第21話 それでも前に

「どうじゃ? チヅルの様子は」

「相変わらずだ。自室に閉じこもって丸3日。食べ物はおろか、水だって飲んでいない筈だ。この後、殴りこんででも何か食べさせる」


 アレックスとロイスは陰日向にいた。いつものようにカウンターに座り、世間話をしている。だが2人の表情は浮かなかった。原因は2つある。


 1つはこの街の現状。人が全くいなくなり、すっかり寂れてしまっていた。戦争をしようというロストブックの住人が四六時中、街の頭上に控えているのだ。まともな神経なら、とてもこの街にはいられない。今街にいるのは、1月後に迫っている未曾有の大決戦の準備を進めている国軍の関係者くらいだった。


 もう1つはチヅルの精神状態。チヅルはあれからずっと自室に閉じこもったままでいた。いくらアレックスが呼んでも返事の1つも返さない。


「まさかとは思うが、その、自さ……」

「チヅルは生きている。微かにすすり泣く声が聞こえたんだ。少なくとも昨日の時点ではな」

「そ、そうか」


 その時、荒々しい音と共にジェフェリーとカークが店に入ってきた。その顔は、普段の飄々とした表情ではなく、不審に満ちた険しい顔だった。


「ジェフェリー」

「お前達は知ってるんだな。あれの正体や、どうしてスーヤがいなくなったのか。教えてくれ、もう俺だけ蚊帳の外なんて嫌なんだよ!」


 腹の底から搾り出すような声で、ジェフェリーはアレックスを問い詰める。

 アレックスは視線をロイスに向けた。ロイスが頷いて返したのを確認すると、ゆっくり語り始めた。


「分かった。1年前の事だ。俺とチヅルはグレードSのロストブックに潜った。そこにスーはいた」

「待てよ、まさか……」

「だが、ダイブアウトした際のミスで、スーをこの世界に連れて帰ってしまったんだ。そして今、この上空にいる者達の正体はあのロストブックの住人に間違い無い。スーは……あいつ等の仲間で、人間では無かったんだ」


 最後の言葉がアレックスの口から出た瞬間、ジェフェリーはアレックスの顔を殴り飛ばした。豪快な音を立てて椅子を倒し、アレックスは床へ横様に倒れる。


「おい、ジェフェ……!」

「いや、いいんだ」


 ジェフェリーを諫めようとするロイスを、アレックスが腕で制して止めた。アレックスは床に手を着いて立ち上がり、口元ににじんだ血を袖で拭く。


「今までずっと黙っていたのは悪かった。お前が怒るのも無理は……」

「そんなんで怒ってんじゃねえ!」


 ジェフェリーの怒声が、アレックスに叩きつけられる。


「お前、今なんていった? スーヤが俺達の敵で、人間じゃない? 馬鹿野郎! お前はスーヤの事をいつもそんな風に思ってたのかよ! 笑って、泣いて、時々怒って、俺達とどこが違うんだ? ああ?! 人間であるために他に何が必要だってんだよ! あの子は人間だ。人間なんだ! お前がそれを信じてやれなくてどうするってんだ!」


 そう一気にまくし立てるジェフェリーの声に、嘘偽りの色など全く感じられなかった。スーヤを信じ、スーヤの事を想って怒っている。


(それなのに、俺は……)


 表面上はスーヤを信じ、考えているように見せていた。だが、その実は常にスーヤを疑っていた。スーヤはもしかしたら、自分達を騙しているのではないか。いつ自分達に牙を向き、殺そうとしてくるのかと。だがそんな事を考えていても、結局アレックスは何も出来はしなかった。


 さらに蓋を開けてみれば、そんなのは結局アレックスの思い込みに過ぎなかった。チヅルが言っていた。泣きながらごめんと謝っていたと。

 1年間スーヤを見てきて1つだけ確信を持って言える事がある。スーヤは嘘をつけない。隠し事は時々するが、一度でも本心と違う事を言った事は無い。あの時チヅルに謝っていたなら、それは間違いなくスーヤの本心だ。


 スーヤに持っていた疑惑の念が、ゆるやかに晴れていく。今度こそ本心から、スーヤの事を信じてやれる気がした。


 黙ったまま何も言い返そうとしないアレックスを尻目に、ジェフェリーはその場から立ち去ろうとする。


「ジェフ、どこへ?」

「スーヤを助けに行く。あの子は絶対に、望んで行っちまった筈が無いんだ。お前等がいつまでも腑抜けているなら、俺1人でも必ずスーヤを助けてやる!」

「なら俺も行こう」


 ジェフェリーがアレックスに振り向く。普段の彼からはおよそ想像もつかないほど、その眼光は怒りに満ちていた。迫力なら、あのチヅルにも匹敵するほどだ。


「聞こえなかったか? 腑抜けた足手まといはいらねえんだよ!」

「確かにお前の言う通り、俺は腑抜けていた。さっきまではな。だが……」


 途中で言葉を切ると、今度はアレックスがジェフェリーの顔面に猛烈な勢いの拳を叩き込む。鈍い音と共に、ジェフェリーは文字通り体ごと吹き飛んだ。床をもんどりうち、本棚に激突して、本の雨を全身に浴びてしまう。カークが慌てて前足で本の山を掻き出し始めた。


