第26話 古沼に住まう海鼠(前編)

 ダイブ特有の浮遊感が消え、ジェフェリーは目を開ける。そこには見たことも無い巨大な葉がほとんど隙間無く、一面に敷き詰められていた。

 自分とチヅルとカークは、その葉の1枚に立っていた。ジェフェリーはとりあえず、手に持っていたタンクを葉の上に下ろす。


「くー! 久々のダイブだ。腕が鳴るぜ!」

「馬鹿に張り切ってるじゃない」

「そりゃあなあ。ここ最近の俺ときたら、馬鹿だ馬鹿だと罵られて殴られて。まるで良い所が無かったからな。ここらで挽回しとかないと、へたれキャラが定着しちまう」

「馬鹿は本当でしょうに。さて、制限時間は……1時間!?」


 ロブグローブに目をやったチヅルは目を丸めた。1時間というのは、おそらく現存しているロストブックの中でも最短の制限時間だろう。


「この世界は制限時間が恐ろしく短いんだ。だから計画的に動かないとすぐに終わっちまう。あと足元に気をつけろよ、葉の隙間から下に落ちると即食われちまうぜ?」

「え?」


 言葉の意味がいまいち理解出来なかったらしいチヅルは、屈み込んで葉と葉の隙間を覗いた。一緒にジェフェリーも覗き込む。そこには、ちゃぷちゃぷと水が波打っていた。


「これって……」

「そ。ここには陸地なんて無いのさ。ほとんどの生物は俺達の足の下。葉の上にいる俺達は格好の餌ってわけだ」

「厄介ね。いきなり下から襲われたら対応出来ない……」


 そう言いながら、チヅルが確認するように足場を強く踏む。葉の表面はぶよぶよとしていて、力がうまく伝わらない。走ったり飛んだりする事が難しいのだ。この上で戦うには不利な条件だった。


「……何?」


 チヅルが周りの葉を見ていぶかしむ。ジェフェリーも同じく見渡して気付いた。自分達を中心に、葉が不規則に揺らめいている。


 揺らめいていた葉が、突如水柱と共に上空へと吹き飛んだ。まるで噴水のように正面から右、そして後ろと時計回りに水柱が上がる。そしてそこから現れたのは、5メルセルク強ほどもある、紫のマーブル模様をした魚のような生き物だった。

 人など軽く人飲みしてしまうほどの巨大な口には鋭利な歯が生え揃っており、食いつかれればあっという間に持ってかれてしまうだろう。


「うえ、気持ち悪……」


 チヅルがあからさまに嫌悪感を表に出して後ずさりする。おそらく、魚もどき達の容姿が生理的に駄目なのだろう。魚もどきの腹下には6つの太い足が生えている。そのどれもが筋肉質で、先には巨大な鍵爪がついていた。あれに引っかかってしまえば、人間の皮膚などきっとひとたまりも無い。

 それが周囲に8体。完全に囲まれている。端から見れば、十分に危機的な状況だった。

 だが、ジェフェリーは余裕たっぷりと言った表情で、それらを見渡した。


「こいつらはダライアだな。特別な能力はなく馬鹿力なだけだが、結構生半可じゃ無いらしいぞ。それじゃま、先に行かせてもらうとするかね。カーク!」


 ジェフェリーが力強くその名を呼ぶと、カークはジェフェリーの両肩にしがみ付いて負ぶさった。


 すると驚く事に、カークの姿が文字通り溶けてジェフェリーの全身を覆っていく。肩から胸へ。さらにそこから腕や足へ。瞬く間に、ジェフェリーはダークパープルの鎧を身に纏った。スレンダーな形状で、カークの毛皮が表面を覆っている。右肩口には、カークの頭部が肩当てとして付いていた。


 これこそ、HO疑似生命体であるカークの能力だった。流体となったカークは、その場その場の状況にあわせて姿を変え、時には鎧や盾に、そして武器となってジェフェリーを補佐する。


