先生に会いにきませんか
先生に会いに来ませんか。水仙はそう提案した。
「あなたが先生と呼んでいた若者が、サトシ・ヒラサカ、この
非現実感の中で、彼の言葉をラジオ放送のように聞いている。僕は……そう言われたところで、先生に会って何を話せば良いのかまったく見当がつかないでいた。
長く待ち望んでいたはずの手掛かりを手にした途端、僕は自分のやりたいことがわからなくなっていたのである。
僕の戸惑いを見越してか、水仙が囁くように訴えかける次の言葉は、僕の心を強く揺さぶった。
「そしてあなたは個人的に、彼に聞きたいことがあるのでしょう?」
僕は頷くしかない。あの夜に「先生」の部屋へ消え、世界から消え、葬式で送り出された、ゆかり姉ちゃんを思った。
この老紳士は僕の思念をどこまで見据え、どこまで見通しているのか。
いずれにせよ彼は僕に対して決して共感も同情もしていないであろうことだけが、確かな事実として理解できた。
「――その代わり、力を貸して頂きたい」
「力?」
「六郷の力です。あなたはその血筋に生まれたことで、望むと望まざるとに関わらず、
水仙の言葉に僕は父親を思う。ゆかり姉ちゃんが消えたあと、血のような夕日に染まって僕を見下ろす父親。
――六の
誰であっても逃れることはできない。あの父親からは逃れることができない。ましてやあの男の血を受け継ぐ他ならぬ僕自身に、逃れることができるはずもない。
僕は水仙の誘いに乗る以外の選択肢を持たない。
そうすることで自身の身にかつて起こった事件の真相を知ることが出来るのではないか、もしかするとゆかり姉ちゃんに会えるのではないか。そうした期待を持っていた。もう生きているかどうかもわからないのに。
(そういえば、あの女の子……)
メルトと呼ばれたあの少女の声は、どこかゆかり姉ちゃんと似ているように思われた。懐かしさを感じたのはそのためだと、僕は今更ながらに理解する。
僕と水仙が言葉を交わしている間、彼女の声は何も語ろうとはしなかった。白黒の世界にどこからともなく響いていた声は、もうない。
そのことを問うと、水仙は「あれはシステムですから」と答え、それ以上の説明を加えることはなかった。
◆◆◆◆◆
僕たちはそのまま歩き続け、とある大学の構内へと辿り着いた。それは多くの学生と広い敷地を有する、都内に存在する総合大学のひとつである。
「我々の拠点はこの中です」
「大学に?」
「多様な人間が出入りして不自然ではなく、設備もある。ですから、そろそろ」
白黒の世界の中でたった二人、水仙はあたりを手で指し示す。
「元の世界に戻りましょう」
◆◆◆◆◆
元の世界に戻ることは簡単だった。銀のブレスレット――ATPI に触れてちょっと精神を集中し、世界間の移動を意識するだけだ。
水仙は、少し感心したような様子で僕を見る。
「うまいものですね。初めてはどうしても時間がかかるものですが」
「まぁ、似たことはやっていたので」
やり方としては、僕が自己流で裏側に入っていたときと大きく変わらない。
僕の視界には色のある世界が映っている。そして同時に、人々の起こすざわざわとした音も戻ってきた。大学の構内にはそれなりの人が歩いているが、幸いにというか、僕ら二人が突如
僕が ATPI を水仙に返そうとすると、そのまま持っていてくださいと突き返される。
「これから、夜介様が戦力になって頂けるようお力添えしますので」
力を貸す、という具体的なイメージが付いていなかった僕は、それに対して肯定も否定もしない。僕が水仙のように、拳でグレースーツの男と殴り合う図を想像する。実にしっくりこない。
「その力を貸す、という話ですけど」
「ええ」
「いまいちピンと来ていなくて。僕が六郷家の人間だから過大評価されているような気もして……」
「ええ。確かに現時点では、夜介様は ATPI とフレーバーを使いこなせているとは言えません」
