なんとかしてよね
「……」
予期した終わりは、訪れなかった。
……疑問が浮かぶよりも先に。
「――もう!バカバカあーもーほんとバカ!なんであたしがこんなこと!」
すっかり耳に馴染んだその少女の声を聴いて、僕の頭にまとわりついていた
はっと顔を上げた僕は、そこにセーラー服を纏った小柄な後ろ姿――小春を発見する。彼女は【ダウン】の壁を展開して、僕とメルトに襲いかかる黒い波の侵食を防いでいた。
そして小春は高らかに叫ぶ。それは、僕に向けられたものではない。
「ちゃんとなんとかしてよね――お姉ちゃん!」
「はぁい」
その瞬間、目の前が真っ白な光に覆われた。
「――っ!?」
小春が【ダウン】の盾で
音もなく僕の隣に並んだのは――百合崎花、その人であった。
「間に合いましたね」
花さんはいつものように笑った。
「は、花さん……?」
答えながら僕は、いつものようではない彼女の腕に目を留める。正確には、腕があったはずの場所に。
彼女の両腕は、先程の戦いで僕の【リバースティック・エフェクト】によって切断されたままだった。もともと華奢な彼女のシルエットは輪をかけて痛々しく、頼りなく見える。
「だ、大丈夫、なんですか」
「いちおう、大丈夫ですよ。貧血ですけどね」
「ねぇちょっと、あたしもいるんだけど」
背を向けたまま小春は非難の声を上げ、僕と花さんの会話に割り込んでくる。
「つーか、あちこち何か黒いのが吹き出して地獄絵図だし。
あれ、と口にして、小春は黒い人影を指し示した。黒い影は突然の闖入者に驚いているのか、それとも関心がないのか……読み取るべき表情も何もない黒が、ただゆらゆらとうごめいている。
「それについては……申し訳ない」
「ま、六郷さんが何かやらかしているわけじゃなくて、よかったです」
こともなげに花さんは言う。仮にこの事態をやらかしているのが僕だったとしたら、いったいどうなっていたのだろうか。彼女の笑顔を見上げながら、冷たいものが背中を伝わる。
その時、花さんが、僕の腕の中でぐったりとしているメルトに顔を近付けようとする。僕の脳裏には【ハイゼンベルク】の施設で見た光景が蘇り、とっさに身体を硬直させた。しかし、脚を【ボトム】の沼に飲み込まれている僕に逃れるすべはない。
花さんは僕の警戒に気がつくと、困ったように小首をかしげて苦笑した。
「やるべきことは明白です、六郷さん。メルトちゃんを助けて、あの影を倒す。そうでしょう?」
「……ええ」
「だから……心配しないでください」
僕は頷く。花さんもそれに頷き返す。花さんは熱を測る時のように、目を閉じたままのメルトと
――白い光が、流れ込む。
それは
「【フレーバー】を……?」
「吸収ができるなら譲渡もできる、ってやつですね」
一を聞いて十を知る【天才】百合崎花は、既に
メルトは、うう、と唸って身をよじった。その白いまぶたが動き、ゆっくりと覚醒する。メルトはぱちぱちと何度か瞬きをしたあと、ようやく目の前で微笑んでいる花さんに焦点をあわせ、驚愕の表情を浮かべる。
「ユリ……」
「おはよう、メルト」
「どうして……?それに、手が」
メルトは両腕のない花さんを見て、まるで自分自身が傷付けられたような表情を浮かべる。何でもないと云うように花さんは首を振った。
……ふたりの無言のやりとりには、どこか不可侵の神聖さすら感じた。
そんな僕の想いを断ち切るように、最前線で攻撃を受け続けている小春が叫ぶ。
「お姉ちゃん!さっきから重いの来てるから、さっさとやることやって!」
小春は【ダウン】の盾を駆使して黒い波の襲撃を防いでいたが、次第に押され、僕たちのすぐそばまで後退していた。
「ん。そうね」
花さんは小春の言葉に頷くと、再びメルトに顔を寄せて何かを耳打ちする。まだ寝起きのようにぼんやりしていたメルトは、ハッとして、僕の足元に目をやる。僕の片足が黒い【ボトム】の沼に侵食されかけていることを見て取ると顔色を変え、慌てて僕の腕の中から転がり落ちた。
「わ、すぐ【造り】ます――!」
メルトは僕の足元に手をかざす。
――白い光。
間も無くして、完全に消失していた足先の感覚が戻ってきた。
僕は脚を引き抜いて、元通りになった自身の体に安堵する。無くなった身体すらも【創造】する【トップ】フレーバーの力には改めて感心させられる。僕は一人で背負わずに、こうやって助けて貰えばよかったのだ。
そして花さんは、メルトに向けて切断された両腕を差し出した。
「メルトちゃん、これもお願いできない?」
メルトはこくこく頷いて、花さんの両腕の切断面に手をかざす。
まばゆい光があたりを覆い、それが消えたときには、花さんのつるりとした両腕が戻っていた。花さんは自らの手を月の光に透かすようにして空に掲げて、目を細める。
「――終わったの!?」
小春が叫ぶ。
僕と花さんは、それぞれ小春に応える。
「大丈夫」
「おっけー。ありがと、小春」
「――二人とも何でそんなのんびり、あーもー無理!