 ジェフェリーはまず、隣の葉に乗り移る。そこにいれば、ダライアの攻撃で葉の上に置いたタンクが、水の中に落ちてしまいかねないからだ。


「突っ込むぞ!」


 その声に呼応し、カークは鎧を解いて両足に集まる。ジェフェリーの両足に無骨なブーツが現れた。

 ジェフェリーは一蹴りで飛び出す。その際に発生した反動で、足場だった葉は衝撃で千切れ、四散した。

 狙うはまず正面の1匹。相手もそれに素早く反応し、高々と飛び上がった。飛んでしまったジェフェリーは、すぐにそれを追いかける事が出来ない。

 だが、


「っと、そら!」


 空に逃げたダライアに向かって手を伸ばす。するとそこから尻尾のようなワイヤーがダライアに向かって一直線に伸びた。カークを瞬時にワイヤーへ変化させたのだ。

 ワイヤーはダライアの足にしっかりと巻きついた。そこを支点に、ジェフェリーの体は半円を描いて上空へと方向を変える。そして、絶妙のタイミングでワイヤーをダライアの足から離す。ジェフェリーの体は吸い込まれるように、ダライアの背中へと降り立った。


 ジェフェリーは右腕を振り上げる。するとそこから、巨大なカークの顔が現れた。普段の人懐っこい表情ではなく、金の目を凶暴にぎらつかせ、鋭く巨大な犬歯が剥き出しになっている。


「カーク、食い千切れ!」


 ジェフェリーはそれをダライアの背中に向かって振り下ろした。牙は深々と突き刺さり、万力の如き力で肉を食い千切る。そこからダークグリーンの血が噴水のように溢れ出した。ダライアは苦しそうに身をよじるが、すぐに力尽き動かなくなる。


 だが一息吐く間もない。この状況を好機と見た残りのうち5体が、一直線にこちらに向かって飛びかかっていた。


「お熱いラブコールはありがたいんだけどな。俺はスーヤ一筋なんでね」


 軽口を叩くと、先ほど倒したダライアの死体を蹴って、さらに上へと飛ぶ。飛んできたダライア達は、ジェフェリーのいなくなったダライアの死骸に向かって歯を突き立てる。哀れ、それは仲間達の牙によって無残に引き裂かれ、腹の中へと消えていった。


 上空に逃げたジェフェリーだったが、かなり状況が悪い。先程のダライア達は既に地上へと降り立ち、ジェフェリーが落ちてくるのを今か今かと待ち構えている。引っ掛けるものが無い状態では、先程のようにワイヤーで方向を変える事も出来ない。このままでは、真逆さまにダライアの口の中へ落ちるしかない。

 だが、あえてジェフェリーは落ちる道を選ぶ。


 上昇が止まったジェフェリーの体は、重力に引かれて一直線にダライアの群れへと突っ込んでいく。そこの1匹が、落ちてくるジェフェリーに目掛けて、大口を開けて待ち構えていた。

 抵抗もせず、ジェフェリーがその口の中へ突っ込んだ。だが、つんざけるような悲鳴を上げたのは、ジェフェリーを食らったはずのダライアだった。


「惜しかったな。あとちょいで食えたってのに」


 ジェフェリーはいつの間にか、全身に鋭利で長い棘を身に纏っていた。ダライアは口から腹にかけてその棘でずたずたに引き裂かれ、花のように広がって息絶えた。


 それを見た他のダライアは猛り狂ったようにジェフェリーに襲い掛かる。だが、ジェフェリーの覆っていた棘がさらに伸び、残りの3体を串刺しにする。何とか棘から逃げようともがくが、完全に食い込んだそれは抜けない。やがて力尽き、痙攣しながらそれらは絶命した。


 ジェフェリーは棘を引っ込ませ、元の鎧へと変化させる。


「さて、チヅルの方は、と……」


 ジェフェリーは周囲を見回してチヅルを探す。ジェフェリーからそう遠くない離れた場所で、チヅルがハンマーを振り回しながら戦っているのが見えた。しかし、どうもチヅルの動きが悪い。3匹の攻撃をさばくのに手一杯で、攻め手を欠いていた。


