第19話 明

 一同がチヅルの家に着く頃には、すっかり夕暮れも終わりに近付いていた。

 チヅルは玄関の鍵を開けて扉を開ける。中は窓という窓に光が入ってこないよう締め切られていて、一寸先も見えない完全な暗闇になっていた。


「ほら、スーヤ入って」

「それより電気つけようよ。これじゃ真っ暗で危ないって」


 訴えるスーヤを無視して、チヅルはスーヤを中に入れる。そしてアレックスに向かって目配せを送った。アレックスはそれに頷いて答えると、玄関の脇にこっそりと取り付けられていたスイッチに手を伸ばして入れる。

 すると、部屋全体がプラネタリウムのように星空へと変わった。最初はオーロラが空を彩り、それが小さく収縮したかと思うと弾けて流星群が空全体を流れる。そして、流れた流星群は束になって天の川を作り出した。

 溢れんばかりの光の洪水に、スーヤは瞬きする事も忘れて息を飲む。やがて我を取り戻すと、スーヤはチヅル達を見回した。


「これ……スーヤの合格祝いのために?」

「それだけじゃないわ。ほら、テーブルを見て」


 チヅルに促されて、明るくなった部屋のテーブルに視線を移した。

 そこにはケーキが2つ。1つは丸太を模して作られたロールケーキ。表面に“試験合格おめでとう”と書かれてある。

 そしてもう1つ。雪のように白いクリームの上に、色取り取りのフルーツが並べられたデコレーションケーキには“誕生日おめでとう”という字が大きく書かれたプレートが立てられていた。

 スーヤは思わず振り向いた。その瞬間、クラッカーという名の祝砲が、スーヤに向かれて一斉に放たれた。


『おめでとう! スーヤ!』


 クラッカーの紙糸をまともに顔面で受けながら、スーヤは皆からの祝辞を聞いた。次から次に出てくるサプライズに、まるで思考がついていっていないようだ。


「知らなかったな。今日がスーヤの誕生日だったなんて。おとこジェフェリー、一生の不覚だ!」


 大手を振って大げさに悔しがるジェフェリーをよそに、スーヤはチヅルとひそひそ話を始めた。


「チヅ、スーヤ、自分の誕生日なんて知らないよ?」

「忘れたの? 今日は、私達が初めてあなたとあった日だって事」

「あ」


 スーヤは小さく驚きの声を漏らした。そう、あの時から今日で丁度1年が経っていたのだ。


「だから、今日があなたの誕生日。それでいいじゃない。試験の日と被ったのは全くの偶然だったけどね。さあ! 今日は目一杯盛り上がるわよ! ほら、主賓は早くケーキの前に座って。まずはロウソクを消さないとね」

「うん!」


 チヅルは当の本人よりもはしゃいで、スーヤの両肩を押して、ケーキが置いてあるテーブルへと連れて行く。スーヤも子供のように笑いながら、されるがままに歩いていった。


「……驚いたな。あんなにはしゃぐチヅルなんて初めて見たぜ。明日は槍どころか、砲弾でも降ってくるんじゃないのか?」


 そのジェフェリーの言葉に、アレックスとロイスは無言で頷く。ほんの1年前は、一度だってあんな風に笑う事は無かった。目の前で見ているとはいえ、信じられないのも無理は無い。


「ほら。そんなところで突っ立ってないで、あんた達も早く入りなさいよ」


 チヅルにせかされ、3人はなんとも微妙な表情を浮かべながら入っていく。

 丸いテーブルを囲んで全員が座ったところで、チヅルがデコレーションケーキに、ロウソクを19本になるまで並べていく。立て終わるとポケットからマッチを取り出し、1本1本火を点けていった。揺ら揺らと揺らめく炎と先程の光の仕掛けが妙に相まって、夢幻的な美しさが出来上がっていく。

 火を点け終わると、チヅルがスーヤに目配せする。スーヤは頷くと、そっと火に息を吹きかけた。火はあっけなく消え、その瞬間に4人から盛大な拍手がスーヤに向かって送られた。


