第4話 闇に蠢くもの(後編)

 体の色はただただ黒い。こんな世界だ。下手に色を持っていれば逆に目立ってしまう。だから、必然的に保護色となる黒1色となってしまうのだろう。

 現れたのは丸い全身が棘で覆われてふわふわと空を漂う者と、体中をいくつもの目玉が這い回り、気色悪くこちらを伺う人型の者。どちらも、その異様な不気味さに嫌悪感を覚える。


「あの毬栗はアレックスじゃ無理ね。あんたは気色悪い目玉の方を」

「正直触りたくも無い奴だが、仕方ないか。手筈はいつも通りだ。気をつけろよ」

「誰に物言ってるのよ! あんたこそ、ヘマしても助けてあげないからね」


 得体の知れない相手だが、2匹ならおそらく何とかなる。そう判断した2人は、確固撃破にかかった。

 人型の大きさはアレックスと同程度。あまりリフレクトブロウが役に立つ相手とは思えない。


 アレックスはまず適度に距離を取り、相手の出方を伺う。こういった未知の相手と戦う時は、相手の能力を探る事が最優先だ。どんな能力を隠し持っているか分からないし、モジュールを採取する際にも、どの部分で発動しているか調べる必要がある。モジュールは発動する場所からしか採取が出来ないからだ。

 だが、その戦術は功を成さなかった。相手も仕掛けず、ただこちらを見ているだけなのだ。


(誘っているのか? ならば、まずは軽く仕掛ける)


 そう決めると腰を落とし、鋭いステップで敵との距離を一気に詰める。懐に飛び込むと、左腕で顔面に向かって1発を放った。だがそれは、軽く上体を反らされてかわされてしまう。

 これはフェイント。目論み通り体勢が少し崩れて敵に隙が生まれる。すかさず今度は足の関節を狙って踏み込むように蹴る。だが人型は、後ろに反らした勢いを使ってそのまま後方に飛ばれてしまい、蹴りも空を切ってしまう。

 しかしアレックスは逃がさない。これもまた予測していた行動だった。蹴りにいった足を地面に降ろすと、勢いをそのままに前へ踏み込んで前方へ飛ぶ。


「食らえ!」


 これが本命。空中にいる相手に、かわす術は無い。本命の右ストレートが風を切って人型の顔面に伸びる。

 完全に捉えた。そう確信した時、人型は空中で柔軟に体をくねらせ、華麗に攻撃をかわしてしまった。さらにそのまま右腕に絡みつくと、ものすごい力でぎりぎりと締め上げ始めた。


「ちい!」


 このままでは折られる。一瞬で状況を判断すると、人型を地面へ叩きつけようと振り下ろす。だが、その前に腕から飛びずさり、2回3回とバク転で距離を開けられてしまった。


「ッつ……くそ!」


 アレックスは敵を睨みつけたまま、自分の右腕をさする。右腕のダメージはそれほど深刻ではない。折られてはいないし筋も痛めてはいない。まさに間一髪だった。

 しかしどうにもやりにくい。アレックスの苦手なトリッキータイプで、こちらの攻撃がことごとくかわされてしまう。

 だが、それ以上にやっかいなのが、相手に攻め気が見られない事だ。こちらの攻撃をさばく事だけ考えているように感じる。確かに腕は折られなかったが、本当ならあのまましがみ付かれていれば確実に折られていた。しかし相手はそれを嫌がり、こちらの牙を折る絶好の機会を自ら失ってしまっている。

 今もあれは珍獣でも見るかのように、じっとこっちを監視している。相手に攻めようという感じは無い。相手の行動は何かおかしい。今までは、姿を見せればなりふり構わず襲ってくるものがほとんどだった。こんな対応をされたのは初めてである。


「ええい、逃げ回るんじゃないわよ!」


 どうやらそれはチヅルの方も同じなようだ。ハンマーを豪快に振り回しているが、敵はそれを全く相手にしていない。空高く浮かび、チヅルを嘲笑っているかのようだ。

 その姿が虫を捕ろうと網を振り回している子供のように見えて、思わずアレックスは噴出した。しかし、1つ咳払いをして気を取り戻すと、改めてこの2体について考えを巡らせる。


(まるで真意が読めない。何がしたいんだ、こいつらは……)


 勝てないと思って、避けているだけなのか。いや、それだったらとっくに逃げている。こっちの力を図るとしても、ここまで逃げ回る理由が無い。ならば……


「まさか!」


 いくつかの可能性を排除していき、アレックスは1つの結論に辿り着いた。この2体は戦う必要が無いのではないか? そしてそれを意味するものは、


「チヅル、周りに気をつけろ! おそらく増援が来るぞ!」

「え、なんですって!」


 そう、この2体が襲ってこないのは役割が違うため。そして戦う以外の役割はおよそ1つしか考えられない。敵を見つけ、それを仲間に伝える偵察だ。おそらく、こちらに気付かれない何らかの方法で情報を伝えられている。

 悪い事に、この2体に見つけられてからそれなりに時間が過ぎた。すぐに周りを見渡すと、微かに地平線上にうごめく黒い塊が見える。はっきりした数は分からないが、あんな数を2人で相手に出来るわけが無い。


