カオスの始まりであり、世界の終わりだ。
僕たちは並んでゲームを遊ぶ。互いの顔は目にしない。ただ隣りに存在する気配だけを頼りに、座布団の上にあぐらをかき、十二畳のだだっ広い空間で、先生と僕は仮想の勝敗を競い合う。
ステージはランダムで、余計なコンピュータは含めない。僕たちはブラウン管の中でただひたすらに一対一の決闘を繰り返した。
「お前はユリの連れてきた人間を殺しただろう」
ゲームの音はひどく遠い。隣に座る先生の声だけが、なまの質感を持っている。
「どうでもいい人間だ。お前は確かにユリを殺さない。というよりも、殺せない。だから何だ? 一人殺して、すぐに二人目を殺した。お前にとって一人も二人も同じ。であれば当然の帰結として、やがてすべてを殺す存在に成り果てる」
どこかの深みから、誰かが僕の手を支配しているようだ。無意識にまで刷り込まれていたのだろうか。十年以上ぶりに手にするコントローラは、神経と直接接続されているかのようにしっくり手に馴染む。
画面内で動くキャラクタたちが、先生の言葉を借りて淡々と僕を追い詰める。軽快な音楽が鼓膜を素通りしてゆく。先生の操るカービィは、僕のピカチュウを地の底に叩き落とした。ゲームセット。すぐに次の戦闘を始める。キャラクタを縦横無尽に変えて遊ぶのが僕たちのやり方だ。僕はリンク、先生はネスを選択した。
「お前はユリと何も変わらない。目的を持たず、思想もなく、己がどこにいるのかすら理解せず、眼の前の事象に対応するだけの
僕は答えない。そんなことは、ずっと前からわかっていたことだ。
「お前のそれは、才能ではない――呪いだ。六郷の血という、何も救わない呪い」
「……先生は」
乾いた口をゆっくり開いて、僕は自分自身の声を聞く。僕は僕が何を話そうとするのか、興味を持って耳を傾けている。
「先生はいったい、何をしていたんですか」
「さあな。夜介、お前はどうだ」
「……大変、でした」
喪失と後悔と、持て余して膨れ上がった子供の記憶。その責任と決着をすべて押し付ける先を探していたように思う。ゆかり姉ちゃんと共に蒸発した【先生】は、僕の仮想敵であり続けた。
世界には、悪がいないから仕方ない。敵が見えないから仕方ない。自分も悪いから、仕方ない。
そうして目を逸らし続けて来た存在そのものである先生が、僕の目の前に現れた。どのような因果か、周囲の環境は変わり果ててしまったというのに、僕たちはあの頃のように並んで座ってブラウン管を見つめている。
いっそのこと、死ぬまで会うことがなければよかったと思う。それでも、やっぱり会って、こうして話をしたかったのだ。
短い言葉に込められた僕の感情をゴミ箱に投げ捨てるように、先生は鼻で笑う。
「恨みでも晴らしに来たか、クソが」
「まさか」
画面の中では、フィールドに出現したアイテムをタッチの差で僕のリンクが拾ったところだった。一定時間のあいだ自動的に強力な攻撃を繰り返すアイテム、ハンマーだ。先生はあの頃もこれが嫌いだった。逃げ惑うネスを上空に叩き出し、僕のリンクは勝利を決める。ゲームセット。
「ゆかり姉ちゃんのことも、先生のことも、僕なりに決着を付けていたつもりでした……死んだものと思って」
「ふん。俺は幽霊か」
「似たようなもんでしょう。ずっと一人だったのに、今更かき回されて……困惑、してるだけです」
そうだ。僕はずっと困惑していた。突如現れた【フレーバー】や【
ただ僕は静かな世界を、誰もいない世界を願っただけなのに。それがこうしてかき乱されることに……困惑している。
「もう、よかったんですよ。十年以上前のことです」
「それでもお前はここに来た」
確かに僕には、ここに来る以外の選択肢もあったのだろう。それでも僕は、困惑しながらも、自分自身で行動を選択してここにいる。その決断に間違いはない……はずだ。
「小春と花さんのことがありました。あと――」
「……」
「僕が台無しにしたものは、僕自身が、最後まで始末を付けたかった」
「メルトか」
肯定の代わりに、僕は十分にダメージが蓄積した先生のネスにスマッシュ攻撃を仕掛ける。先生はそれをガードして、カウンターとして投げ技を繰り出した。