 ジェフェリーは憤怒の感情を隠そうともせず、自分を埋めた本を荒く払い飛ばすと、アレックスに近付いて乱暴に胸倉を掴む。だが、ジェフェリーを見つめるアレックスの目は、まるで風1つ無い湖のように穏やかだった。


「てめえ! いきなり何しやがる!」

「礼を言おう。お前のスーへの想いと、さっきの1発で目が覚めた。今のを食らってまだ俺が腑抜けていると思えばもう好きにするといい。俺も1人でスーを助け出す術を見つけるまでだ。それに、いきなりはお互い様だろう。お前だって問答無用だったんだからな」

「へ、そりゃどーも。だがな、俺も今ので火が入っちまったぜ。久しぶりにやるとしようや、殴り合いのケンカをよ。表へ出ろ。力の差ってやつを思い知らせてやる」

「いいだろう」


 誰にも入り込む事が出来ない、一触即発の空気が2人の間を流れていた。それに圧倒されて、普段なら仲介役である筈のロイスは、さっきから一言も口を挟む事が出来ない。

 ジェフェリーはアレックスから手を離すと、店の出口へ歩き出した。カークがその脇へ寄り添うように付いて歩き、アレックスもその後をついて歩く。


「ったく、なーに青春してんのよ。もうそんな年でも無いでしょうが」


 突然、その場にいた誰でもない声がどこからか響いてきた。アレックス達は驚いて立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回す。

 足音が聞こえ、声の主が本棚の陰からゆっくりと姿を現した。ぞろっとした長い白衣。吸い込まれそうな黒曜の髪。きつい切れ長の眼差し。それはここにいる誰もが知っている。


「チヅル! お前、何でここに……」

「あんたら2人に会うなら、ここが1番だと思ったからよ。全く、さっきから聞いてれば一緒に行くだの行かないだの。そんなの、ばらばらに行動したってうまく行くはずが無いじゃない」


 人を小馬鹿にしたように目を細めて肩をすくめる。そんな仕草といい、声のトーンといい、あの事が起こる前のチヅルとなんら変わらない。一体、何があったのだろうか。


「チヅル、お前もう大丈夫なのか?」


 アレックスの問いに、チヅルは気恥ずかしそうに頬を掻いて、目を逸らした。


「ああ。あんたにはちょっと情けないところ見られちゃったわね。……正直ね、まだ全然泣き足りない。相変わらず頭の中はぐちゃぐちゃで、手当たり次第に壊したくなる衝動が突然湧き上がってくるの。でも」


 チヅルはアレックス達を見つめる。その視線は一切揺らがず、何かを秘めた確固たる意思が伝わってきた。


「私は一刻も早くスーを助けたい。そのためなら何だって耐えてみせる。だからお願い。アル、ジェフ、ロイス。私に、力を貸して」


 チヅルは3人に向かって深々と頭を下げる。今まで誰にも頭を下げた事の無いチヅルが、人生で初めて自分から頭を下げた瞬間だった。


「お前……」


 アレックスは驚きで言葉をなくした。スーヤが行ってしまった事で一番ショックが大きかったのはチヅルのはずなのだ。だが、立ち直るのに3日かかり、今も整理がついていないとはいえ、自分の足で立ち上がった。その強さは以前には無いものだった。


「全く、格好悪いな。結局腑抜けていたのは俺だけって事か」

「違う」


 口の端を歪め自らを皮肉ったアレックスを、チヅルは強く否定した。その一言にはアレックスをはっとさせるほどの重さがあった。


「あんたが毎日、ドア越しに声をかけてくれたから、私は立ち上がれた。くじけそうに、押し潰されそうになる私を押し留めてくれたのはアル、あんたの声があったから。これはお世辞や慰めなんかじゃない。あんたのおかげで私は救われたの」


 アレックスをしっかりと見つめてチヅルはそう言い放った。力強く貫くように真っ直ぐな視線。その姿にある人物が重なった。

 アレックスは笑う。先ほどのような自嘲ではなく、強く口元を引き締めて。


「やるか。全員でな。必ずあいつらの手から、スーを助け出してやる!」

「ま、チヅルに頭を下げられちゃ、断れねえよな。俺の愛の力はどんなものだって阻めやしない。それを証明してやるぜ!」

「ったく、私はそういうノリ苦手なのよ。でも今は嫌いじゃない。スー、待ってて。あなたが何を言ったって、必ず私が連れ戻す!」


 3人は拳を上げて軽く当て合う。

 多少の齟齬はあるものの、思いは1つにまとまり3人は歩き出す。全てはスーヤのために。

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