「……まずいぞ。走れ、チヅル!」

「ちょ、ちょっと!」


 アレックスはチヅルに駆け寄ると、その手を取って走り出す。群れがこちらに向かってくる轟音が聞こえ始め、チヅルも現状に気付いたようだ。

 群れのスピードはそれほど速くない。しかし追いつかれればそれで終わりだ。


「全力で逃げろ。追いつかれるぞ!」

「んな事分かってるわよ! アレックス、サックの中に何か無いの!?」

「あるにはあるが、この状況とあの数ではどうしようもない。とりあえず、隠れられる場所を探すんだ!」

「ああ、もう! 使えないわね!」


 自分の事は棚に上げ、チヅルはアレックスを叱咤する。だが、そんな事を気にしている余裕は無い。

 サックに入っている物は携帯食料や水、ロープやナイフ等のサバイバル用具の他に、紫の煙を大量に噴出させる煙玉と時限式の炸薬だ。

 煙玉はこれだけ開けている所だと効果が薄い。ならばと、アレックスは炸薬を取り出して爆発する時間を調節し、後ろに投げ捨てた。10数秒後、群れが上を通り過ぎるタイミングで炸薬は爆発した。だが、追ってくる数はまるで変わらない。


「くそ、やはり駄目か」


 今はとにかく走るのみ。それしか手は無かった。


「ちょっと……何か数が増えてるわよ!」

「騒ぎを聞きつけて余計に集まってきたか……とにかく走れ! どうにかしてやり過ごすしかない!」


 走りながらちらっと後ろを振り返ると、確かに数が増えている。最初と比べて、約3割増と言ったところか。状況は刻一刻と不味くなっている。


(このままではじり貧だ。何か打つ手を考えないと……)


 最悪、帰還する事も考えているが、何もせずに帰るのは勿体無すぎる。チヅルも断固として反対するだろう。このダイブにはとんでもない金がかかっている。それを溝に捨てるのは、常に堅実な選択をするアレックスでさえ気が引けた。

 だがふと気付いた。敵の速度が遅すぎるのだ。あれだけの数だ。スピードに長けた者もいるだろう。だが、どれも追いついてくるまでには至らない。群れで足並みを揃えてこちらを追い立てている。そんな感じがするのだ。


「……どこかに誘導されている? そんな馬鹿な」

「どうしたの?」

「何か嫌な予感がする。あいつら、俺達をどこかへ連れて行こうとしてるんじゃないか?」

「そんなわけ無いじゃない! 私達を罠に嵌める理由が見付からないわ。私達を殺したいのなら、一斉に襲ってくればそれで終わりなんだから」

「それがおかしいと言っているんだ。なぜ、奴らは1人も追いついてこない?」

「それは……」


 チヅルもその事実に気付き、口を閉ざす。だがやはり、チヅルもその理由が見当たらないようだ。考えを巡らせているようだったが、その先が口から出る事は無かった。

 その時、前方に巨大なドーム状の建造物が現れた。入り口らしきものも微かに見て取れる。それを見たアレックスは即座に決断した。


「チヅル! あのドームに入るぞ!」

「開かなかったりあの中で待ち構えられてたらどうするのよ!」

「どのみちこのままではじり貧だ! 賭けてみるしかない!」


 アレックス達はドームに走り寄ると、力の限り扉を押してみた。かなり重たいが、地響きのような音を立てて扉はゆっくりと開き、アレックス達はその隙間から体を中に滑り込ませてすぐに扉を閉じた。


「何だ、ここは?」


 アレックスはドームの中を見回して呟いた。

 中は異様な光景だった。無数に並べられた人が入れるぐらいの大きさのカプセルが何かの機械に繋がれて、規則正しく並べられている。中には緑色に発光する液体が詰められており、何をするものなのか皆目見当がつかなかった。しかしこれだけははっきり分かる。この世界には高度な知性を持った生物が存在するのだと。


 その時、扉の外から唸り声や遠吠えが聞こえてきた。先程まで追いかけていた連中が扉の外でたむろしているのだろう。残念な事にこの扉にはカンヌキのようなものは見当たらない。アレックスとチヅルで扉を抑えてもすぐに突入されてしまうだろう。


「……終わった。完全に俺達の負けだ。チヅル、ダイブアウトするぞ」


 ダイブアウト。つまり元の世界に戻ると言う事だ。それを聞いたチヅルは、血相を変えて反論する。


「そんな! まだ収穫が無いじゃない!」

「きっとすぐに奴らは扉を開けて入ってくる。それでもう終わりなんだ。諦めるしか無いんだよ。俺だって……」


 アレックスは静かにそう言い放つと、手を握り締めて歯を食い縛る。

 舐めているつもりは無かった。グレードSは、今まで潜ってきた世界とは違うのだと。だが結局はこの様だ。たった1つの判断ミスから追い詰められてしまった。悔やんでも悔やみきれない感情がその身に募る。


「いくぞ」

「……うん」


 2人はロブグローブのコンソールを操作する。すると、たちどころに青い光に包まれた。


「きゃ!」


 チヅルの驚いた声にアレックスは振り向くが、なぜそんな声を上げたのか確認出来ずに、2人はこの世界から姿を消してしまう。一体、何が起きたのかも分からぬまま。




 かかった、か?


 ああ。予定通り、あれは向こうの世界へと渡った。これでついに種は蒔かれた。後はあれから送られてくるデータを解析するだけだ。


 くく、愉しみ、だ。どれぐらい、時間、かかる?


 向こうの言語解析と、世界リンクの確立にはそれなりに時間がかかる。まあ、あれが殺されれば言語解析はできなくなるが、それでもリンクだけは張る事が出来るはずだ。


 急げ、よ。お前しかできない、のだから。


 分かっている。私とて、楽しみで仕方ないのだ。この時をどれほど待ちわびたか。後少し、後少しで私達の悲願は叶うのだから――

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