第3話 闇に蠢くもの(前編)

 あれから3日後の午後2時。アレックスとチヅルは陰日向に訪れていた。2人はカウンター前に立っており、ロイスは本を片手に持ってカウンターの反対側に座っている。


「さて、えらく軽装じゃがそんなので本当にいいのか?」

「構わない。必要最低限は揃えてある。無駄な装備はそれこそ足枷になるだけだ」

「そうね。別に軽んじてる訳じゃないの。ただこれが最良なだけ」


 2人の格好はあの時とほとんど変わらない。唯一大きく違うと言えば、チヅルの手に握られた、鈍色をした無骨なハンマーだった。

 特徴は強いて言えば妙に長い柄と握りやすいように装飾された持ち手、そして頭部の側面に緑色をした宝石のような珠が付けられているぐらい。それを少し重そうに、肩に担いで持っている。


「お前達がそう言うなら問題は無いか。ところで、チヅルは何でそんなに不機嫌なんじゃ? せっかくグレードSのロストブックにダイブできると言うのに」


 ロイスの言う通り、チヅルは眉間にしわを寄せ、じっとりと嫌な目つきでロイスを見ている。まるで、不機嫌という文字がそのまま顔に張り付いているかのようだ。


「……いいでしょ、別に。私にも色々あるのよ」

「体調が悪いなら、また日を改め直しても……」

「平気よ! 下手は打たないわ」

「しかし」


 なおも問おうとするロイスを、アレックスが間に入って止める。


「俺は構わない。チヅルが大丈夫だと言うなら、それを信じるだけだ」

「ふむ。美しきはなんとやら……と」

「あ?」


 チヅルが人も射殺せそうな視線でロイスを突き刺す。ロイスはぶるっと身震い知ると、すぐさま話題を変えた。


「さ、さあて。そろそろやるとするかの」


 ロイスはカウンターの上に持っていたロストブックを置いた。そこにアレックスとチヅルが自分の右手を置く。すると、ロストブックを纏っていた仄暗い奇妙な光が強くなり、ぱらぱらとページがめくれだした。


 ロストブックはただの本と違ってそのままでは中身を開く事が出来ない。ロブグローブと呼ばれる手袋をつけて表紙に触れる事で、初めて中身が開かれる。この時、チヅルは右手、アレックスは左手にロブグローブがつけられていた。

 ロストブックからは赤や青などの様々な光が発せられるのだが、黒い光など2人とも初めてだった。


「この色、気味が悪いわね……」

「やはり特別という事か。気を引き締めなくてはな」

「さて、何度も注意しとる事じゃが、時間にはくれぐれも気をつけろ。1秒でも遅れれば、二度と戻ってこれん。しっかり肝に銘じておけ」

「分かっている」

「いつも通りにやれば良いだけの話よ」


 ロストブックへダイブする時間には制限がある。それはロストブックの種類にもより、長いもので1日、短いものだと4時間ぐらいである。

 その制限時間が過ぎれば、2度と戻って来れないと言われている。確かめる術は無いが、現に制限時間が過ぎた場合に帰ってきた者はいない。よって通説として、ロブグローブが指し示す時間は、ダイブの制限時間とされている。


「そろそろ行くか。チヅル」

「ええ」


 アレックスは開かれたロストブックの右のページ、チヅルは左のページに手を置いた。

 すると、黒の光が膨れ上がる。それはあっという間に2人を包み、ゆっくりと消えた頃にはその姿を消してしまっていた。


「さて、どうなるやら。危なくなったらすぐに戻って来るんじゃぞ」


 ロイスはそう1人呟いてカウンターに座り直し、カウンターに開いたまま置かれたブックを見る。それは何事も無かったかのように、光を微かに讃えていた。




 ダイブをすると、まるで全身が溶けて水中に漂っているような感覚に襲われる。それが消えた時、ロストブックへ潜ったダイバーは新しい世界へ転移する。


 奇妙な浮遊感が消え、アレックス達が目を開くと、そこは黒1色の世界だった。地表のあちこちから伸びる木にも似た謎の突起物。空や地面の色。何もかもが染められたように黒い。空を見上げても光源はおろか、星1つ見つける事は出来なかった。


 だが不思議なのは、それでも物が見えるという事だった。光が無いのだから、物が見えると言う事はありえない。だがアレックスとチヅルは、お互いの姿が昼間とほとんど変わらずに見えている。これはとても奇妙な事だった。


