第30話 決戦前夜

 決戦前日の夜、チヅルは空船のある倉庫の前へとやってきていた。

 空船は今日の昼に無事、全てのテストを終えてぎりぎり完成し、明日に備えて体を休めようという事になっていた。だが、どうにも寝付けないチヅルは、もう一度だけチェックをしようとしたのだ。

 だが、倉庫には既に灯りが灯っていた。チヅルは倉庫の扉を開け、中を覗く。

 そこに人の姿は無かった。だが、カタカタという物音が空船の中から聞こえる。チヅルは空船に近付き、音のする所を覗いてみた。


「お、やっぱり来たな」

「まあね。こんな時に何の気兼ねも無く寝れる奴なんて、ジェフぐらいよ」


 中にいたのはアレックスだった。顔をキャンバスに、油で幾何学模様を描きながら、最後の点検をしていたのだ。

 チヅルは空船に繋がれたコンソールを手に取ると、ボタンを押して起動させる。もう一度、空船の制御プログラムを洗い直すためだ。完璧なプログラムなど存在しない。テストが通ったからといって、予想出来なかったイレギュラーが発生する可能性は十分にあった。


「ねえ、何であんな事を言い出したの?」


 チヅルはプログラムをシミュレート環境で走らせながら、アレックスに話しかける。


「リフレクトブロウの事か」

「そうよ。あんたはさも成功率が高そうに話してたけど、私は騙されない」

「人聞きが悪いな」

「トリガーを作ったのは私よ。だからその特性も良く知ってる。あれは単純に力を跳ね返すんじゃない。かかるエネルギーを全て一度モジュール内部に取り込んで、それを逆ベクトルに放出させる。けど、その容量は無限じゃない。有限なの。もし、それが限界を超えてしまったら……」

「モジュールは砕け散って、変換しきれなかったエネルギーは四散するな。そうなったら、まず俺達は生き残れない」

「だったら!」


 手をコンソールに叩きつけ、チヅルは思わず声を荒げる。だがアレックスは、普段と変わらない声色でそのまま話を続ける。


「勘違いするな。俺は死ぬつもりなんて無い。十分に勝算があると踏んだから、案を通しただけだ」

「……どうしちゃったのよ、あんた。いつもならもっと慎重で、こんな無茶を言い出すような奴じゃないでしょ?」

「確かに、昔なら有り得なかったな。だが俺はあいつを、スーを助けたい。そして伝えなければいけない事がある。ただ、それだけだ」


 淡々と、だが岩のように硬く、揺るぎ無い強い意思が感じられた言葉だった。

 それ以上、チヅルは止めようとはしなかった。その覚悟が本物であると感じていたから。


「チヅ」

「ん?」

「必ず俺が打ち貫いて道を作る。だから信じろ」

「分かってる。あんたは一度だって、約束を破った事は無いものね」




 アレックスとチヅルが話している様子を、倉庫の入り口からこそこそと見守る2つの影があった。ジェフェリーとイーヴリンである。


「こんな雰囲気じゃ入っていけないね。僕も最後に整備しようと思ってたけど、それはアルに任せるとしようか」

「だな。今冷やかしに入ったら、本気でチヅルに殺されかねない」


 相変わらずのジェフェリーの調子に、イーヴリンは小さく溜息を吐く。

 ジェフェリーは昔からこういった性格だった。いつも飄々として、何か面白そうな事があれば進んで首を突っ込み、散々掻き回して余計に事態を悪化させる。子供をそのまま大人にしたような、あの頃のままだった。


 だが、イーヴリンにはそれが嬉しかった。ジェフェリーが村を出て行ってから12年、今回の事があるまで、ずっと会う事なんて無かった。でもジェフェリーは少しも変わっていなかった。まるで昔に戻れたようで、それがたまらなく嬉しかったのだ。


「ねえ、ジェフ。ちょっと星でも見に行かない?」

「ああ、いいぜ」


 イーヴリンが立ち上がりながら尋ねると、ジェフェリーは2つ返事で了承する。2人は建物の明かりが届かない所を目指し、歩き出した。


「ねえジェフ、あの2人の関係って何なのかな。付き合ってるって感じじゃないけど、さっきの良い雰囲気から察するに、それなりにお互いの事を理解してるみたい」

「あー、どうなんだろうな。アルがチヅルの事をチヅなんて呼んだの、初めて聞いたぜ。でも、あいつらがくっつく事は無いと思う。というか、まずチヅルが誰かを好きになるなんて想像がつかねえ。うお、考えただけで鳥肌が……」