「……らしくねえな」


 眉をしかめて、ジェフェリーが一人ごちる。

 チヅルは不利になろうと力で無理やりにこじ開けるスタイルの筈。足場が悪く普段通りの動きが難しいとはいえ、あんな後手後手に回る戦い方をする訳が無い。何か気にかかる事でもあるのか、戦いに集中できていないように見える。


「放っておく訳にもいかないか」


 このままでは押し切られかねない。ジェフェリーはカークをブーツに変化させると、全力で飛び出した。狙いは3匹の中でチヅルから一番遠い1匹。ジェフェリーは右腕を突き出し、拳から先を鋭い槍の形状に変化させた。

 そのまま、ジェフェリーは狙った1匹に突撃する。奇襲は避ける間もなくダライアの横腹を穿つ。巨大な風穴を開けられたダライアは悲鳴すら上げずに倒れた。


 間髪入れずにジェフェリーは次のターゲットを見定める。一番近いダライアを見つけると、それに向かってワイヤーを飛ばす。ワイヤーはダライアの体に絡みつき、ジェフェリーの慣性に引き摺られる形で倒れてしまう。


 うまい具合に勢いが殺せた後、次はワイヤーを収縮させて、ジェフェリーはダライアの元に飛んでいく。ダライアは起き上がる暇も無いまま、飛んできたジェフェリーが作ったカークの顎によって喉笛を食い千切られ、血を噴き出しながら息絶えた。


(最後は……!)


 後残りは1匹。カークを鎧の状態に戻し、すぐに索敵を開始する。だが、最後の1匹は既にチヅルによって叩き頭部を叩き潰されていた。


 ジェフェリーは髪をかきあげて一息吐くと、チヅルの元に近寄っていく。だが近付くにつれて、ジェフェリーはチヅルの異常に気付いた。大して激しい戦いでも無かったはずなのに、肩で息をするほど呼吸が乱れている。


「……なあ、一体どうしちまったんだよ!? あんな奴らにてこずるほど、お前が弱い訳無いだろ!」


 ジェフェリーが攻撃的にチヅルへ噛み付く。今のチヅルでは、ジェフェリーは安心して背中を預ける事など出来ない。ジェフェリーの怒りはもっともだった。

 いつもならここでチヅルの反論が来る筈だった。だが、チヅルは何も言い返してはこない。迷いの有る目でジェフェリーを見つめ、しかし口を閉ざし続けている。そんな態度にジェフェリーは激しい苛立ちを覚えた。


「いい加減にしろ! スーヤの命がかかってんだぞ! 何を迷ってるか知らねえが、そんな中途半端な状態でなんで付いて来た! 正直迷惑だ!」

「……あんたは、スーのあの言葉を聞いてないから!」


 突如、チヅルが激昂する。だがそれは逆切れもいいところだった。結果、火に油を注ぐ形となり、ジェフェリーはさらに語気を強める。


「あの言葉って何だ! 俺はな、今まで誰とも組まなかった。組みてえと思った奴がいなかったからだ。けど、お前やアルとなら組んでも良いと思った。それだけお前達を信頼してたんだ! それを……!」


 ジェフェリーは思いの丈をありのまま、チヅルにぶつけていく。しかし、途中で言葉を切ってしまった。足元に微細な振動を感じたからだ。


「くそ、餌を撒いたはいいが、来るのが早過ぎだ」

「餌?」

「この世界の主は水の中だ。地上へ引き摺り出すには、血の匂いで誘き寄せる必要がある。それがダライアだ」


 すっとジェフェリーの目の色が変わる。力強さと殺気が入り混じった色は、正真正銘の本気になった証拠だった。

 水柱が辺りに立ち昇る。浮かんでいたダライア達の死骸が、次から次へと水の中に引き摺り込まれてしまった。見れば、水中から何か細長い物がダライアの体を絡め取っている。


「何!?」

「早速おいでなすったな」


 ダライアが消えた所からぼこぼこと水泡が上がる。その泡が消えた瞬間、何か巨大なものが水面から飛び出してきた。それはボスンという鈍い音と共に葉の上へ落ちてきた。

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