第12話 吐露
陰日向書店から出たスーヤとジェフェリーは、この街最大の市場、ログスト市場を歩いていた。市場なので基本は食材が売り物だが、それらを使った屋台も多い。ここで昼食でもと思い、ジェフェリーは何を食べようかと物色していた。
無理やり連れ出されたからだろうか。スーヤの機嫌が悪い。頬を風船のように膨らませ、下を向きながら歩いて時折石を蹴り飛ばしている。ジェフェリーはあれこれと手を尽くしたのだが、その機嫌は直らない。すっかり途方にくれてしまっていた。
「なあ、スーヤ。いい加減、機嫌を直してくれないかな?」
スーヤは何も答えない。こういった重苦しい空気が苦手なジェフェリーは、なんとか会話を続けようとする。
「で、でもおかしいよな。あの3人だけでこそこそと相談なんてさ。まるで、俺達には知られちゃいけない秘密でも持ってるみたいだ」
「……秘密?」
ようやくスーヤが答えてくれた。このチャンスを逃すまいと、ジェフェリーはさらに会話を続けた。
「そそ! 例えば、実はあの3人は元強盗犯で、ほとぼりが冷めた今、奪った金を分ける算段をしてるとか」
「チヅ達、悪い人なの!?」
スーヤが目を見開いて、ジェフェリーの腕にしがみつく。あまりに真剣な様子に、慌ててジェフェリーは頭と両手を必死に振って否定した。
「違う違う! 例えばって事で、あの3人がそんな事するはずが無いだろ、うん。まあ、本当に何話してるんだろうな……」
だがよくよく考えてみると気になる。あの3人の接点なんて、ロストブック関係ぐらいのものだ。
(グレードSのロストブックが入荷したから、他の奴らに知られないようにって事ならありえるが)
それならスーヤも追い出す必要は無い。そもそも、ジェフェリーがいればロイスはオークション形式で値を吊り上げる事も出来るのだ。ジェフェリーを除け者にするのは、ロイスにとって得にならない。
「……もしかして、スーヤを捨てようとしてるのかも」
「は?」
スーヤの口から思いがけない言葉が出てきて、驚きのあまり声が裏返ってしまった。だが、スーヤはお構い無しにジェフェリーに詰め寄った。
「あのね、スーヤ昔……」
「ま、待て待て! 少し場所を変えよう。こんな大通りで話して良い事じゃなさそうだ」
「あ、ジェフ」
ここは人目が多過ぎる。現に、何人かが何事かとこちらを伺っていた。スーヤの様子からして、あまり他人に聞かれて良い話ではなさそうだ。
ジェフェリーはスーヤの手を取ると、自分が住んでいるアパートへ向かう。2人は10分ほど歩き続け、10階建てのアパートに辿り着く。
その7階の703号室。ここがジェフェリーの仮住まいの1つだった。ポケットから鍵を取り出し、ドアを開けて中に入る。そしてスーヤをリビングのソファーへ座らせると、自分も正面の椅子に腰掛けた。
「さて、もう一度落ち着いて話をしよう。何でチヅルがスーヤを捨てるなんて話になるんだ?」
「あ……の、」
ジェフェリーの問いにスーヤは答えようとしない。ただ、答えたくないというよりも、話しづらいといった感じだ。それも無理は無い。話そうとした矢先に話の腰を折られ、こんな所で2人っきりになってもう一度話せと言うのだ。無神経だったとジェフェリーは反省する。
「いや、別に話したく無いならいいんだ。無理に聞き出そうなんて思ってないからさ」
やんわりとジェフェリーが助け舟を出す。しかしそれで話しやすくなったのか、おずおずとスーヤが話し始めた。
「あのね……スーヤ、昔一度チヅに突き飛ばされて、置いて行かれた記憶があるの」
「昔って一体いつの話だ?」
「あんまり前の事は話しちゃダメって約束してるの。だから、それは言えない……」
「そっか。分かった。それは言わなくて良いから」
「うん」
子供を突き飛ばして置いていくというのは、昔のチヅルならやったかもしれない。あの頃は、不機嫌な時だとジェフェリーでさえ気軽に近づけなかった。唯一近づけたのはアレックスぐらいだ。
だが、スーヤがこの街に現れてから、チヅルの性格が目に見えて変わった。不機嫌な時はやはりおっかないが、それでも冗談を言えるぐらいにはなった。今日だって、昔のチヅルなら問答無用で顔面を射抜かれていたはずだ。表面上は怒っていても、昔は感じられた背筋を凍りつかせる殺気が今は感じられない。
「けど、そんなのは昔の事で、しかも1回だけだったんだろ? そこまで怯える必要もないと思うけどな」
「でも、怖いの! 置いていかれる事が、捨てられる事が! たまらなく怖い……。チヅに捨てられたらスーヤ、きっと寂しくて死んじゃう……」
激しく訴えると、スーヤの目から真珠のような涙がボロボロとこぼれだす。その表情はあまりに悲しげで、それを見たジェフェリーは、どうしようもなく胸の奥が痛くなるのを感じた。
