第16話 白き捕食者(前編)

 体の浮遊感が消えた後、スーヤはゆっくりと目を開けた。


「すごい……」


 そこは光もほとんど届かない、鬱葱とした密林だった。チヅルの家の周りにある林など比べ物にもならない。

 ただ、それだけ薄暗いのに陰鬱とした雰囲気ではなく、むしろどこか気が癒される感じがした。


「無事に着いたわね」


 声に振り向くと、すぐ後ろにジョイスが立っていた。ただ、あの青いローブは既に脱ぎ捨てられ、動きやすそうな黒のインナーとスラックスに変わっていた。


「さあ、これからはアナタだけで行動しなさい。もうダメだと思ったら大声を上げるのよ。すぐに助けに行くから。あと、ちゃんと残り時間も確認する事。それが過ぎると戻れなくなるからね」

「あ、そうだった」


 慌ててスーヤは、ロブグローブに表示されている時間を確認する。

 残り3時間。かなり短めに設定されているが、なんとかこれでやらなくてはならない。


「それじゃ幸運を祈るわ。じゃあね」


 ジョイスはそう言い残すと、いつの間にか手に持っていた鞭を頭上へと振り上げる。鞭は木の枝に引っかかり、鞭が自動的に縮んでジョイスの体を上に引っ張り上げる。ジョイスの姿はあっという間に無数の木の中に消えてしまった。


「……よし、頑張ろう!」


 両手をぐっと握り締めてスーヤは気合を入れ直した。


「まずはターゲットがどこにいるか探さないと……あれ?」


 辺りを見渡すと、フワフワした掌に収まるぐらいの白い毛玉が、自分を取り囲んでいる事に気付いた。よく見ると、毛玉には2つの円らな瞳がついており、それがこちらを伺っている。


「うわ、カワイイ!」


 スーヤは思わずしゃがみこんで、おいでおいでと手をこまねく。それに反応したのか、周りにいた毛玉はスーヤのところへ走り出した。しかし、


「つっ!」


 スーヤは肩口に鋭い痛みを覚えた。慌てて見ると、小さな噛み傷が出来ていた。

 スーヤはすぐさま飛び退いて、毛玉との距離を取る。だが、毛玉の群れはさらにスーヤを追いかける。見れば、1匹の毛がスーヤの血らしき赤い色に染まっていた。


「やだなあ……。こんなにかわいいのに肉食なんだ」


 スーヤは仕方なく構えを取る。動きは早いがカークほどではない。ものの10分もあれば追い払う事が出来るだろう。


「やああぁ!」


 スーヤは叫びを上げて白き群れに立ち向かう。同時に、白き群れもスーヤに向かって飛び出していた。




「あらあら、スティールバイト相手に正面から戦うなんて。大変な事になるわよ」


 木の上からこっそりと様子を伺っていたジョイスが呟く。

 スティールバイトは可愛らしい見た目とは裏腹に、素早い動きで獲物の肉を少しずつ掠め取っていく。一度獲物を見つければ、次から次へと湧き出し、あっという間に100匹以上の大群が押し寄せるのだ。


「あのままなら持って1時間。その頃にはもう対処できずにゲームオーバーね。まあ……俺にとってはその方がありがたいがな」


 急にジョイスの顔付きが男らしくなり、口調からもカマらしさが抜けた。


「アルも俺が両刀ってのは流石に知らなかったか。こっちの顔はほとんど出さないからな。まあ、ちょっと若すぎる気がしないでもないが、終わったらゆっくり介抱してやるさ。ゆっくりとな」


 ジョイスは舌なめずりをしながらスーヤを監視する。そのねっとりとした視線に、スーヤは気づく事はなかった。




「ああもう! きりが無いよ!」


 片手で捕まえていたスティールバイトを木へ投げつけながら、スーヤは叫ぶ。

 スティールバイトの群れと戦い始めて既に1時間。スーヤは未だ、その場から動けずにいた。スーヤの体力は常人と比べれば桁外れだが、流石にこれだけの長期戦は辛い。呼吸は乱れ、体のあちこちを噛み付かれて血が流れていた。

 スティールバイトの数は10倍以上に膨れ上がっていた。個体能力は大した事無いものの、1匹倒せば2匹、2匹倒せば4匹という感じでどんどん増えていく。これ以上増えれば、逃げる事もままならなくなってしまう。


