第7話 人ではない人のようななにか
「ん……」
階下で鳴り響くベルの音で、チヅルは目を覚ました。
ふらふらと覚醒しきれない頭を揺らしながら、おぼつかない足取りで階段を下りていく。そして、リビングにある電話の受話器を取って耳に当てる。
「はい、チヅル・イサナギですが」
『ローランドだ。朝早くにすまないね。実はまた君にトリガー制作を頼みたいんだが』
「ああ、お断りします」
『いや、そう言わずに話だけでも……』
「なんと言われても、お受けしませんので」
『この……今までいくつも仕事を回してやったのは誰だと思っているんだ! お前のようなしがない技術屋は、はいはいと客の言う事だけ聞いていれば良い!』
すでに寝ているところを電話で叩き起こされたところに、この失礼極まりない一言で、怒りのボルテージは一気にMAXを振り切った。
「舐めんじゃないわよ……」
『何だと?』
「舐めるなっつってんのよ! 人に散々無茶な注文を押し付けといて、よくそんな事がいえるわね。あんたみたいな技術屋を軽んじる奴に、私のトリガーはもう扱わせない! 金輪際、アンタからの依頼は受けないわ。じゃあね!」
『お、おい! まだはな……』
これ以上話す事なんて何も無い。チヅルは力の限り、受話器を叩きつけてやった。
「……うはははははは! ああ、スーッとした!」
チヅルは腹の底から大声で笑う。
今の依頼主こそ、ここ最近チヅルに無理難題を吹っかけてきた張本人だった。溜まりに溜まった不満をここぞとばかりに突きつけて、溜め続けたストレスを一気に吐き出してやった。
「別に1つぐらい顧客口を無くしても、生活は全然困ら……あ! やっちゃった……」
チヅルは大切な事をすっかり忘れていた。グレードSのロストブックを購入して、すでに貯蓄はほとんど底を突いていたのだ。正直、明日の食費にさえ困るような状態で、今は1件でも仕事が惜しい。そんな中で仕事をふいにしてしまったのは、今後の事を考えるとこの上なく苦しい事だった。
(まずったなあ……せめて、1つでもモジュールが手に入ってればこんな事には……)
そこまで考えて、はっと顔を上げた。もう1つ大切な事を思い出したのだ。自分がロストブックから連れ帰ってきてしまった、小さな子供の事を。
気が一気に張り詰める。顔は緊張で強張り、言い知れない何かが全身を襲う。それは事実を認めたくないという拒否反応だった。だが、いつまでもあの部屋に1人にしておく訳にはいかない。チヅルは重たい足取りで、一歩一歩あの部屋へと歩いていく。
階段を上り、ほどなくドアの前に来た。チヅルは出来るだけ大きく息を吸い、意を決してドアを開ける。
すでに昇りきった日の当たる部屋の中、少女はすでに起きて、ベッドの上に座っていた。
(あれ?)
その時、チヅルは何かがおかしい事に気付いた。何かは分からないが、妙な違和感がある。掴み所の無い不安に、チヅルは思わず一歩足を引いてしまった。
少女はこちらに気付き顔を向ける。そしてチヅルを見つけると嬉しそうに破顔した。ベッドから降りるとこっちに向かって走り出し、そのままの勢いでチヅルにしがみついた。
上を向く少女と、チヅルの視線が合う。
そしてようやく分かった。背が、伸びていたのだ。
少女の年頃なら成長期真っ只中だろう。背が伸びても全く不思議ではない。だが、その伸び方が異常すぎる。昨日はチヅルの膝ぐらいまでしかなかったのに、今日はそれと比べると、少女の頭一つ分ほど大きくなっていた。
人では……ない
成長期などという説明ではありえないほどの成長。改めて突きつけられる現実に、チヅルは恐怖した。
人の形に見えて人ではないもの。それが笑って今、自分にしがみついている。
少女の笑い顔がひどく喜色悪い。もう子供のあどけなさなど、微塵も感じられない。こちらの全てを見透かし、嘲笑っている。底知れない目と、弓なりに裂けた口が嫌らしく歪み、それがチヅルの全身を鳥肌たせた。
「ひ、いや!」
耐え切れずに、チヅルは少女を突き飛ばす。少女はごろごろと転がり、チヅルは慌てて戸を閉める。そして、背中でドアを押さえつけると、その場にへたりこんでしまった。
『あーーーーーー!』
部屋の中から少女の泣き声が聞こえる。それを聞くまいと、チヅルは両手で必死に耳を塞ぐ。
「やめて! これ以上、私を乱さないで! お願いだから……もう……」
チヅルの願いも虚しく、少女の泣き声は屋内から漏れ続け、背のドアからはドンドンと叩く振動が伝わる。
チヅルはただ、そのまま耳を塞いでいる事しか出来なかった――
「さて、どうしたものか……」
アレックスは迷っていた。どうやら風邪は引かずに夜を乗り越えられたが、相変わらず門戸は閉ざされたままだったからだ。
問題なのは、チヅルがもう起きているかどうか。すでに日の昇りからして、正午を回ろうとしている時間帯だろう。しかし、昨日寝静まった時間から考えると、チヅルがまだ寝ている可能性は高い。
ここで玄関を壮絶にノックしようものなら、またあれを怒らせる事になる。すると必然的に締め出され、今日も野宿を強いらされるのだ。それは最悪のシナリオと言っていい。
