第20話 暗

「いい気なもんよね。散々騒いで、最後には皆寝ちゃうんだから」


 そう呟きながら、チヅルは1人1人に毛布を掛けていく。チヅルとスーヤ以外は皆、酒が入ってしまったせいかぐっすりと眠りこけていた。


「でも楽しかったよ」


 スーヤは散らかった部屋を片付ける。部屋には大量の酒瓶や、ジェフェリーがこれでもかと鳴らしたクラッカーの屑などが散乱していた。それを1つずつ丁寧に拾っていく。


「そうね。私もこんなにはしゃいだのは、生まれて初めてかもしれない」


 感慨深くチヅルはそう語った。

 チヅルは幼い頃から勉強する事が好きだった。最初は知らない事を覚えるのが楽しかったから。だが、いつからか手段が目的へと摩り替わっていった。貪るように本を読み、勉強する。何物にも目もくれず。そんな日々が続くにつれ、チヅルにとって学問は何より優先するものになった。


 だから過去を振り返ってみても、こうやって誰かと騒いだりする事なんて記憶に無い。自分の誕生日でさえ、両親が祝ってくれているのに食事が終わればさっさと自室に篭って本を読んでいた。

 今のチヅルには分かる。それが両親にとってどれだけ悲しかったか。ほとんど団欒する事もなく、ただ無機質に娘が育っていく生活が、どれほどに寂しかったのか。


 気がつけば、チヅルの目から涙がこぼれていた。慌てて拭うが、それでも涙は止まらない。次から次へと溢れてくる。


「チヅ?」


 急に泣き出したチヅルを、スーヤは心配そうに見上げてくる。チヅルはもう、流れる涙を拭おうとはしなかった。


「スー。近いうちに私の両親に会いに行こうか」

「チヅのお父さんとお母さんに?」

「そう。自慢の娘も紹介したいし、もう何年も会ってないから、たまには親孝行しにいくのも悪くないし」

「うん! スーヤ、会ってみたい!」


 スーヤが両手を上げて元気良く賛成する。チヅルは微笑を浮かべて、スーヤの頭をそっと優しく撫でた。


「でも、その前に私と一緒にロストブックへ潜ろうか。折角資格を取ったんだから、来週にでも簡単な……」


 そこまで話したところで、チヅルはスーヤの雰囲気がおかしくなっている事に気付いた。顔は俯き、先程までの幸せ全開だったオーラが消え去って感じられなくなっていた。


「スー」

「チヅ、私……潜りたくない」


 重苦しい沈黙が流れる。チヅルはなぜスーヤがそんな事を言い出したのか分からず、頭の中で激しく混乱していた。

 すると、スーヤがいきなり顔を上げて、チヅルを真っ直ぐに見つめた。淀みない視線に、チヅルは何故か言い知れない戦慄を覚えた。


「スーヤはブックダイバーの事、勘違いしてた。いろんな世界に潜って、ドキドキワクワクする冒険をして、最後には宝物を手に入れて帰るんだって。でもそれが違う事に気付けた。ううん、違ってはいなかったけど、美化し過ぎてたんだ。勝手に人の世界に来て、暴れて、傷つけて、奪い取って。まるで押し入り強盗みたい。スーヤは、私はそんな事したくない! チヅ達は平気なの? なんでチヅ達はそんな事が出来るの!?」


 スーヤの一言一句が、チヅルの胸を突き刺す。

 正直、そんな事など考えた事が無かった。試験の時も、仕事で潜る時も、戦っている時に心なんて一切痛まなかった。


(昔の私は……)


 何も感じない、冷たい人間だったから。そう思い込もうとしたが、それはすぐに違うと気付いた。今の自分でも、ロストブックに潜れば罪悪感なんて微塵も覚えずに戦える。

 生きるため? それも違う。ロストブックに潜らなくたって、生活するに困る事はない。ならばなぜ自分はロストブックに潜るのか。


 自分の心に幾つも自問自答していき、ようやくチヅルは本心に気付いた。チヅルがロストブックに潜る理由は、飽くなき探究心と暴力を振るう楽しさ。戦って何かを得るという快感が、確かにチヅルの中にはあったのだ。