「大丈夫、大丈夫だって! チヅルがスーヤの事を捨てたりなんてするもんか。今日だって、あんなに君の事を心配してただろ?」
「ぐ……す、そうかな?」
「ああ。この俺が全身全霊をかけて保障する!」
そう胸を張ってジェフェリーは言い切ると、少しだけスーヤの顔に笑みが戻る。
男と言うのは涙に弱い。その表情に思わずぐっと来て、抱き寄せてみようかと一瞬脳裏に浮かぶが、その欲望を押し込める。
軟派者に見えても、その実ジェフェリーは誠実だった。相手の合意が無ければ、絶対にそういった事は自分からはしない。これはジェフェリーが自分に課したルールであり、何においても絶対だった。ジェフェリーがスーヤをスーという愛称で呼ばないのも、女性を愛称で呼ぶのはそういう関係になってからというルールがあるからである。
「分かっただろ? ならこれで涙を拭いてさ。いつものスーヤに戻ってくれよ。そのままだと、俺がチヅルに殺されちまう」
「ふふ、そうだね。チヅならきっとやりかねないかな」
ジェフェリーがハンカチを差し出すと、スーヤはそれを受け取り、そっと涙を拭う。涙はもう止まった。だがまだ目が潤んでいるのと目尻が赤いので、このままではチヅルに会わせられない。
すると、スーヤからクー、という可愛らしい音が鳴った。そういえば昼食を食べようとしていたはずなのに、昼時はとっくに過ぎていた。
ジェフェリーはすっくと立ち上がると、スーヤに笑いかける。
「そういや昼飯を食いそびれてたな。市場に戻って、もう一度物色してみようぜ。できればここで俺の手料理を披露したいところなんだけどさ、あいにく料理はからっきしでね。とても食えたもんじゃないんだ」
「うん!」
スーヤが元気良く返事すると、跳ねるように玄関へと向かっていく。いつもの様子に戻っている。もう大丈夫なようだ。
2人はエレベーターに乗り、1階のボタンを押下する。エレベーターは微妙な振動を立てながら階下へ降りていく。
「ジェフ」
「ん?」
「ありがと」
自分の目を正面から見つめられて言われた。たったそれだけの何気ない一言なのに、異常なほどジェフェリーの胸の奥を突いた。動悸が高まり、自分の体温が一気に上昇していくのを感じる。ただのお礼でここまで嬉しくなったのは、本当に久しぶりだった。
エレベーターのドアが開くと同時にジェフェリーは外へ飛び出し、路上でクルクルと踊りだした。
「よっしゃ! 今日はもうなんでも奢ってやる! だからスーヤ、遠慮せずになんでも頼め。なんなら市場の食い物買占めたっていいぜ!」
「調子に乗っちゃって。さっきスカンピンだって言ってたじゃん」
「なら全部つけさせる。今の俺に不可能なんてないのさ!」
テンションもいよいよ高まり、華麗にバク宙を決めてポーズを決める。余韻に浸りゆっくりと目を開けたその瞬間、ジェフェリーの全身が氷漬けにされたかのように固まった。
目の前にいたのは白衣を着た1人の女性。この街で白衣を着て出歩く女性なんてのは、ただ1人しかいない。そう、チヅルだ。しかもばっちりとアパートからスーヤと出てくるところを見られてしまった。もうこうなれば後は決まっている。
「あ、あのですねお義母さん。別に俺達は何もやましい事はしてないですよ、ええ。だから全くもって事実無根なわけで……」
「……スーの目は、どうやって説明するつもりかしら?」
チヅルはスーヤの目が赤い事を言っているのだ。これ以上は何を言っても無駄にしかならない。そうジェフェリーは判断すると、脱兎のごとく逃げ出した。久しぶりに、あの頃の殺気に満ちたチヅルに戻っている。あの鬼に捕まれば最後、人目もはばからずグロテスクな公開処刑が行なわれるに決まっている。
「あら、逃げちゃダメよ。今、約束通り真っ赤なミンチにしてあげるからね。大丈夫、痛いのは最初だけだから。頭が潰されれば、痛みなんてきっと感じないわ」
「そ、それだけはご勘弁を!」
全力で走るが、チヅルはじりじりと距離を詰めてくる。カークがいない状況で、今のチヅルから逃げ切る事は不可能に近い。
前屈姿勢で追ってくるので、顔が全く見えないのが恐ろしい。さらに声に全く抑揚が無い。怒りを極限まで身の内に溜めて、捕まえた時に全てを吐き出すつもりだ。正直、今まで出会ったどんな生き物に追いかけられた時でも、これほどの身の危険を感じた事は無い。
「あれ? えっと……チヅ、ジェフ待ってよー!」
2人がいなくなった後、状況を全く飲み込めていないスーヤは、いつものように建物を伝って2人を追いかけていった。
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