 ジェフェリーは自分の両肩を抱いてぶるっと震える。正直、なぜジェフェリーがチヅルの事をそんな風に言うのか理解できなかった。

 確かに多少は怖いところもある。しかし、イーヴリンから見れば、時折優しさを見せる、ただの大人な女性だった。もっともそれは、イーヴリンが過去のチヅルを知らないからなのだが。


「そうかな。僕は結構お似合いだと思うんだけどな」

「お前、そんな恋愛事に興味を持つ性質たちだったか?」

「だって女の子だもん。あ、あそこが良さそう」


 イーヴリンが指差す先には、丁度2人が座れそうな岩があった。2人はそこに並んで座る。

 2人は空を見上げる。雲1つ無い漆黒の空に煌く無数の星達。星が集まって出来た2つの帯が交差するスタークロスも、今日はくっきりと見る事が出来た。


「懐かしいな。村にいた頃は2人でよくこうやって見てたっけな」

「うん」


 小さい頃のイーヴリンは引っ込み思案で、人と話す事が苦手だった。気を許して話せる人は両親ぐらいしかおらず、楽しそうに話している同年代の少年少女を羨ましそうに見ているだけだった。

 そんな中、イーヴリンが唯一楽しみにしていたのが、星を見る事だった。誰もいなくなった広場に1人寝転がり星を眺めていると、悩みが吹き飛んでしまう気がした。


 そんな所にふらっと現れたのがジェフェリーだった。最初、イーヴリンは何も話せずに固まっているしか出来なかった。だがジェフェリーはそんな事を気にもせず、一方的にイーヴリンに話しかけた。不思議だったのは、イーヴリンは返事もしないのに、それでもジェフェリーは楽しそうだった事だ。たまに来る行商人がしでかした失敗談や村長の誰も知らない秘密など、一体どこから仕入れてくるのか話題は尽きる事が無かった。


 そんな事が毎夜続き、少しずつイーヴリンはジェフェリーと会話が出来るようになり、最終的には村の子供達とも打ち解けるようになった。イーヴリンに会話する楽しさを教えてくれたのはジェフェリーだったのだ。

 そしてこの頃から、イーヴリンはジェフェリーに惹かれ始めていた。


「ジェフ。いつもありがとう」

「何がだ?」

「毎月、僕の口座に開発資金を振り込んでくれてる事だよ」

「……知らねえな。俺じゃねえよ」

「ジェフ以外いないもの。私の知り合いで、あんな大金を毎月用意できる人なんて。いくら否定したって、私はジェフだって信じてる」


 ジェフェリーは沈黙で答える。これ以上、何を言っても駄目だと悟ったのだろう。それを肯定と受け取ったイーヴリンは、さらに質問を続ける。


「何でそんな事を?」

「……聞いちまったんだよ。里帰りした時にお前の両親から。お前が空の向こうを目指すのは、俺が異世界に行くためにブックダイバーになったのが原因だって。お前だって行きたかったんだよな、こことは違う世界へ。悪かった。置いてきぼりにしちまって」

「え? ち、違うよ! やだなあ、何でそんな事言ったんだろ……」


 ジェフェリーの理由を聞いて、イーヴリンの肩がびくっと跳ね上がった。気持ちを落ち着かせるためと照れ隠しに、手近な草を次々に毟っていく。


 その理由は当たらずとも遠からずだった。なぜ両親はそんな風に思ったのだろうと、イーヴリンは考えてみる。しかし思い返してみれば、家族には容易に想像が付いたのかもしれない。イーヴリンが空の向こうを目指す決意をしたのは、ジェフェリーが村を出てしまったすぐ後だったから。


「ねえ、空の向こうには何があると思う?」

「ん? 何だろうな……」

「私はね、きっと海があると思うの。真っ青で、誰も行った事の無い海が」


 空の向こうには何があるか。その議論は世界中で常に絶えない。未だ、どこも空の向こう側へ到達した者はいないのだ。その最高到達高度は、無人空船で約90ケルセルク。地上からは小指の先ほどに小さく見えるまでの高さまで行っても空は青いままで、何も変わる事は無かったという。


「だって、昼間の空はあんなに青いんだよ。それに水だって降ってくるし、星はきっと、そこに住んでる生き物の明かりなんだ。だから絶対に海があるんだって、私は信じてる!」


 イーヴリンは頬を高潮させながら、満足に息継ぎもせずに捲くし立てる。

 だが、本当の理由は空の海に行く事では無かった。イーヴリンが空を目指す理由。それはジェフェリーが村を出る前日に遡る。


(ロストブックって知ってるか? それを使えば、この世界じゃないどこかに行く事が出来るんだ。そんなの、最高に面白そうじゃないか! 俺は明日村を出て、ブックダイバーを目指す。じゃあな、イーヴリン。さよならだ)