 スーヤと出会って変わったと思った自分は、結局何も変わっていなかった。奪う事で喜びを見出す、さもしい自分。それを自覚した時、チヅルの根底を形作っていた何かが、まるで砂だったように容易く崩れていった。


 スーヤに何も言い返すことが出来ない。喉が張り付き、まるで言葉を全て忘れてしまったように、チヅルは凍り付いていた。

 荒々しくチヅルに言葉をぶつけたスーヤは、チヅルの変化に気付いたのか視線を足元に落とした。


「……ごめんなさい。チヅ達の事が嫌いになったわけじゃないの。でも、どうしても答えが見つからなくて……」


 スーヤの声がどんどんか細くなり、チヅルに聞き取れなくなった瞬間、その時は訪れた。スーヤの胸から目も眩むほどの金色の光がほとばしり、部屋の色を染めた。


「な、なに!?」

「呼ん……でる?」


 慌てふためくチヅルをよそに、スーヤは1人外へと駆け出していく。慌ててチヅルもその後を追った。

 スーヤは玄関から出たすぐのところに立っていた。胸の光はいまだ消えておらず、必死に胸を押さえていた。


「スー、呼んでるって一体誰が?」

「なに、この記憶? それにこれは……ダメ、来ちゃう! チヅ、スーヤを殺して!」

「な、何を馬鹿な事言ってるのよ! 一体どうしちゃったの!?」

「お願い、時間が無いの! 早くしないと……」


 スーヤは今までに無いほど鬼気迫る様子でチヅルに願うが、チヅルにそんな事が出来るはずが無い。なぜスーヤがそんな事を言うのか、チヅルには全く理解が出来なかった。


「く……ああああ!」


 胸の光がより一層輝き、1本の閃光に引き絞られると、夜空の1点を穿った。そして、そのまま光は横に薙ぎ払われる。

 その時、チヅルは目を疑った。スーヤの光が、文字通り空を割ったのだ。そしてそこから、何かが現れる。


「何、あれ?」


 暗くて良くは判らないが、岩の塊のようだった。ゆっくりと姿を現して全貌が明らかになり、その巨大さにチヅルは自分の目を疑った。間違い無く、王都ガスタブルの上空をすっぽりと覆ってしまえるほどの大きさだ。

 チヅルが唖然としている間に胸の光は徐々に太くなり、最後にはすっぽりと彼女の姿を覆った。スーヤは涙を流しながらチヅルの方を向くと、


「ごめん、チヅ。さよなら……」


 消え入りそうな声でそう言い残し、スーヤは巨岩へと飛んでいった。


「……スー? スーヤ、スーヤ! お願い、戻ってきて! スーヤアアアアァアァ!」


 チヅルは走り、あらん限りの声でスーヤを何度も呼ぶが、もう彼女には届かない。スーヤの姿は遥か空の彼方に消え、チヅルはただ、その場に崩れ落ちるしかなかった。




『こんにちは、この世界の支配者達よ。いや、こんばんは、と言った方がよろしいか』

「な、なんだ!」


 酒が入ってぐっすりと寝ていたアレックス達が、思わず跳ね起きた。突然、頭の中から声が聞こえたからだ。


「なんじゃ、今の声は?」

「おい、それよりもチヅルとスーヤがいないぞ!」


 ジェフェリーに指摘され、アレックスは周りを見渡す。いるのは自分とジェフェリー、そしてロイスの3人だけだった。


「わしは家の中を探してみる。お前達は外を探せ。気をつけろ、何かおかしな事が起こっとるぞ」

「ああ。じいさん、ここは頼んだ!」


 言うが早いかジェフェリーは家から飛び出して言った。アレックスもそれに続く。

 だが、ジェフェリーは玄関の前で立ち尽くしていた。その視線は遠い空の先を見ている。アレックスもその視線を追う。現在の時間は午前4時半過ぎ。まだ日が昇らず辺りは暗い。その暗闇の中、ライトに照らされたとんでもないものが目に飛び込んできた。