このままここでチヅルが起きるのを待っているのが一番堅実なのだが、正直いつ起きてくるか分からない。あんな事があった後だ。疲労は相当溜まっているだろう。もしかしたら、今日1日起きてこない事だって有り得る。
アレックスはしばらく悩んだ末、夕刻まではここで待ち、それでもチヅルが現れない時はノックする事に決めた。ここにいればもし何かあった際でも、玄関を蹴破って中に入る事が出来る。それに、
(たまにはこうやって、のんびりと過ごすのもいいな)
今日は秋に入ったにしては良い陽気だ。日の光は程よい熱を持ち、日向ぼっこにはうってつけと言えた。アレックスは手近な草の上へ横になる。光が目を射し、微かに青臭く懐かしい匂いがした。
「くぁ……眠ってしまいそうだ」
小さいあくびが口をつく。日光があまり目にかからないように体を横向きにして、完全に寝る体勢に入った。
その時、チヅルの家から電話の音が鳴る。1回、2回、3回……8度目の音でようやく電話のベルが止まった。
アレックスは体を起こして立ち上がり、玄関の戸に耳を押し当てる。すると、中からチヅルの尋常じゃ無い怒鳴り声が聞こえた。その迫力に、アレックスが思わず戸から飛びのいてしまったほどだ。
「はあ。これはまた、壮絶に機嫌が悪いな……」
今、こちらの存在を気付かせるのは得策ではない。アレックスはチヅルの怒りが収まるまで外にいるしかなかった。仕方なく玄関前に腰を下ろし、背中を戸に預けてその場に待機する。
だが、程なくしてまた微かにチヅルの声がアレックスの耳に届いた。
『いや!』
「まさか……くそ!」
それだけで何かが起こっている事は明白だ。迷っている暇など無い。アレックスは後ずさりすると、全身の力を込めて玄関に体当たりをかます。後でチヅルにどやされるかもしれないが、今はそんな事を考えている場合ではない。
玄関は予想より強固だった。アレックスは何度も体を打ちつけ、5度目の挑戦でようやく戸は壊れた。
「チヅル!」
名を呼びながら辺りを探したが、1階にはチヅルの姿は見当たらない。階段を見つけると、それは2階と地下に伸びていた。
チヅルの研究室は地下にあると聞いた事がある。ならば、子供がいるのは2階のはずだ。アレックスはそう判断して、階段を駆け上る。
2階についてアレックスが目にしたものは、ドアの前で耳を塞いでうずくまるチヅルの姿だった。
「おい、チヅル! どうした!」
アレックスはチヅルに駆け寄り、肩を掴んで軽く揺さぶる。
チヅルは泣き腫らした顔でアレックスを見上げ、そのまま抱きついた。
「もう駄目! やっぱりあれとは暮らしていけない! 人じゃなかったのよ、化け物だったのよ! 一緒にいたら私、きっといつか殺されるわ……」
「今はとりあえず落ち着くんだ。話はそれからでいい」
どうみても錯乱状態にあるのは明らかだ。だからアレックスは、そっとチヅルの肩を抱き、そのまま胸を貸した。
しばらくの間、チヅルはそのまま泣き続けた。その状態が10分ほど続き、ようやく嗚咽が止まった事を確認すると、アレックスはチヅルをそっと自分から離す。
「もう平気か?」
「……ん、少しだけ落ち着いたかも」
両手でごしごしと顔を擦りながら、チヅルは顔を上げた。
「なら教えてくれ。一体何があった?」
「あのね、背が……伸びてたの」
「……は?」
至極当然の出来事に、アレックスの目が点になった。背が伸びるなど、子供なら当然の事だ。一体それの何が悪いのだろうか。
チヅルはアレックスの反応に気付いたようで、慌てて言葉を選び直した。
「ち、違うの。その、たった1日じゃありえないほど伸びてて。それで気付かされたの。やっぱり、この子は人間じゃないんだって……」
そう言うと、またチヅルは俯いてしまう。
アレックスは内心驚いていた。自分の認識では、チヅルはもっと芯の強い女性だと思っていた。常に気丈で感情の起伏が激しく、怒り出したら手がつけられない。昨日の狼狽は状況についていけなかったせいで、落ち着けばいつものようになるだろうと。だが、それは間違いだったのかもしれない。
今のチヅルに、もうあの子供を養う事は出来ないだろう。アレックスも引き取る事は出来ない。
ならば、道は1つだけ。
「なら、殺すか?」
一言一言を紡ぐように、アレックスは告げる。
チヅルは弾かれたように顔を上げる。その表情に迷いは見られるが、否定の言葉は出てこない。アレックスはそれを肯定と受け取った。
「チヅル、お前は家の外に出ていろ。なるべく、痕跡が残らないように処理する」
そう言うとアレックスは立ち上がり、チヅルに手を差し出す。チヅルはその手を取り、ふらつきながらも立ち上がった。
「早く行け。ここにいると、子供の悲鳴が聞こえてしまうかもしれないからな」
「アレックス、私……」
「気にするな。いつかはこうなったのかもしれない。それが少し早まっただけだ」
「……ごめん!」
その一言を残し、チヅルは階下へと走り下りていく。
アレックスはそれを見送ると、その場にどかっと座り込んだ。あの子供は殺す。殺すがまだアレックスにも心の準備ができていない。自分の心を落ち着けて覚悟を決めるために、アレックスは精神を落ち着けていた。
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