 もちろん、イーヴリンは必死で止めた。しがみ付き、大声で泣き喚いた。だが、それでもジェフェリーを止める事は出来なかった。翌日出て行くジェフェリーを見送りもせず、遠く離れた場所から見ているしかなかった。


 それからイーヴリンは必死に考えた。どうしたらジェフェリーは、自分の所に戻ってきてくれるのかを。

 最初はジェフェリーを追いかけて、自分もブックダイバーになる事を考えた。でも、それはどう考えたって無理。ただでさえ狭き門のブックダイバーに、体が小さく力も無い女の子がなれる訳が無い。


 改めてイーヴリンは自分を見つめ直した。体はあまり強く無いが、学力には自信がある。それを生かす方法は無いのだろうかと。そして、いつものように星空を眺めていて気付いた。こんな所に、誰も行った事の無い世界があるじゃないかと。私でしか行けない世界。それが実現出来れば、ジェフェリーもきっと、自分の所へ戻って来てくれる。


 その日からイーヴリンは行動を開始した。まずは航空工学から。そこから多方面に手を伸ばし、ひたすらに勉強した。いつか自分であそこへ行ける乗り物を作り、ジェフェリーと一緒に、最初にあそこへ到達するのだと。


「……すまない」


 突然ジェフェリーがイーヴリンに謝りだした。だが、イーヴリンはジェフェリーが何に対して謝っているのかが分からず、首を傾げる。


「どうしたの、突然?」

「そんなお前の夢を、これから俺がぶち壊すんだ。明日空船を使えば、もう2度とあれは使えなくなる。ここに来るまで3日3晩悩んだ。本当は、お前を巻き込みたくはなかった。でも、スーヤを助けるにはこれしか……これしか、無かったんだ」


 ぎり、と歯軋りの音が聞こえた。見れば両手を硬く握り締め、悲壮を満面に讃えたジェフェリーの姿があった。

 イーヴリンはふっと笑うと、軽く2回ジェフェリーの頭を叩く。


「気にしなくていいよ。皆がいなきゃあれは完成できなかったし、世界が滅んだら本末転倒だし。空船なんてまた作り直せばいいもん。……ジェフ、そんなにスーヤって娘が大切なの?」

「な、何だよ突然?」

「ジェフが、ううん、皆があそこに行くのはその娘のためなんでしょ。何でそこまでする必要があるの? 死ぬかもしれないんだよ?」


 真剣な眼差しでイーヴリンはジェフェリーを問い詰める。

 一瞬、ジェフェリーはイーヴリンの迫力に押されたかのように見えたが、すぐに真正面から逃げずにイーヴリンを見つめ直した。


「好きだから。大切だからというのもある。けど、一番の理由はそうじゃない。スーヤが俺達を待ってるから、迎えに行くんだ」

「スーヤはそう言ったの?」

「言ったかどうかなんて問題じゃない。スーヤは、俺達を裏切ったりなんて絶対にしない。望んで向こうへ行ったはずが無いんだ。だから、俺達はスーヤを迎えに行く。きっと、寂しくて泣いてるだろうからな」

「そ……か」


 初めてジェフェリーの口から直接聞いた、スーヤが好きだからという言葉を聞いて、胸がいっぱいになったイーヴリンは顔を伏せる。ただ辛くて、胸が苦しくて、涙が出そうになる。

 けど、同時に安心もした。ジェフェリーが昔から何にでも首を突っ込むのは、困っている人達を放っておけないため。それが今になっても全く変わってない。あの頃と変わらない事が、イーヴリンにとって何よりも嬉しい事だった。


「ジェフ、約束して」

「約束?」

「私は必ずあの空の向こうへ行ける空船をもう一度作るから、その時は一緒についてきて」

「なんだ、そんな事か。嫌なんて言うはず無いだろ。お前が嫌だって言ったって、絶対に乗り込んでやるからな」


 ジェフェリーはさも楽しそうに大声で笑う。


「だから……絶対に死なないで」

「ああ、それも含めて約束だ。どんな事をしてでも生きて帰ってくる。ちゃんと4人でな。だから心配するな」

「うん、信じてる」


 イーヴリンは少しだけジェフェリーに寄り添った。ジェフェリーもそれを拒まず、2人は星空を見上げ続ける。

 ふと、イーヴリンは自分の口調が昔のままに戻っている事に気付いた。


(でも、これでいいよね)


 口調を元に戻すのは、ジェフェリーと2人っきりの時だけにしようと決めた。そうする事で、昔のあの頃に戻れるような気がするから。

 全てが終わって皆が帰ってきたら、スーヤに宣戦布告しよう。ジェフは、絶対に渡さないんだから。

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