(もう逃げるしかないよね。ほんとは嫌だけど)


 スーヤは覚悟を決め、群れを振り切る事にした。

 隙を見て背負っていたサックの口を開けると、中から5つの黒い玉を取り出した。それを地面へ叩きつける。

 その瞬間、ものすごい量の煙が辺りを包んだ。アレックス特製の煙玉だ。この煙は視界を奪うほかに匂いを吸着する効果があるため、鼻の効く相手でも巻く事が出来る。


 スーヤはその場にしゃがみ込むと、全力で垂直に飛んだ。そして1本の枝にしがみ付くと、木に素早くよじ登る。

 頭上の枝を掻き分け、猿のように枝から枝へと飛び移る。だがスティールバイト達も、簡単には逃がしてくれない。後方から、がさがさと追いかけてくる音が聞こえる。

 スーヤは横に逃げるのをやめ、木の天辺へと登り始める。その場から10メルセルクほど昇ると、急に視界が開けた。


「はー、すごいな……」


 スーヤは思わず溜息を漏らした。天辺から見た全方角が完全な森なのだ。


「っと、浸ってる場合じゃなかった」


 スーヤは逃げている立場である事を思い出すと、自慢の跳躍力を生かして、木から木へと飛び移る。これなら障害物も無いため、地上から逃げるのとはスピードに雲泥の差がある。現に、スティールバイト達との差はどんどん開いていく。


「さて、早くターゲットを探さないと」


 そう呟くと、スーヤは逃げながら全身の神経を研ぎ澄ます。

 スーヤが人とは決定的に違う点は3つ。幼少期から成人への成長速度、常人を凌駕する身体能力、そしてこの探知能力である。スーヤはたった1つだけではあるが、生物の存在を感じる事が出来る。その範囲は半径およそ500メルセルクほど。

 スーヤは1匹1匹丹念に感じ取っていく。その反応はほとんどスティールバイトで、違うものといえばジョイスぐらい。ジョイスは自分の後方200メルセルクぐらいをついて来ていた。


「ダメだ。この近くにはいないみたい。もっと奥の方かな」


 さらにスーヤは森の上空を駆け抜けていく。アレックスに聞いた話だと、主は他とは違う変わった場所をよく住処にするらしい。その言葉を思い出し、スーヤは目を凝らして辺りを探索する。


「……ん?」


 スーヤの目に奇妙なものが写った。下界を覆っている森林に1箇所だけ、一際色の濃い部分があるのだ。それは青と言ってもいい。


「あれかな。でも……」


 スーヤは探知してみるが、特に大きな存在は感じられない。しかし、あれ以外に手掛かりがないのも事実だ。


「行ってみよう。空振りだったらまた探せばいいんだし」


 スーヤは進路を青い一画へ変更し向かう。ロブグローブを確認すると、残り時間はあと1時間半。あそこが正解なら、相手によっては余裕で戻れる。

 ほどなくして、スーヤは目的の場所へ降り立った。


「やっぱり、何もいないよね……」


 その中心には小さな池があるが、その中にも特に何かがいるわけでも無い。しかし、


「あれ?」


 池の中を覗いていたスーヤが驚きの声を上げる。何もいなかった池の中から突然、1匹のスティールバイトが産まれたのだ。その大きさは普通の半分ほど。スティールバイトの幼生体のようなものなのだろう。


「この池からあの子達が産まれたんだ。って事は、ここはあの子達の巣?」


 その直後、すぐにスーヤはその推測が当たりだと言う事に気付いた。気付けばまた、スーヤはスティールバイト達に取り囲まれている。

 だが、スティールバイト達はスーヤに目もくれず、次から次へと池の中に入っていく。


「え、え?」


 突然の事に何が起きているのか分からず、スーヤは目を白黒させる。だが、その行動の意味をすぐに理解する。

 池から白くて長いものが顔を出した。それは蛇のように地面を這い、徐々にその姿が明らかになっていく。

 一見蛇のように見えたそれは、表面を白く短い毛で覆っていた。そして先には2つの円らな瞳。形や大きさは違うものの、これは間違いなくスティールバイト達が融合した姿だった。


