俺は気が付かないふりをした

ある日。


隼人はやとは「いいもの」を教えてやる、と俺を下宿へ呼び出した。俺が(嫌々ながらに)あいつの勉強を手伝ってやっていることの礼だという。わざわざ時間を割いて他人の空間へ足を運ぶ意味がわからないと俺は拒否したが、隼人はくじけなかった。


最終的に断り続けることが面倒になった俺が折れた。俺たちはいつもそのような調子だった。


「……で、何だこれは?」


招かれた先で隼人が俺に示したのは、プラスチックで出来た灰色の箱だった。伸びたケーブルの先には十字と四色のボタンを乗せたパーツが確認できる。辺りには、煙草の箱よりも一回り大きい、様々な絵の描かれた四角い何かが大量に転がっている。


「やっぱ知らねえんだな。スーファミだよ」


隼人は、得意げに語る。そう。隼人が俺に教えたとは、だった。


それは俺の人生で初めて眼にする【娯楽】だった。無意味で無価値で無駄そのもので、どこかの営利企業が人類の悟性と時間を食い潰して金に変えるためだけの機械。どう考えても「いいもの」であるはずはなかった。愚鈍な知能で漠然と生きている「普通」の連中とは違って、俺はこんなものに時間を使うヒマはないからだ。


俺は舌打ちをして、眼の前の隼人を睨みつける。


「馬鹿だとは思っていたが、俺にこんなクソ以下の……」

「いいから、一緒にやろうぜ。ちょっと時間あるんだろ?頼むよ」


さっきまで「礼」と言っていた隼人は、鮮やかに手のひらを返して俺に懇願する。何が面白いのかニコニコと笑みをその顔に貼り付けて、俺にコントローラを差し出してきた。

確かに隼人の家に足を運ぶ時点で、ここである程度の時間を過ごすことを想定していたのは事実であるから、時間があると言えなくもない。そして何より、こいつの図太さと頑固さを嫌というほど理解していた俺は、いつものように諦めて……コントローラを握った。


ため息をつく。


「……十五分だけだ」


にっ、と笑って、隼人は「すーふぁみ」と呼ばれた機械の電源を入れた。おそらくはその瞬間が、俺がその先に広がる未知へと――仮想の娯楽の世界へと足を踏み入れた瞬間だったのだろう。


――俺は、テレビゲームに夢中になった。



◆◆◆◆◆



人類知の最先端へ辿り着き、その先に歩を進めるためだけに存在する、舗装された俺の人生。


道楽でこの世に生を受け、湯水のように金を注ぎ込まれてレールの上を歩き続けて来た俺の視界には、無駄なものは決して配置されていなかった。彩りと呼べるものが存在しなかった。


俺は、ゲームの中にを見出す。


俺が握ったコントローラを操ると、テレビの中身は魔法のように動いた。それはもしかすると、俺が意志を持って何かをした、初めての経験だったのかも知れない。


ファイナルファンタジーが、ドラゴンクエストが、マリオワールドがマリカーが、聖剣伝説が、スターオーシャンが、 ロマサガが、バハムートラグーンが、ボンバーマンがスパロボが、シレンがトルネコがロックマンがクロノトリガーがマザー2が、俺の心を揺り動かした。俺はブラウン管の中で繰り広げられる物語を通じて、社会や人間の感情といったものを学んでいった。あるいは造られた物事の裏にあるロジックや意図を読み解くようになった。


そこには冒険があり、興奮と緊張と達成と、そして何よりも感動と呼べるものがあった。


そうして俺はゲームの魅力に取り憑かれ、隼人の家に入り浸る。俺がプレイする横で隼人が茶々を入れていることもあれば、対戦ゲームで終わりのないバトルを繰り返すこともあった。隼人は俺がゲームに沈んでいく様を満足そうに見ていた。


「いやー、比良坂ぜったいハマると思ったんだよな」

「なんだ今の動き、物理的におかしいだろクソが」

「はいはい負け惜しみ負け惜しみ」

「もう一回だ」

「十五分だけな」


それは俺にとって堕落と言って良いだろう。だがこの一連の堕落は俺にとって無駄そのものであると同時に、人間として大切な何かを取り戻すために必要なプロセスでもあったように思う。

無論、堕落したと言っても、人格の根底に植え付けられた学習への渇望はそう簡単に消え去らない。隼人と日々ゲームを遊びながら俺は首位の成績をキープした。そもそも大学で学ぶ座学が予想以上に――最高学府と呼ばれていることから期待はしていたのだが――レベルが低かったこともあり、生活に多少の娯楽を混ぜたところで大きな影響はなかった。


隼人とは様々なことを話すようになった。


俺は、俺自身の一風変わった生い立ちを語った。今までそれを客観的に他人に語る機会などはなく、事実を正しく伝えられたかどうかはわからない。隼人は目を丸くしてひととおりの驚嘆を表明すると、ちょっと沈黙して、だとしてもお前はコミュ障が過ぎるな、と声を上げて笑った。俺はうるせえよと吐き捨てた。