すっきりとダメ出しをされるのは、むしろ清々しい。
水仙がそのまま歩き出し大学キャンパスの内部へと向かっていくので、僕はその横に付いて彼を追う。この場所で堂々と歩く老紳士は、まるでどこかの教授だ。世代は違えど確かに違和感はない。
「それでも当初――あなたは
父親の手が、頭上に覆いかぶさってくる光景。
――私は一時的にお前を無くすことができる。
「ボトム?」
「ええ。【ボトム】とは、一言で言うと無を司るフレーバーです」
「それはずいぶんと……何というか」
「抽象的?」
「……ですし、まぁ、厨二病ぽいですね」
「はは」
水仙がくしゃりと笑う。その笑顔の中には皺が目立ち、僕は、この老紳士が重ねてきたであろう年月の片鱗を感じ取った。
「それに関しては、ヒラサカの趣味と言うほかありません」
「先生の?」
「ええ。もともとこれらの【フレーバー】の名称も、素粒子物理学におけるクォークから彼が拝借したものです」
先生らしいというか、何というか。ゲーム大好きで口が悪い白衣のメガネを、久方ぶりにちょっと身近に感じる。
◆◆◆◆◆
僕たちは学内を歩き、食堂の前に到着していた。日が落ちて、時刻はちょうど夕飯時である。晩飯を求める学生たちが、ざわざわと学食に集まって来ている光景が見える。
どうやら僕たちは夕飯を取る流れに向かっているらしい。僕はその前に、さっき曖昧なまま終わらせてしまった会話を再開しようと考える。
「ところで、その、僕が力になると言いますが……どこまで科学で、どこから先生の妄想なのか。いまいち」
あなたが拳に白い光を纏って、スーツの男と戦闘を繰り広げるところは見ましたけど。
結局のところ僕には何ができて、何を期待されているんです? 心の中で付け加える。
「それに関しては、彼女に教えてもらうといいでしょう」
「彼女?」
水仙は少し遠くに向かって、軽く手を振る。学食の前で入口近くの扉に背を預けていた女の子が、僕たちに手を振り返した。
(えっ――高校生?)
オープンキャンパスに来た女子高生。それが僕の第一印象である。
なぜならば彼女は紺のセーラー服を来ていたからだ。黒い髪を肩口に切り揃えている。
「……高校生?」
僕の素朴な疑問は、意識せず口からそのまま漏れ出してしまう。
「さぁ」
「さぁ?」
僕はオウム返しに聞き返しながら、隣の老紳士を見る。彼はニコニコと微笑むだけで、何一つ僕の違和感を解消してはくれない。
混乱した頭のまま、僕はその女子高生(仮)の方に向かい、挨拶を交わすハメになる。
「彼女は【アザレア】――れっきとした、
「……」
「高校生かどうかは知りませんが」
「えぇ……?」
アザレアと呼ばれるその女子高生(仮)は、親しみでも敵意でもなく、僕を観察するような目つきで見回してくる。黒の髪に黒の瞳に、黒に近い紺のセーラー服。多様な人間と水仙は言ったが、様々な人間がうごめく大学キャンパスとはいえ、周囲からやや浮いていることは否定できない。
むしろどう見てもふわふわ女子大生感のある花さんの方が、この場に違和感なく溶け込むだろう。
「よ……よろしく」
「……」
僕は自身を観察してくる女子高生(仮)こと「アザレア」に対して、ぎこちなく、社会人としての笑顔を向ける。
水仙は沈黙する彼女とは正反対に、やや面白がっているような調子でアザレアに声をかけた。
「アザレア、この方が六郷の夜介様です。これから我々に協力してくださいます」
「……」
「あなたが教育係として、色々と教えて差し上げてください」
「うえぇ…… あたしが?」
心底嫌そうな声色と、まるで野良犬を見下ろすような視線。それが、僕がアザレアから向けられた最初の感情であった。
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