 アレックスはロブグローブのコンソールを見る。そこには10:00という文字が表示されていた。


「10時間。それなりに長丁場となるか。チヅル、何か異常は無いか?」

「ええ。特に空気が悪いと言う訳でも無いし、体も少し軽いぐらいかしら。それより面白いのは、光に変わる何かがあるって事よね。とても興味深いわ!」


 やはりロイスの心配は杞憂に終わったようだ。先程の不機嫌さはどこ吹く風か。チヅルは、この世界の不思議な現象に興奮を隠せない様子だった。


「おそらく空か地表に何か特別な光が働いているんだろう」

「ああ、やっぱりこの地面の砂よ。ほら。こうやって手で包んで覗くと、自分の掌がくっきり見えるわ!」


 包んだ自分の手の中を覗きながら、嬉しげにチヅルは語る。アレックスも試しにやってみると、確かに光は無いのに、自分の掌が何かに照らされてはっきりと見えた。


「だが砂では小さすぎるし、さらに永続ではロブグローブではモジュールは取り出せないな。諦めろ」


 モジュールとは、物が持つ特性をロブグローブで取り出した物である。これを機械に組み込む事で、質量を変化させたり形状を流体に変えたりするなどの、超常的な性能を付加させる事ができる。


 また、モジュールを組み込んだ物は他の物とは一線を画す性能を持っているため、“Higher-Object”。略してHOと呼ばれている。例えばチヅルの白衣。この白衣は、着た者の喜怒哀楽の強さに比例して力として与えてくれる。だからチヅルのように華奢な体つきでもあの巨大なハンマーを扱う事ができるのだ。


 アレックス達のようなブックダイバーはこうやってロストブックに潜り、モジュールを手に入れて市場に流す事で生計を立てている。また、アレックスとチヅルは共に技術者でもあり、アレックスはHOを作るHO技師、チヅルはモジュールと機械とを結合させてモジュールの力を引き出すトリガーと呼ばれるものを作るトリガー技師でもある。


 モジュールには大きく分けて2つの種類がある。それが永続モジュールと限定モジュールだ。永続はその名の通り常に起動しているモジュールを指し、限定はあるきっかけで効果を発揮するモジュールを指す。

 なぜ永続が取り出せないかというと、言うなれば動いているエンジンに手を突っ込むようなものだ。それほどに稼働中のモジュールを触る事は危険であり、限定モジュールも稼動時は触る事が出来ない。つまり限定モジュールかつ稼動していない事が、モジュールを取り出すことが出来る最低条件なのだ。


「……少しぐらいなら持っていってもばれないわよ。別に、世に出そうなんて思ってないし」

「協会に捕まりたいなら、俺は止めんぞ? 俺に実害は無いからな」


 ロストブックへは誰でも潜れるわけではない。ブックダイバー協会の試験に合格し、ブックダイバーライセンスを取って初めて潜る事を許される。

 また、ロストブックに潜る際に1つだけ協会が取り決めている事がある。モジュール以外の物を持ち帰る事を禁じているのだ。これを破れば、最低でもライセンスの永久剥奪。重いと終身刑という事も有り得る。


「ち! 分かったわよ、止めれば良いんでしょ止めれば!」


 チヅルが大げさに舌打ちをして砂を振り撒き、片手で頭を掻き回す。だが、突然何かに気付いたように、目だけで神経質に周りを見渡した。


「アレックス」

「ああ、俺も今気付いた。何かいるな」


 そう言いながら、右手にはめたグローブを強く引いて感触を確かめる。チヅルもハンマーを振り上げると、そのまま肩へと乗せた。


「妙な気配だ。殺気は感じないのに、変な圧迫感がある」

「普通ならこっちを殺す気満々で襲ってくるのにね。様子を見てるのかしら?」


 2人は背中を合わせ、油断無く周りを警戒する。どこに潜んでいるのかは分からないが、隠れる場所はいくらでもある。もしかしたらすでに囲まれているのかもしれない。


「先手を打った方が良さそうだ。チズル、頼んだ」

「いいわ。燻り出してやる!」


 チズルはそう答えると、ハンマーを横に大きく振りかぶった。

 そして次の瞬間、チズルが持っていたハンマーの柄と頭部がいきなり巨大化した。それは、元の大きさの3倍を優に超えている。

 ハンマーの元々の全長は10メルセルク。大人5人分強に相当する長さを、自在に大きさを変形させられるモジュールを用いて縮小させて普段は携帯している。


 ヘッドの大きさは柄の手元に付いているダイヤルを回し、柄の長さは柄を引き絞る事で操作できる。さらに縮小させようと巨大化させようと、元の質量は変わらない。そのため、どの距離でも臨機応変に戦う事が可能なのがこの武器の長所だ。例えば、小さく狙いづらい敵ならヘッドを巨大化させれば、格段に当て易くなる。そして固い表皮を持つ敵なら、ヘッドを縮小し柄を長くする事によって、局所的に強力な打撃を打ち込む事が可能といった具合だ。


 チヅルは柄を両手で持つと、ジャイアントスイングよろしく豪快に振り回した。柄はさらに伸び、ヘッドが周りの障害物を片っ端からなぎ倒す。そして最後に大きく一振りすると、ようやく回転運動は止まった。


「ま、ざっとこんなところね」


 チヅルはハンマーを元の大きさに戻すと、得意げに担ぎ直す。

 あっという間に半径10メルセルクの障害物は駆逐され、もうもうと土煙が上がる。それが徐々に静まると、障害物に隠れていた者達が現れた。

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