「これが主……」


 全貌が明らかになってようやく分かるその大きさ。とぐろを巻いているため具体的には分かりにくいが、真っ直ぐにすれば全長10メルセルクはあるだろう。

 主の目が徐々に敵意を帯びていく。スーヤの事を、住処を荒らす敵だと認識したのだろう。


「うーん、気が進まないけど……」


 そう呟きながら、スーヤはまたごそごそとサックの中を漁る。

 明らかに住処を荒らす自分の方が悪いはずなのだ。どう見てもこっちが悪者である。ほんの少し前に、自分が食べられそうになっていた事などはすっかり忘れているが。

 スーヤがサックから取り出したのは、6角形をした50セルクほどの棍棒、雷轟棍だった。それを大きく一振りすると、硬質な音と共に2メルセルク弱まで伸びた。


「ごめんね。でも、スーヤは君のモジュールを手にいれないとダメなの。いくよ!」


 スーヤは雷轟棍を両手で持って白蛇に立ち向かう。白蛇はゆっくりと体を横に向ける。おそらく、尻尾を振ってスーヤを吹き飛ばす気だ。

 その程度ならスーヤも悟っている。だからあえてそのまま突っ込んだ。

 狙い通り、尻尾がスーヤ目掛けて飛んでくる。それを上に飛んで華麗によけると、そのまま雷轟棍を尻尾に叩き付けた。だが、


「うわ! とと……」


 雷轟棍は尻尾を捕らえる事無く、その下の地面を叩く。轟音と共に、バチンという弾けた音が混じった。

 スーヤの持つこの雷轟棍は、衝撃に反応して電撃を発動させる事が出来る。強く打ち込めば打ち込むほど、強い電撃を発生させる。腕力に自信のあるスーヤにとって、とても相性の良い武器といえた。


 なぜ雷轟棍が空振ったのか。それは雷轟棍が尻尾に当たる直前、その部分が2つに裂けたからだ。

 空振りで大きな隙を作ってしまったスーヤは、慌てて後方へ飛び下がる。だが間一髪で逃げ切れない。切れた尻尾が意思を持ってスーヤにぶつかってきた。

 その衝撃を受けてスーヤは吹き飛ぶ。


「か、は!」


 強かに体を木に打ちつけ、そのまま下にずり落ちた。

 だがスーヤは油断しなかった。むせる息を無理やり押し込め、すぐにその場を離れる。すぐ後、スーヤがいた場所に白蛇の頭が飛び込んできた。


「はあ、はあ……。どうしよう。あれじゃこっちの攻撃は当たりそうに無いし」


 見れば、先ほど分離した部分がまた繋がっている。白蛇は自分の体を自由に切り離す事が出来るようだ。

 たとえ1発がでかくても、当たらなくては意味が無い。何らかの対策を考えなければ、このまま時間だけがずるずると過ぎていってしまう。

 スーヤはちらっとロブグローブに表示されている残り時間を確認する。残りはあと1間弱。多いとも少ないとも言えない、微妙な残り時間だ。


(とにかく、戦わないと。アルが昨日言ってた。生き物には必ず癖があるって。きっとあの白蛇だって、どこか付け入る隙があるはずなんだ)


 スーヤが雷轟棍を握り直して、もう1度白蛇と相対する。大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせると、白蛇に向かって走り出した。




「さて、どう出るかね」


 その頃、ジョイスは少し離れたところで、スーヤと白蛇との戦いを見守っていた。

 あの白蛇はスティールバイトの群生体だ。すぐに元の大きさへ戻る事は出来ないが、体をいくつかに切り離し、それが全て独自に思考して行動する事が出来る。スーヤが得意とする、力押しが通用しにくい相手だった。


「だが、あの分裂は1つ弱点がある。果たしてそれに気付けるかどうか」


 ジョイスは楽しそうに目を細める。

 ジョイスは受験者が主と戦うのを見るのが好きだった。恐れをなして逃げる姿や、無謀に突貫して玉砕される姿が好きなのだ。

 だが、スーヤはそんな間抜け達とは違った。この戦い方は前に1度見た事がある。アレックスもこんな風に主と戦っていた。


「最初は馬鹿正直にぶつかるだけ思っていたが、少し戦い方が変わったな。無理に突っ込まず、注意深く観察して癖や弱点を見抜こうとする。なるほど、アルと良く似ている」


 ジョイスは懐かしそうに目を細めた。

 残り時間は1時間を切っている。ジョイスは残り10分になったら乱入しようと決めた。

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