俺は腹立ち紛れに、当時は珍しかった隼人の金髪について、微塵も似合っていないと罵倒した。あいつは苦笑してそれを認めながらも、この頭をしてると妹が俺を見つけやすいから、などとのたまった。


一方の隼人の生い立ちに関しても、話を聞く限り「六郷家」というものは常識的な家とは言い難かった。


「俺の実家――六郷家には呪いみたいなもんがあってな。時々人間が消えるんだ」

「は? 消える?」


最初俺は、それは何かの比喩か、社会的な失踪を指しているものと考えた。しかし隼人の語るところによると、文字通り物理的に「人間が消える」らしい。消える時期は第二次成長期を終える頃から成人する前にかけてが最も多く、その頃に発症する六郷の特別な【力】の取り扱いに失敗することで世界から「消えてしまう」のだ、と。


隼人はその力のことを「こう」と呼んだ。


何の冗談か、大して面白くないのでやめろと俺はその話題を切って捨てようとする。ここでも隼人はくじけなかった。今にして思えば、それはあいつにとって、絶対に途中で止めてはいけない話だったのだろう。


「老人連中は神隠しとか昇華とか呼んでるが、そんな神秘的で大層なもんじゃない。ガチの物理現象だ。本家でも長年色々やってるみたいだが……どうやら【解決】が目的じゃない。むしろ【完結】させようとしている」

「言葉遊びか?」

「真面目な話さ――なにしろ俺自身がなんだ」


派手な風体と気さくな言動、人好きのする笑顔、そして図太い神経で構成される六郷隼人という男は、この時ばかりは真剣そのものという口調で異常な説明を続けていた。俺の家庭よりもよっぽど常識から逸脱している。


その血筋の【呪い】は、次に隼人自身を消し去るのだという。


隼人には、大学に入る歳になっても未だに【香】を操る力の発現が見られない。隼人が知る限りの前例によれば、そのような人間はしばしば成人する前に【神隠し】にあう。


一般的な「神隠し」についての記述を何かで読んだことがある。人間は生まれた後、ある程度の年齢までは人と人ならざるもの境目に位置するために、間違って別の世界に迷い込んでしまうことがある、と。そしてそれ故に、子供が成長して十代に入るとそうそう起こらなくなる、と。その基準で考えると、六郷のその現象は神隠しと呼ぶには遅すぎるだろう。

いずれにせよ隼人の語る内容が真実であれば、タイムリミットはあと数年といったところだ。


「俺んとこは所詮、六郷の分家だ。もし俺が消えたら、力を扱う素養が低いものとみなされて、俺の妹も【完結】の材料にされるんじゃないかってな。だから六郷の【香】は、俺にとって呪いなんだよ」

「お前の厨二病はまだ完治してないのか? いい薬を知ってるぞ。一般に自殺と呼ばれている」

「真面目っつってるだろ。俺は六郷の呪いを解く手段として科学を志してここまで来た。馬鹿だと思うか?」

「お前が馬鹿なことは知ってるが?」

「うるせえよ」


軽い口調とは裏腹に、隼人は苦いものを含んだ顔をして目を逸らす。馬鹿馬鹿しいことは確かだ。それでも俺は脳内の蔵書棚を見渡して、こいつにとってのな問題に関連し得る言説を探した。ろくなものがない。


「……隼人。俺は、ファイヤアーベントが『方法への挑戦』で語った、科学的方法論への見解が気に入っているんだ」

「ファイア?」

「そいつが何と言ったか知ってるか?」

「……いや」

「Anything goes ――、だ。科学とは本質的にアナーキズムらしい。クソだと思わないか?」


俺の意図するところが伝わったのか、隼人はニヤリと口元を歪める。


「比良坂の好きそうな話だ」

「お前にも必要だろう。呪いのことは知ったこっちゃねぇが」

「すまんな」


隼人は、毛先をいじりながら遠い目をする。妹が見つけやすいから、と、似合わないと認めながら髪を金色に染めている六郷隼人。

しばらく目を閉じたあと、ぽつりと絞り出すように隼人は語る。


「……なぁ比良坂。お前は俺の知る限り、一番人間だ」

「今更気付いたのか?」

「そういうところだよ、お前は」


苦笑しながらも隼人はその言葉を続ける。ためらいがちに、それでいて同時に、強い決意を以て。


「だから、他ならぬお前に頼みたい」

「何を?」

「もし俺が駄目になったら、代わりに妹――を救ってくれないか」


俺は隼人の戯言を鼻で笑う。


「お前が本当に消えたら考えてやるよ」

「ああ、ありがとう」


隼人の言葉にどうしようもなく含まれる真摯さに、俺は気が付かないふりをした。

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