「なんだよ、ありゃあ……」


 ジェフェリーが信じられないといった表情で呟く。アレックスも全く同じ心境だった。

 遠い空、王都ガスタブル上空に浮いていたものは、とてつもなく巨大な岩の塊だった。その岩は何をするわけでもなく、都市上空に浮いている。動きが全く無いのが不気味だった。


「……とにかく、あれは後回しだ! 早くチヅルとスーを探すぞ!」

「お、おう!」


 2人は2手に分かれる。ジェフェリーは家の裏側を。そしてアレックスは表側へ走り出した。

 風に乗って何かが爆発する音が聞こえる。見れば、空軍部隊が浮遊岩に攻撃を仕掛けていた。だが明らかに火力不足で、まるで効いている様子が無かった。


『止めたまえ。今は私達にお前達と交戦するつもりは無い。だが、これ以上続けるというなら』


 その時、苛烈に攻撃を仕掛けていた飛行機が1機爆散し、岩の上に墜落するのが見えた。だが何をやられたのかは、ここからでは全く分からない。


『この程度は造作も無い事だ。分かったら、すぐにこのうるさいものを引き上げさせろ』


 しばらく飛行機は周りを飛び回っていたが、やがて1機また1機と基地へ戻っていく。あれを見せ付けられれば、仕方の無い事だった。


「一体何が……くそ!」


 その光景にすっかり目を奪われていたが、ようやく我に返ると、アレックスはまた2人を探し始めた。


「チヅル! スー!」


 大声を上げて2人の名を呼ぶが返事は無い。近くにはいないと判断すると、アレックスは林を抜ける道へ方向を変えた。


『私達は、お前達がロストブックと呼んでいる本の住人だ。ある者の視覚から1年間、お前達を観察してきた』

「これは……」


 いまだ謎の声は直接響いてくる。どうやら誰かと話しているようだが、もう片方の声は聞こえない。国軍の誰かがコンタクトを取ったのだろうか。

 この話の内容から、アレックスの脳裏に最悪の答えが浮かんだ。至極単純な事だ。1年前に起こしてしまったあの出来事。それが今回の引き金になっているのだとしたら、後は想像に容易い。


「くそ、チヅル! スー! いるなら返事をしてくれ!」


 嫌な予感を現実のものにしたくない。だからアレックスは、力の限り2人の名を叫んだ。2人とも無事に見付かれば、そのシナリオを否定できる材料になるのだから。


「チヅル!」


 その時、アレックスは道の真ん中で座り込んでいるチヅルを見つけた。急いで近寄ると、チヅルの両肩に手を置き、様子を伺った。

 チヅルの顔は涙と悲しみでめちゃくちゃだった。目の焦点が全く合わず、いつもの気丈な様子など微塵も感じられない。そして、かすれた小声でスーヤの名を連呼していた。


「チヅル、目を覚ませ!」


 アレックスはチヅルの肩を思いっきり揺らす。放心状態だったチヅルはようやくアレックスの存在を認識できたのか、アレックスの首元にしがみ付き、大声を上げて泣き出した。


「あ……アレックス! スーが、スーが!」

「落ち着け。スーはどこに行ったんだ?」

「ひっく、私にも……分からないの。突然、スーの胸が金色に光ったと思ったら、あの岩が出てきて、それで、スーが、泣きながら、ごめんって……さよならって!」


 嗚咽を漏らしながらチヅルは語る。アレックスにはそれだけで十分だった。間違いなく、アレックスの恐れていた事が起きている。


『私達とお前達に和平の道は無い。しかし、私達は今のお前達のような脆弱な者と戦う事を望んでいない。2週間、いや1ヶ月与えよう。メリア暦1694年11月17日の午前0時。私達はお前達に戦争を仕掛ける。それまでに、お前達の持て得る最高の力を蓄えるが良い。最初に言っておこう。もし、またこちらに危害を加えた場合、その時点で戦争は始まる。さあ、互いの生存をかけた戦いをしようじゃないか!』


