第32話 開戦
『発射まで残り2分』
空船内にイーヴリンの声が響く。無線を使った通信である。当のイーヴリンは倉庫内でスタンバイしているはずだった。
「何だか、妙な感じだな」
「そうね。椅子に座って上を向くなんて初めての経験だわ」
チヅルとジェフェリーの2人は船内に取り付けられた椅子に座り、シートベルトでくくりつけられていた。密閉されて光は一切入ってこないが、赤い補助灯でお互いの顔が分かる程度には光量がある。
アレックスはここにはいない。空船最前面に作られた場所で同じように待機している。
ふと、チヅルはジェフェリーの表情が少しだけ強張っている事に気付いた。にんまりと笑みを浮かべ、なじるように指摘する。
「なに? あんた、この期に及んで怖くなったの?」
「いや、突入は必ずあの2人が成功させてくれるって思ってるし、これからの戦いもむしろ楽しみにしてるぐらいだ。ただ、その、こうやって空を飛ぶなんて初めてだろ? なんかこう、気持ちがふわふわするっていうか……。チヅルは平気なのか?」
言われてみて気付く。自分の心に、恐怖が全く無い事に。だがその理由はすぐに気付けた。あの時、アレックスが自分を信用しろと言ってくれた事。それから、不安や心配は一切合財消え去っていた。いつの間にか、こんなにアレックスの事を信用していたんだと気付いて、内心驚いた。
「うーん、言われてみれば分からなくも無いわね。けど、そんな事はあんたに言われるまで気付かなかったわ。今、私の中にあるのはあの子の事だけ。見つけたらなんて声をかけようかとか、そんな事ばっかり考えてる」
『残り1分』
「強いねえ。やっぱお前さんには勝てないわ」
「当たり前よ。私の子なんだから。親に気持ちで勝てるなんて思わないでほしいわね」
『30秒』
「……なあ。手、握ってもいいか?」
「はあ!? なんであんたに握られないと――!」
『10……9……』
「頼む! どうにも落ち着かないんだ!」
「ちょ、ちょっと! 止めなさいよ!」
『3……2……1……イグニッション!』
「うおおおぉぉ!」
「きゃああぁぁ!」
2人の体に強烈なGと振動が襲い掛かる。座席は深く沈み、息をするのも困難なほどだった。
「す、すげえ!」
「ほんとに……体が潰れそう!」
「そうじゃねえ! 俺達は今、本当に空を飛んでるんだぜ! あの向こう側にいけそうなほどに!」
「確かに感動ものね! でもあんまり喋ると舌噛――いひゃ!」
「ははは! 自分で言って噛んでりゃ世話無いな!」
「う、うりゅひゃい!」
『君達……本当に緊張感が無いね』
前部にあるスピーカーからさも呆れたという感じで、イーヴリンの声が聞こえた。向こうもこちらの姿は見えないが、声だけはマイクで拾えるようにしてあるのだ。
「ち、違うのよ!? こいつがあんまりはしゃぐからつい、私も釣られて」
「あ、ずりい! 俺だけのせいにする気かよ!」
『はいはい、その辺にしといて。もうすぐ目標高度に到達するよ。無重力に近い状態になるから、気をしっかりね』
そのすぐ後、先程までうるさく聞こえていた噴射音がぴたりと止まった。そしてガスが抜けるような、小さな噴射音が聞こえるようになった。
「うえ、気持ちわりい……」
ジェフェリーが不快そうに呻いた。
チヅルにもそれが分かる。下腹部にくる何とも言いようの無い感覚。それはあまり気持ちが良いものではなかった。
ゆっくりと空船が向きを変えていくのが分かる。徐々に体が重力を取り戻し、今度は体の前面が引っ張られるような感覚に陥る。
『午前0時まで3秒……2……1……0!』
『準備は出来たか貴公達。さあ、世界大戦の始まりだ!』
イーヴリンのカウントダウン終了と同時に、あの声が聞こえる。あの時と同じように直接脳に響くような声が聞こえ、威風堂々と戦争の始まりを告げた。
『みんな!』
「どうしたの、イヴ?」
『今、船外カメラの望遠で、すごい物を確認したよ。突然浮遊岩から、黒い霧のようなものが噴き出したんだ。多分、とんでもない数の生物だと思う。一体どれだけいるか、見当も付かない』
グレードSのロストブックの住人が、尋常ならざる数で街へ降り注ぐ。その脅威は想像に容易かった。はたして今あの街で、あれらをまともに相手が出来る人数が、はたしてどれだけいるのか。
「ガスタブルは……地獄になるわね。じいさん、ちゃんと逃げてくれてるといいけど」
「ああ。けど、俺達は俺達の出来る事をするしかない。街の方は国軍に任せよう」
『そうだね、ジェフの言う通りだよ。幸い、敵が出てきてくれたおかげで、出入り口が確認できた。そこなら外殻もきっと薄い。そこに向かって突撃をかけるよ!』
「……そうね。お願い、イヴ!」
『いくよ!』
鼓膜が破れそうなほどの爆音と同時に、2人の体に先程以上のGがかかる。エンジンをフル出力で噴かしたのだ。
(スー、待ってて。すぐ迎えに行くからね)
白銀の尖槍が漆黒を切り裂いて疾走する。あの黒い悪魔達の居城を穿つために。