小春が【ダウン】の盾を解除した瞬間、鎖から解き放たれた猛犬のように、黒い波が一気に襲いかかってくる。僕はちらりと花さんに目を向けるが、既にそこに居ない。相変わらず速すぎる。
僕はメルトと小春を両脇に抱え、跳躍した。何度かの加速を経て【アップ】に慣れてきた僕は、両手脚を同時に強化することで、二人を抱えながら俊敏に攻撃を回避する。
黒い影から離れた場所に着地すると、小春は僕に抱えられたまま、じたばたと暴れて何やら叫んだ。
「ちょ、ちょっとあたしはいいって!」
「大丈夫、強化してるから重くても――ゲホッ」
「殺す」
僕が小春の肘鉄を顎に食らい悶絶しているうちに、小春は僕の腕から逃れて地に降り立った。目の端に映るメルトが何とも言えない顔で僕を見上げている。
――と、月の光を、黒い波が遮る。
影が操る【ボトム】の奔流が地面から立ち上がっていた。黒い波がその牙を剥いて、僕たちを襲う。
「くそ、射程は無限か?」
「どこまで離れてもあの影からは逃げられないでしょうね……任せてください」
花さんは一歩前に進み出ると、【チャーム】の光球を生み出した。破壊をもたらす光のフレーバーは、花さんの精密なコントロールに導かれ【ボトム】の黒に真っ向から衝突する。
光球は――僕の攻撃がそうであったように、虚無そのもののように見える【ボトム】の黒にどぷんと飲み込まれてしまう。
だが、花さんが放った攻撃はそれで終わりではなかった。
「……出し惜しみは、できそうにありませんね」
純粋な、そして圧倒的な、物量。
花さんは暴力的な速度で次々に光球を生み出し、それを精密なコントロールで、黒い波の一点に向けて集中的に打ち込み続ける。秒間何十個の【チャーム】を生成しているのか想像もつかない。涼しい顔のまま、荒れ狂う破壊の光の渦中に立つ彼女は、ただ一箇所に攻撃を集中させ――
ついに【ボトム】の漆黒はその耐久力の限界を迎えたかのように、弾け飛んだ。
「あれも【チャーム】で壊せるのか……!」
僕は感嘆の声を漏らす。
花さんたちがこの場に現れた瞬間、黒い影の操る【ボトム】は、白い光によって消し去られたように見えた。あのときは何が起こったのか確かめる余裕もなかったが、こうして目の当たりにすると驚きが沸き起こってくる。
「フレーバーの影響範囲を絞ればいいんですよ。だから、たぶんこれも――」
と、花さんは指をピストルの形にして、人差し指の先にまばゆい光を集め始める。……かつて実の妹である小春に向けられ、そして僕の身体を両断した、究極の破壊をもたらす【チャーム】の光線。僕の身体は【ハイゼンベルク】の施設で受けた攻撃を思い出してか無意識に半歩下がり、花さんから距離を取っていた。
花さんは、つい、と
――わずか一瞬、光が走る。
花さんの指から放たれた極小の――極限までその影響範囲を圧縮された光線は、再び影が繰り出してきた黒の波を切り裂く。それに留まらず、彼女の【レールガン】は黒い人影の本体までずばっと両断してしまった。
「すごい……!」
僕は思わず拳を握りしめていたが、花さんは冷静だった。
「六郷さんが【ハイゼンベルク】の地下で使った【ボトム】は、範囲が狭かったですし、六郷さんの意志が込められていました。それに比べると、あの影の【ボトム】の破壊は難しくありませんね。でも、まぁ……」
僕は花さんの視線を追い、黒い影を見る。【チャーム】の【レールガン】によって破壊されていたはずの影は、ずぶずぶと沼の奥底から無尽蔵に湧き出して――何事もなかったかのように、すぐに元通りの人影を形成してしまった。
「――この通り火の粉を払う程度で、決定打にはなりませんけどね」
「……」
まるで、打ち寄せる波を必死で押し返しているような気分になる。
大海の波が海辺の砂の城を壊すとき、波は、それを壊してやろうと必死になったりしない。そんなことを願わなくても、結果はわかりきっているからだ。ただ、仮に波に意志があったとしたら、どうしてわざわざそんなところに城を作るのかと不思議に思うかも知れない。いつかは必ず崩れ去るのに、と。
僕たちはいま黒い影から距離を取り、影からの攻撃の熾烈さは緩和されている。しかし、事態の中心は確かにここかも知れないが、もはや六郷の【完結】は同時多発的に広まっているのだろう。
僕は、屋敷の残骸から遠く、ずっとずっと向こう――山の斜面からどろどろと下ってくる【ボトム】の黒を目視していた。
(……)
世界はいま、どうなってしまっているのか?世界の果てまで何もない漆黒に侵食されている光景を想像して、僕は身震いする。
その黒は世界の
そうして僕が表情を曇らせていると、それまで黙っていた小春が口を開いた。
「それでお姉ちゃん、どうするの?」
「ん?」
「勝ち目があるから来たんでしょ?」
小春は希望を込めた瞳で花さんを見上げる。
それに釣られるように、僕も花さんの透明な横顔を凝視する。もしかすると僕は、彼女の口が何か起死回生の作戦を解説してくれることを期待していたのかも知れない。
だが、花さんはあっけらかんと言い放った。
「ないよ、そんなの」
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