だったし、僕はキティーを巻き込みたくなかった。
テトラにとってキティーは悪く言えば計画のための駒みたいなものだけれど、僕はほとんどキティーのことを家族だと思っている。
「ピエロが司会者だ」
宙に浮いたメールの表面をテトラが尖った指先で叩く。
それは内密な資料だった。
<ウララカバーガーが似合うイケメンコンテスト>優勝者のためのパーティーに参加する、会社の重鎮とキャピタルシティのセレブリティのリスト。
その最後に、司会者の名前が書かれている。
ドクター・ヒューゴ・ジェスター。
テトラたちのチームは、彼をピエロと呼ぶ。
僕は軽く目をつむった。
テトラのモノクルが動く、カリカリというひっかき音がする。
それが時計の針の音みたいに正確に僕の気持ちを追い立てた。
いや、友人にそんな言葉を使うのは、礼儀に敵わないことだね。
僕は反省した。
でもやりたくないのは本心だから、仕方がないとも思う。
「僕は撃てないよ、テトラ」
「怒りなんて感じなくていい。ぼんぼんは、こっちの組織から仕事を受けただけだ。義務的にやれ。絶対にピエロは舐めてる。お前にはできっこないってな」
脳神経の辺りがむずむずした――本当にその感覚が確かなら。
「お前の脳を切ったのはピエロだから、できないと信じてる」
ドクター・ヒューゴは今年百二十歳のバースデーをむかえるはずだ。
長命化手術の為に外見年齢は四十歳くらいに見える。
博士は<ファンタジーキラー>理論の提唱者だった。
それなのに何の咎も受けず、のうのうとレイニーの芸能界の頂点に座っている。
この九十年くらいずっと。
信じられないけれども、ドクター・ヒューゴはレイニーの星民から愛されている。
彼はそつのない司会者で、ユーモアのバックパックを背負ったような男で、権力者。
そして何より天才的な外科医師だった。
レイニーの外縁ハブには彼の手術の腕を求める奇跡待ちの人々が列をなしている。
誰も彼を止められない。
「ぼんぼん、それでもお前は怒れないんだな」
「ごめん」
「何で謝る。謝るべきはピエロだ」
テトラはモノクルに覆われていない義眼の方で僕をじっと見た。
「頼む、ぼんぼん。いや、ゾーイ・ユーラノート。レイニーとジャパニーズ・オリジンのために。それに、キティーのために」
「キティーを巻き込むな」
「冷静になれ。お前の王子様がのし上がればのし上がるほど、ピエロは興味を持つだろう。あいつは何処からどう見てもジャパニーズ・オリジンの、しかも外面の完璧な遺伝子を備えてる。ピエロが手を出さない保証はどこにも無いんだぜ。ピエロは、異常なくらいジャパニーズにこだわってる」
テトラは机の上に拳を置いた。
その拳は鉱疫で義手になっている。
どれだけ痛かったか僕には想像できない。
それを悲しむこともできない。
「知ってるんだろう。ファンタジーキラーだけじゃない。鉱山で働いてたやつらが鉱疫になって、その後どこに行ったのか。キャピタルにはピエロの病院しかないんだから。この義手を受け取るために俺は何を支払ったと思う」
テトラは自分の頭を指した。
「俺も怒らない心になったよ」
僕の唇は震え、その後静かに、真一文字に結ばれた。
最後ではなかった。
僕は、最後ではなかったのだ。
◇
キャピタルシティについた後、僕は動物園にキティーを案内した。
キティーのための入園許可書はテトラの組織が裏から手を回して取り寄せた。
僕はそれを代償に求めたんだ。
僕が引き金を引くための代償に。
キャピタルシティは快晴で、キティーは晴天による二日酔い反応を起こし、僕たちはしばしば日陰に入って足を止めた。
その度に僕は何かしらをキティーに買って渡した。
いちばん喜んだのはベーグルだったかもしれない。
フラミンゴベリーを生地に練りこんだベーグルに、チーズとハムを挟んだもの。
行き交う人々は笑っている。
僕の覚悟など誰も気づかないだろう。
僕自身にすらわかっていないのだ。
怒りも悲しみもない。
まっ平らな感情の上に僕は浮かんでいる。
そうでなくてはいけない。
キャピタルシティの道が、ずっと続けばいいと願っていた。
永遠に動物園に着かなければいい。
動物園に着いたら僕はキティーと別れ、テトラと最後の打ち合わせをしに行く。
このままキティーと星外に逃げてしまいたいとも思う。
でも僕は由良戸で、どれだけ頑張ってもレイニーと縁を切ることは出来ないだろう。
それにテトラの言う通りドクター・ヒューゴが鉱疫患者にまだ<ファンタジーキラー>の実験を続けているのであれば、誰かがそれを明るみに出すべきだ。
決して見過ごすべきではない。
それを知って見過ごしたとあらば、僕は僕だけじゃなくすべての先祖の顔に泥を塗る。
ただドクター・ヒューゴの悪事を暴くのには膨大なデータが必要だ。
データを集めるまでに何人が犠牲になるのだろう。
世に出せないのであれば、選択肢はあとひとつだけ……。
テトラたちの決断は、そういうことだった。
ドクター・ヒューゴと同じ舞台に立てるのは僕とキティーしかいない。
そしてそれを実行すれば、僕は、ドクター・ヒューゴからキティーを守ることが出来るだろう。
かのマッドサイエンティストがキティーに手を出すかどうかは分からない。
可能性があるというだけの話だ。
けれど僕はその可能性すら無にしたい。
僕は怒っているんだろうか。
もうこの先を書く時間はないし、余裕もない。
あとは実行あるのみだ。
最後にキティー、君に伝えさせてほしい。
君に会ってから僕は変わった。
沢山笑って、沢山驚いた。
今、僕はとても頭が痛い。
それは比喩じゃなくて本当にずきずきと痛い。
きっとそれは僕の脳に刻まれたメスの跡を、君の心が……何と言えばいいんだろうね……癒すなんて言葉じゃなくて、もっと……そうだね、くそくらえだって教えてくれたんじゃないかなと思う。
お礼を言わせて欲しい。
君は欲しくないと言うだろうけど。
僕はには沢山の味方がいる。
手記を預かってくれるリチャードさんもそうだ。
だから心配しないでね、キティー。
時が来て、また会えることを、僕は願っている。
こんな時は悲しめないことを悔しく思うよ。
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