メルト。そのとおりだ。あの子のことを、僕の中で決着させなければならない。僕が心のなかで先生とゆかり姉ちゃんを殺していたように、心を乱すものごと――素性の知れない【メルト】と呼ばれる少女の存在に決着を付けて、静かな世界を取り戻す必要がある。
だからこそ僕は、いまここにいる。
「
僕はその事実を確認するために、言葉を区切るようにして問いかける。
「ああ。メルトネンシスと呼ばれるあれは、ゆかりではない」
先生の回答は、僕の予想したものであった。何度も何度も確かめられたことだ。メルト自身が水槽から起き上がったそのときに。花さんが六郷の庭で白い夕日に照らされて突き付ける言葉で。そしていま最後の最後に、すべてを知る先生の口から。
それでも続く先生の言葉は、容易に僕の思考を停止させた。
「――あれは、俺とゆかりの子だ」
◆◆◆◆◆
僕たちはひどく欠落していく。お互いに奪い合い、失っていく。静かに愚かしく崩壊していく。
「ゆかり姉ちゃんと……先生」
「瓜二つだろう。ゆかり程ではないが、【トップ】フレーバーの素養も母親ゆずりだ。六郷の血は、
先生は、くっくっ、と笑う。
僕の指はまるでそれ自体が自立思考しているかのようにコントローラを操り、画面に映るフォックスを機敏に動かしている。
僕は自身の感情がどのような色を映しているのか、正確に把握することができなかった。クリアではない。己の思考がどんよりと淀んで、ぐるぐると渦巻いているのを感じる。ただ頭に浮かんでいたのは、純粋な疑問である。
――どうして?
半開きの状態で静止した僕の口から決して漏れることのなかったその疑問を、先回りするように先生は語る。
「お前がそうであるように、ゆかり自身も喪失に傷付き、そして恐れた。それ以上の喪失を恐れていた。あいつの兄が消えたという話、聞いたことがあるだろう」
「……確かゆかり姉ちゃんの葬式で、どこかの爺さんが。あとは……父から」
「六郷
それまで、どこかこの会話を楽しむような空気をまとっていた先生の気配が、父の名を口にした瞬間、ピリ、とひりついた刺激を孕んだような気がした。
ゆかり姉ちゃんは、六郷の【神隠し】による兄の消失に傷付いていた。他ならぬ僕自身が、彼女がいなくなったことに折り合いをつけるため、長い時間を必要としたように。だから彼女は……?
「いや……わかりません。だからって、どうして」
どうして、自らの子供を水槽の中に閉じ込める必要がある。
「それに、先生の言うことが本当なら……家から消えた後、メルトを産んで、生きている?」
先生は薄く口を歪める。それは、もしかすると笑っていたのかもしれない。先生の口から出てきたのは、僕の質問に対する答えではなかった。
「見上げ続ける存在が、己と等しく不完全な人間であるという事実を理解できない。一方的に憧れ、慕うだけで、お前から何かを与えることはない。真に他人を想うことなく、お前自身のなかで心地よい痛みとして思い出すことしかできない」
「そんなこと……死んだって、思ってたから」
「お前がこれまで、ゆかりに対して何をしてきたかわかるか?」
「何を?……僕が?」
「精神のリストカットだ」
「……」
「そんなクソ野郎に、ゆかりを求める資格はねぇよ」
うるさい。そう切り捨てることができれば、楽だっただろうか。だが僕の思考は、先生の言葉に理を見出してしまう。わかりたくないのに、わかってしまう。
求める資格。先生には、その資格があるというのか? あの夏、突然現れた目付きと姿勢の悪い白衣の男が、ゆかり姉ちゃんを求める、どんな理由を持っていたというのか。
――離れの連中は、このために残しておいた
そのとき、子供の頃に聞いた父の言葉が浮かび上がってくる。夕日の中、幼い僕は池のほとりにしゃがみ込み、暗く影を落とす父の姿を見ていた。暗い影の中の口が、
――
ごう、と耳の中で音が鳴る。僕は、僕の血の気が引く音を聞いた。
……実験材料。
あの水槽の中、厳重に隔離されていた【メルトネンシス】と呼ばれる少女。比良坂聡と、六郷ゆかりの娘。六郷の血を引く、生まれたときから理想的な状態で管理されたモルモット。理想的な実験材料が手に入ったとき、オリジナルはいったい、どのような運命を辿るのか?