 光の仕掛けが消え、部屋に普通の明かりが灯る。スーヤは周りを見回し、感極まったように涙を浮かべながらみんなに頭を下げた。


「みんな、本当にありがとう! スーヤ、こんな事になるなんて夢にも思わなくて……ああ、もう! 何か言いたいのに言葉が出てこないや」

「いいわよ、無理しなくて。私達はスーが喜んでくれただけで満足なんだから。さてと、アレックスとジェフェリー手伝って。作った料理を温め直さないと」

「分かった」

「あいよ」


 チヅルが立ち上がり、続いてアレックスとジェフェリーが続く。それを見たスーヤも慌てて立ち上がろうとする。


「あ、スーヤも手伝う!」


 だが、それはチヅルに両肩を手で押さえて制されてしまった。すとんと、スーヤが椅子にまた腰を下ろす。


「主賓はここで大人しくしてなさい。すぐに戻ってくるんだから。じいさんやカークとお話でもしてなさい」

「あ、なんなら俺がここに残ってスーヤのお相手を……」

「あんたはこっち」

「痛ってえ! 耳が、耳が千切れる!」


 チヅルがジェフェリーの右耳を引っ張って台所に引き摺っていく。まるで、いたずらをした子供を父親に叱ってもらおうとしている母親のようだ。


「むー……」


 スーヤは不満げに口を尖らせるが、結局チヅルの言う通りに大人しくそこで待つ事にしたようだ。

 3人は台所で手分けをして作業を始める。ローストされた鳥やスープ等は味を損なわせないようにゆっくりと暖め直し、サラダやパンなどの温める必要が無いものはトレイに移して向こうに運んでいく。

 料理が全て運び終わり、テーブルの上には色取り取りの料理が並ぶ。どれもスーヤの大好物ばかりだった。


「なあ、今更気付いたんだが、まさかこの料理って全部チヅルの手作りじゃ……」


 ジェフェリーの顔が青ざめる。数日前に、チヅルの料理で地獄の苦しみを味わった時の苦しさがフィードバックしたのだろう。苦しげに鳩尾の辺りを掴んで呻いた。

 だが、アレックスがそれを否定した。


「安心しろ。ほとんどは俺が作ったものだ。お前とじいさんに倒れられてはたまらないからな。ケーキだけはチヅルの手作りだが」

「アレックスの手料理。むう、それもそれで複雑なんだが……」


 ジェフェリーが顎に手を当てて、料理をしげしげと見つめる。要領を得ない態度にいよいよ業を煮やしたのか、とうとうチヅルの堪忍袋の尾が切れた。


「もう、うだうだ言ってんじゃないわよ! だったら食わなきゃいいでしょうが! ほらスー、ジェフェリーなんて放っておいて、さっさと食べちゃいましょう」

「いや、食べる! 食べさせていただきますから!」

「全く、めでたい席でもこうなっちまうのか。のうカーク。お前さんの主人、もうちょっと何とかならんもんかのう」


 呆れ顔で事の顛末を見ていたロイスが、カークの頭を撫でて呟く。だがカークはそれに答えず、そこに佇んでいるだけだった。


 そして幸せな乱痴気騒ぎが始まった。酒の入ったジェフェリーが、いつも以上のハイテンションで皆に絡む。アレックスとロイスはのらりくらりとそれをかわし、スーヤはそれに乗っかる形でどんどん話題が弾んでいく。それに疎外感を感じたチヅルが間に入ろうとするが、それをジェフェリーにからかわれて、大仰にボケられてそれにツッコむといういつものコントになってしまった。


 しかし、この日は笑いが絶えなかった。ロイスは老体とは思えないほどの声量で。アレックスも、普段の彼からは想像も付かない大声で笑っていた。ジェフェリーとやりあっているチヅルでさえ、表情に笑いが浮かんでいた。おそらく、本人は全く気付いていないだろう。


 だがそんな3人が霞むほど笑っていたのがスーヤだ。両目に涙を見せながら、一時も絶える事が無い、屈託の無い笑顔で声高々に笑っていた。しかし見方を変えれば、それはどこか無理やり笑っているような歪さを感じさせる。だが場の盛り上がった空気のせいか、それに気付く者は、誰一人としていなかった。


 夜が深けども騒ぎは収まらない。結局収まったのは、深夜4時を過ぎた頃だった。

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