世界が終わっても、終わらなくても

小春は、ぽかんと口を開ける。一瞬のあと、困惑と怒りに彩られた叫び声を響かせた。


「は、はぁ!?お姉ちゃんが無理やり引っ張ってきたんじゃない!」

「だって世界の果てまで逃げたって、どうせこの【ボトム】で全部なくなっちゃうんだから。勝てないとしても、やるべきことはやらないとね」

「そ、そんなの……!あーもー!」


小春は頭を抱えてぶんぶんと黒髪を振り乱す。そうしながらも、抜け目なく【ダウン】の盾を張り巡らせているのは流石と言うべきだろうか。


僕はと言えば――ほとんど完全無欠に思える花さんが見せた無計画さに可笑しさを覚え、どこか吹っ切れたような気持ちになっていた。


「花さん」

「はい?」

「花さんは、世界のボトムにある栓を抜き、眼を閉じることで先に進めると……そう言いました。初めからことを?」

「……」


花さんは無言だった。つい、と指を振りながら、圧縮された【チャーム】の光線を指先から放っている。涼しい眼をした彼女は、軽やかな仕草で【ボトム】の黒々とした無限の侵食を切り刻んでいる。しばらく何かを考えたあと、花さんはぼそりと呟いた。


「六郷さんは、たいのかなって、思ってました」

「……僕が」


誰もいない世界を、神に願った。


「そして、それは【六郷】の血筋が求める【完結】に他ならなかった。あなたは【六郷夜介】という人間である前に、世界の【完結】に向かって進むひとつの現象であり、そして何より、それを望んでいた。だからわたしはあなたを終わりに導こうと――それがあなたにとってなんだと、そう思っていました」

「じゃあ、僕のために?」


花さんは頷く。ちょっと恥ずかしげに、もしかすると自嘲するように笑って、その先を続ける。


「わたし自身はもう、わからなくなっていましたから。六郷さんが【完結】に向かって進みたいのであれば、そうして欲しかった。でもは、んですよね?」

「……はい」


そんなことは、最初からわかっておくべきだったのに。僕は言いつけを守れずに怒られる子供のような気持ちで目を伏せる。


花さんは優しげに、と笑う。その呼気が僕の後悔を和らげてくれた。


「わたし、どっちでもよかったんです。世界が終わっても、終わらなくても。でも六郷さんが今の世界を終わらせたくないって思うなら」

「……ありがとう」

「知りたかったことは、わかりましたか?」


僕は首肯する。


「先生の記憶を……先生と、僕の従姉妹と、そしてメルトの過去を見ました」


花さんは微笑みを浮かべて頷く。彼女は、メルトの【トップ】によって再生された白い細腕をと降り、無尽蔵に遅いくる黒い消失ボトムを否定し続けている。だが、じりじりと黒い沼の包囲が迫ってきていた。


メルトは、あの六郷の家が焼け落ちた日には、ほんの赤子であったはずだ。だが少女は僕の言葉に何かを思い出しているように、あるいは痛みに耐えるように、ぎゅっと小さな両手を握りしめていた。


花さんは僕の言葉を受け止めて続ける。


「そう。十四年前……世界は一度、終わりかけました。今日、この時のように」


メルトの頭を優しく撫でながら、まるでその場を見てきたように僕に語りかける花さんの口調は、どこまでも柔らかい。


「このままでは、今度こそあの黒い影による世界の【完結】は避けられない。でも、そのを揺さぶるファクターがあるとすれば……」


花さんは、僕とメルトを交互に見る。


「六郷さん、メルトちゃん、あなたたちです」

「え?」

「僕と……?そうか」


メルトは眼をぱちくりさせる。


一方の僕は、比良坂聡、の記憶を見てきたが故に、花さんが言わんとすることを理解した。十四年前の夜、屋敷の奥から流れ出てきた【ボトム】の黒。そこで世界を守るために、ゆかり姉ちゃんがやったことと言えば――


「勝ち目というよりも……負けない方法、か」

「そういうことです」

「ちょっと夜介、どういうことよ?わかるように言って」


小春から非難の声が上がる。


そしてかなめとなるメルト自身もきょとんとしているから、彼女もやはり状況を理解していないのだろう。


……当然と言えば、当然か。僕はそう思い直す。先生とゆかり姉ちゃんが居ない以上、十四年前に何があったのか知るひとは誰もいない。メルトは長年【リバース】を介してゆかり姉ちゃんと繋がっていたが故に、どこか感覚的に母親の存在を感じ取っているかも知れないが、あの日の出来事を記憶できるような年齢ではなかった。


それ以外の人間はと言えば、先生の記憶に潜って追体験した僕は別として、あの日のことを知っているはずもない。先生から過去の真実を聞いただけで事態をここまで掌握している花さんの思考力が、例外的にぶっ飛んでいるだけなのだ。