僕は己の想像力を呪った。最悪の予想が、血のようにこびり付いて離れない。
「先生、もう一度聞きます」
僕は、コントローラを握る手を止めていた。先生は動きの止まった僕のフォックスに連撃を加えて画面端に吹き飛ばすと、ぐるりと首を回して僕と目を合わせた。
「ゆかり姉ちゃんは……生きてる、のか?」
比良坂聡は銀の眼鏡の底で、その細い目をさらに細めて笑う。
今度は、答えが返ってくる。
「あれが生きていると言えればな」
「――ッ!」
それは怒りだったのだろうか。僕は自分でも自覚しないまま、反射的に先生の首に掴みかかろうとしていた。
◆◆◆◆◆
瞬間、先生の身体が僕の眼前から消失する。そこには兆候も契機も跡形もなく、チャンネルを切り替える程度のノイズすらない。先生が【
「先生、あんたは……!」
色を失った静寂の世界の中、確かに先生はそこにいた。立ち上がって僕から距離をとり、白衣のポケットに左手を突っ込んでいる。右手は、僕が掴みかかろうとした首を擦っている。その表情はどこか嬉しそうにも見えた。
「お前はそうやって、すべてを殺す存在に成り果てる――そして喜べ、夜介。お前にはそれができる。お前だけに、ゆかりが創造した
「創造……?」
「ユリから聞いていなかったのか? まぁいい」
先生の長い指から、コキ、という音が鳴り、その指で軽く銀眼鏡のフレームを持ち上げる。
「殺したければ殺せ。俺の命など惜しくはない」
「さっきの話は、本気なんですね」
「俺が嘘をいう理由があるか?」
「本当のことをいう理由もない」
先生はそれに答えず、ただ薄く笑う。
一方の僕はというと、あまりに無防備すぎる先生の立ち姿に意識が吸い込まれるように感じていた。それでいて、まるで【チャーム】の光球であろうと【ボトム】の黒い斬撃であろうと、何か
「どうでもいいだろう、夜介」
「どうでもいい?」
先生は両手を広げる。世界に向けて宣誓するように、あるいは、終わりのない戦いを止めて白旗を掲げるように。
「忌々しいことに、お前は俺と似ている。俺は俺の思考を説明することに価値を感じない……わかるだろう」
わかりたくないのに、わかってしまう。それでも僕は認めない。わかるものか。わかってやってなるものか。
「だから、勝手に見ていけばいい。俺とメルトと六郷ゆかり、そのすべてを。お前が栓を抜けばそれができる。お前にとっての栓が、この俺だ」
「――先生。最後に、ひとつ」
僕は、低く小さく仄暗く、最後の質問をする。先生は目だけでそれに応じる。最後にすると、僕が決めた。今決めた。僕自身が世界の決定者であり、審判者である。
「先生は、ゆかり姉ちゃんを愛していたのか?」
先生は心底馬鹿にした表情を浮かべ、吐き捨てた。
「当たり前だろうが、クソガキ。そんなことより――ラスボスを倒せ」
僕は【ボトム】による漆黒の斬撃――リバースティック・エフェクトで先生を黒に塗り潰し、殺す。
その瞬間、僕は世界の
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