 その声を皮切りに、あの声はもう一切聞こえてはこなくなった。

 今の声はチヅルにも聞こえていたのだろう。チヅルの泣き声はさらに大きさを増し、清閑な夜に響き渡る。

 アレックスは凄惨な顔付きで空を仰いだ。なぜ今なのだろうか。最高の日が、一転して最悪の日に成り下がった。

 この時、アレックスは初めて運命の神というものを怨んだ。



「ん、ここは……」


 スーヤはゆっくりと瞼を開け、辺りを見渡す。そこは巨大な岩のドームだった。どうやらその中心の一際高い所に自分がいるらしい。

 身動きは取れない。目を向けると、両手は天井から、足は地面からの触手のようなものに繋がっている。それは絡まっているのではなく、自身に同化しているようだった。


「目を覚ましたか」


 声がした方向に顔を向ける。そこには人のようで人では無い何かがいた。

 体格は成人男性の平均ぐらい。2本足で自立し、腕や頭だってある。だが決定的に違うのは、全身がラバーコートのように黒光りをしている事だ。頭に目はなく、口が大きく裂けている。その口さえなければ、まるでマネキンのようだ。

 一歩一歩黒い人型が歩き、スーヤの目の前まで近付いた。


「もう全て記憶は取り戻しているな? なぜお前がここにいるのか、そして私がお前を作った事も」

「お願い、私を殺して。チヅ達を裏切って、のうのうと生きているなんて耐えられないの!」


 全てを振り絞ったような悲痛な声で、スーヤはそれに嘆願する。だが、人型はあっさりと首を横に振った。


「聞けないな。今のお前はこの船の大切なコアであり、私達の世界とこの世界を繋ぐ重要な役割を持っている」

「そん、な……」


 スーヤは自分の願いをあっさりと一蹴され、苦悶の表情を作り人型から目を背ける。

 その顔がいたく気に入ったのか、人型は裂けた口を醜悪に歪め、


「産みの親の言う事は聞くものだ。今から1ヵ月後、私達はこの世界と戦争を始める。それをここから眺めていると良い。お前を育てた、そうチヅルとか言ったか。あれもこの戦争で死ぬだろう。いや、いかなる生物も生き残れはしない。私達はこの世界そのものを蹂躙するのだから!」

「止めて……お願い! チヅとアル、それにジェフとじっちゃんには手を出さないで!」


 繋がれた両手両足を死に物狂いで動かし、スーヤは涙を流しながら、必死の形相で人型に懇願する。しかし、その様子に人型は少しも心を動かされた様子は見られない。


「お前は、たった4人が世界に生き残ったとして、幸せに暮らせると思うのか?」

「それ、は……」


 スーヤは言葉に詰まる。


「あの老人は手を下すまでもなく、すぐに死ぬだろう。残り3人はいるはずの無い生き残りを探し、見る影も無くなった世界に絶望して死んでいく。ならば、世界が滅ぶ際に共に死ぬ方がいいだろう。それがせめてもの慈悲とは思わないか?」


 人型はそう言い残すと、踵を返して奥にあるたった1つの出口に消えていった。


「……ごめん、なさい」


 静寂が訪れた部屋で1人、誰に言ったのかぽつりとスーヤが漏らす。それを引き金に、


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」


 謝罪の言葉が滝の如く、スーヤの口からあふれ出した。それはチヅルに、アレックスに、ジェフェリーに、ロイスに、この世界の1人1人に対してのものだった。誰にも届かない悲壮な謝罪は反響し、まるで念仏のようにいつまでも続いていく。

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