その頃、アレックスは薄暗い船内の中で1人、じっと後ろの壁にもたれながら佇んでいた。
アレックスのいる前面部には余計な物が一切無い。リフレクトブロウで外殻を打ち抜いた後、雪崩れ込む瓦礫でそれらがあると怪我を負ってしまう可能性があるからだ。
アレックスの背を押し付けている場所には一面に緩衝材が貼り付けられている。瓦礫に押し潰された時に、少しでもダメージを軽減しようという目論見からだった。
そして椅子が無いアレックスを支えているのは足元のみ。椅子に座りながらでは構える事が出来ないため、ブーツを床に固定させている。これで強烈な風圧にも飛ばされず、何とか耐えられるはずだった。
『いくよ!』
イーヴリンの掛け声が聞こえ、今空船が敵の住処に向かって走り始めた。アレックスの体に上昇時を超える強烈なGがかかる。流石に辛さから顔を歪めるが、アレックスは自分の腰あたりに手を伸ばし、カチッという謎の音を立てた。すると、表情から辛さが和らいだ。
空船の最終到達時速は10000ケルセルクをさらに超える。それから生まれる風圧は人の体などものともしない。隔壁が開いた瞬間、アレックスの体は一瞬で引き裂かれてしまう。それを解決するのが今のスイッチ音だ。アレックスは今、身に着けているある物を起動させた。これで少しの間は何とか耐えられるはずだった。
『アル、前方隔壁開放のカウントダウン始めるよ!』
「ああ、頼む」
アレックスはすっと立ち上がる。
徐々に心拍数が上がっていくのが分かる。やはり怖いのだ。少しでもタイミングを外せば、その時点で全員の死が確定する。うまくいったとしても、リフレクトブロウが溜め込んだエネルギーを変換しきれずに壊れてしまえば、やはり全員死んでしまう。
しかし、
(何を恐れる事がある。チヅに言っただろう、俺を信じろと。ここで臆してしまってどうする!)
そうやって自らを叱咤し言い聞かせる。体の緊張は完全には解けなかったが、それでも気持ちが退いてしまう事だけは抑える事が出来た。
『10……9……』
イーヴリンのカウントダウンが始まる。
アレックスは自分の右手を見る。アレックスがHO技師として初めて作成したHOがこのリフレクトブロウだった。それ以来、アレックスはブックダイバーの稼業をこれ1本で通してきた。
「頼むぞ」
感慨深く、アレックスはリフレクトブロウに語りかける。武器に語りかけるなど、今までは考えた事さえ無かった。だが今日は、無意識に言葉が口をついた。
『5……4……』
アレックスは目の前の壁をしかと見据える。あと少しでこの壁が開き、目の前にあの浮遊岩が姿を現すのだ。右拳を引き、腰を下ろしてぐっと力を溜める。
『2……1……開放!』
「はああああぁぁ!」
イーヴリンの開放という声と同時に、アレックスは右拳を出来るだけ前に突き出した。間髪いれず、前面の壁が開く。そこには漆黒の壁が眼前に迫っていた。
リフレクトブロウがその壁に接触する。爆ぜる音と共に、空船がその場で完全に停止した。リフレクトブロウのモジュールが、白い閃光を周囲に振り撒き光り始める。受けた衝撃を一度、モジュール内に溜め込んでいるのだ。
その時、ぴしっという嫌な音が聞こえた。見ればモジュールにひびが入っている。内包したエネルギーに、モジュールが耐え切れなくなってきているのだ。
「くそ! 頼む、持ってくれ!」
アレックスは左手でモジュールを押さえる。もちろん、そんなものはただの気休めに過ぎない。左手の指の間から、さらに強く光がほとばしっていく。まだ、全ての力をモジュール内に蓄えていない証拠だった。
左手から次々にひびが広がっていく感触が伝わってくる。もし、ひびが生体認証プログラムを損傷させてしまえば、モジュールはその機能を停止してしまう。そうなれば溜め込んだエネルギーは行き場を失い、衝撃波となってアレックスを襲う。死は免れない。
だが、
「いけええぇぇ!」
アレックスにもう恐怖は無かった。今はただリフレクトブロウを信じ、全体重をかけてただ右腕を突き出す。その鬼気迫る形相は正しく修羅そのもの。普段のアレックスからは、到底想像が出来ないほどのすさまじい気迫だった。
すると、モジュールの崩壊がぴたっと止まった。リフレクトブロウが、衝撃を完全に受けきったのだ。後は限界ギリギリまで溜め込んだエネルギーを打ち出すだけだった。
「打ち抜け! リフレクトブロウ!」
アレックスの一喝と同時に、リフレクトブロウから衝撃が放出される。それは外殻を易々と打ち砕き、そこにぽっかりと大きな穴を作り上げた。
すぐさま、前面の隔壁が閉じられる。だが、その前に大量の瓦礫が雪崩れ込んだ。アレックスの体は成す術無く、瓦礫に埋め潰される。まるで勝利したと言わんばかりに、拳を強く固め、真っ直ぐ伸ばされた右腕を残して。
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