だから僕は、説明役を買って出ることにした。


「そもそも……あの黒い影がこの世界に並行する存在である以上、完全に消失させることはできない。だから、十四年前とをやる」

「同じこと?」

「【トップ】を使って、あの【ボトム】を世界の底に封印する」

「は?」


小春は怪訝な顔をする。僕はメルトに目を向けて、その母親によく似た色の瞳を見据えた。


「それが、十四年前に起こったことなんだ。六郷ゆかり……君のお母さんが【トップ】を使って世界のかたちを創造することで、ボトムの侵食を防いだ。君たちが【リバース】と呼んでいた世界は、【ボトム】の上に造られた現実の複製だった――僕も、ついさっき知ったことだけど」

「……」


沈黙する小春。花さんは僕の言葉を引き継いでメルトに問いかけた。


「メルトちゃんも気付いてたんでしょう?」

「……うん」


メルトはこくんと頷く。


彼女の声は消えそうなほどに細かったが、そこには強い想いが込められているように感じた。


「ずっと組織のシステムとして生きてきたのは、それしかなかったのもあるけど……並行世界リバースからは、お母さんの匂いがしてたから」

「あなたのお母さんと同じことをして欲しいの。どうすればいいか、わかる?」

「……たぶん。でも、フレーバーが……ほとんど吸い取られてる」


メルトは不安げに両手を目の前にかざした。水仙によって吸い尽くされた彼女のフレーバー。花さんから【譲渡】されることでかろうじて意識を取り戻した状態のメルトは、決して万全ではなかった。万全ではない状態でひとを二人治療してしまうのだから、そのポテンシャルにはほとんど目眩がするほどであるが。


花さんはため息をつく。


「あのおじいちゃんね。最後の最後まで、本当に人」

「花さん」

「はい?」

「穴が空いたとしても、世界を覆っていた並行世界リバースの残骸、【トップ】フレーバーは残ってるんじゃないかな」

「……そうか。そうですね」


僕の提案に花さんは何度か頷く。


「いま世界に散らばっている、あなたのお母さんの残骸。メルトちゃんはそれを集めて、再びする」

「お母さんの……わかった」


メルトは緊張の面持ちで頷いた。


僕は、希望の匂いに高揚している自分自身を発見する。


と、突如、脇腹に鈍痛。


「はーい、しつもーん」


小春が拳を握って、ぐりぐりと僕の脇腹をえぐっていた。痛い。


「さっきの話だと、いま並行世界リバース側じゃないのに黒いヤツが溢れてたり、フレーバーが使えてたりするのは……この馬鹿がバカスカ使ったから、裂けちゃったってこと?」

「馬鹿とか言うな」


反射的にそう答えたものの、実のところ、痛いところを突く指摘であるのも事実だった。


僕がをしなければ。もう少しうまく、先を見通して立ち回っていれば――


だが、花さんは顎に手を当てて首を傾げた。


「さぁ……六郷さんが何もしなかったところで、時間の問題だったでしょうね。数十年か、あるいは数百年先か……」


僕はその言葉に思い出すことがあった。


「……確かにあの影は、僕をバックアップだと言っていた。自身か、それで間に合わなければ僕の世代には【完結】に至るだろうと」


花さんは頷く。


「この世界の存続を願うのであれば、六郷家という血筋は、いつかは出さなければならないうみでした」

「やり方ってもんがあるでしょ……」


小春は呆れて呟くが、花さんは微笑みでそれを受け流す。


うみを出し切ってしまえば、並行世界そのものはただの自然現象に過ぎません。自然現象であれば、たとえ今は無理であっても、いつか人類はそれに干渉し、制御する術を見つけ出すでしょう」

「先延ばしってこと?まぁ、いまぜんぶ無くなるよりは……」


小春はなおも不満そうにぶつぶつ言っているが、一応は納得したように見えた。


僕は全員を見渡して、それぞれの眼に理解の色が浮かんでいることを確認すると、頷いてみせる。


「じゃあ、メルトは【フレーバー】を集めていて欲しい。しばらく時間がかかると思うから、小春はメルトを守ってて」

「あんたは?」と小春が聞き返す。

「僕と花さんは、影に攻撃する」

「無駄なのに?」

「無駄じゃないはずだ」


僕は花さんを振り返る。彼女の問いかける視線を受けて、僕は言葉を続けた。


「さっき花さんが影を破壊したとき……影が修復されるまで、【ボトム】が現実を侵食する速度が落ちていた。倒し切るのは無理かも知れないけど、被害を抑えることはできると思う」

「……いいですね」


僕と花さんはその場を離れ、すべての元凶――黒い影の中心部へと向かう。

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