第27話 留守番電話 (上)

 海崎邸を出ると、俺たちは早足でクラウンに戻った。運転席に乗り込み、すぐエンジンをかける。助手席にジローが乗り込んで膝を抱えた。最後に築根麻耶が乗り込むと、即アクセルを踏み込む。


「おまえ、知ってたのか」


 シートベルトを締めながらたずねる築根麻耶に、俺はハンドルを回しながら答えた。


「何のことだ」

「海崎志保と篠生幸夫が一緒にいるってことをだ」


「別に知っちゃいない。まあ他に考えられなかったけどな」

「同じことだろうが!」


 クラウンはスキル音を上げながら交差点を右折する。


「いま篠生幸夫のところに向かってるのか」


 静粛性の高いクラウンの中で、築根麻耶の声だけがうるさい。


「ああ、そうだ。おそらく家にはいないだろうが、いないことを確かめる」


 俺は律儀にそう答えてやった。やっぱり懐に金があると違うな。気分が前向きになるし、簡単に腹も立たない。他人の言動にも鷹揚になって精神的に余裕が出来る。


「……もし、いたらどうなる」

「あ?」


 一瞬ルームミラーで、後部座席を見た。築根麻耶は何やら難しい顔で考えながら問いかける。


「もし家に篠生幸夫がいたら、そのときにはどうなるんだ」

「そりゃ海崎志保を連れ去ったのが、篠生幸夫じゃない可能性が出て来るってことだな。まあその辺はアリバイ次第だが」


「篠生幸夫にアリバイはないと見ているのか」


 真面目なのか悲観主義なのか、面倒臭えヤツだな。そう思ったが俺は大人だ、いちいち口には出さない。


「アリバイがないことは問題じゃねえよ。日本中が村の中で生活してた時代ならともかく、いまは隣に誰が住んでるか知らないのも珍しくない。アリバイのない時間帯があるのは当然だ。逆に丸一日アリバイがあるヤツなんか、怪しいとしか言いようがない」


「それは確かにそうだ」


「けど人間ってのはおかしなもんでな、何かを隠そうと思ったら、その部分だけじゃなく全部隠したくなる。だからアリバイ工作なんぞ始めたら、うっかり二十四時間アリバイを作ったりしちまうのさ。昨日の夜から今朝までの時間帯、篠生幸夫にきっちりアリバイがあったりすれば、逆に儲けもんだ」


「なるほど、アリバイ工作の跡があるなら、それを崩しさえすればいいのか」

「そういうこったよ」


 築根麻耶はようやく静かになった。これで俺も運転に集中できる。と思ったら。


「笹桑、何でさっきから黙ってるんだ」


 今度は笹桑ゆかりに話しかけている。余計な事すんじゃねえよ。そう言いたかったが、隣のシートから返事はない。窓の外を見ているようだ。


「おい、笹桑?」

「……無言モード」


 笹桑ゆかりは小さくつぶやいた。


「無言モード? 何だそれ。遊んでんのか」


 すると笹桑ゆかりは振り返り声を上げた。


「ちーがーいーまーすー! だってみんな帰って来ても、誰もただいまって言わなかったっしょ! だから自分だって何も言わなくたっていいじゃないすか! だから無言モードなんですー!」


 もはや完全に駄々っ子の言い草である。俺は思わず口を開いた。


「ちょうどいい。しばらく黙ってろ」

「あー! 五味さんひーどーいー!」


 結局騒ぐんじゃねえか、うるせえ面倒臭え。いくら金が懐にあっても限度はある。俺はまたアクセルを踏み込んだ。




 到着したのはもう夕方、日も傾き空に赤みが差した頃。篠生メンタルクリニックは、三階建ての二階部分にある。一階と三階は篠生幸夫と女房の暮らす住居部分だ。今日は日曜で休診日。本来なら家にいてもおかしくはない。


 だがいないはずだ。もしそうでなければ、海崎志保を一人で放置しているということになる。さすがに篠生幸夫が、そんな馬鹿でもわかる危険な真似をするヤツだとは思えない。俺は駐車場にクラウンを停め、篠生邸の一階玄関部分に向かった。築根麻耶が後ろに続く。


 だが押された呼び鈴に応じてドアを開けたのは、まごかたなき篠生幸夫本人だった。


「おや、あなたは。どうしました。彼の容体が急変でもしたのですか」


 俺は自分の顔が引きつっているのを感じながら、口元を何とか持ち上げた。しかしすぐには言葉が出てこない。


「……あ、いや、篠生先生」

「はい、何でしょう」


 考えろ、何か考えろ、この腐れ脳みそが。


「えー、実はですね、その、いまちょっと人を探していまして」

「はあ」


「それで、その、どうもこの辺にいるのではないかと思われる節がありましてですね」


 間抜けな俺がたどたどしくそこまで話したとき、篠生幸夫の向こう側から甲高い声がした。


「誰? 誰なの?」


 振り返る篠生幸夫の肩越しに、愕然とした表情で目を見開く女の姿が見えた。


「幸夫さんを連れて行くの?」

「違うよ、香苗。患者さんのご家族だ」


 ああそうか、これが篠生幸夫の女房なのか。だいぶ頭の具合が良くないとは聞いているが。そう考えていた俺に、篠生香苗はズンズンと近づいて来る。すると篠生幸夫は足でドアが閉じるのを防ぎながら、妻を抱きかかえて動きを止めた。手慣れた感じだ。


「幸夫さんを連れて行かないでください」


 篠生香苗はやや吊り上がった大きな目で俺を見つめると、涙を流した。


「お願いです、連れて行かないで」

「大丈夫、どこにも行かないから大丈夫だよ」


 そう優しくつぶやきながら、篠生幸夫は俺に目を向けた。


「申し訳ない、今日は妻の調子が悪いんです。患者さんのことでないなら、またの機会にしてもらえませんか」

「ああ、はい、それでは一つだけ。先生は昨夜どこかに行かれましたか」


「いいえ、ずっと家にいましたが」

「そうですか、わかりました」


 俺がそう答えると、篠生幸夫は会釈をしながらドアを閉めた。なんだかホッとした気分になりながら、篠生邸に背を向ける。だがふつふつと黒い衝動が胸の奥に湧き上がって来た。思わずクラウンのタイヤを蹴り飛ばす。


「どう思う」


 背後から聞こえる築根麻耶の問いに答えず、運転席に乗り込んだ。築根麻耶も後部座席に乗り込む。俺はエンジンをかけ、タバコを一本咥え、シガーライターで火を点けた。


「どうもこうもねえな」


 笹桑ゆかりが何食わぬ顔で後ろの窓を開けたのをミラーで見て、嫌みったらしくデカい煙の塊を一つ吐いてやった。


「篠生幸夫は家にいる。それも女房と一緒にだ。そして昨夜のアリバイはない。クソみたいな現実ってヤツだな」

「あの家の中に海崎志保がいるんじゃないか」


 築根麻耶はまたクソ真面目な疑問を口にしたが、ルームミラーに映るその顔に自信は見られない。まあ、そりゃそうだろう。俺はうなずいた。


「確かに可能性はなくはない。だがどうやってそれを調べる。裁判所は俺らに令状を出しちゃくれないぞ。だったら力尽くで踏み込むか、それとも怪盗よろしく忍び込むか。どっちも俺はご免だな。それに、だ」


 タバコの煙を大きく吸い込み、飲み込む。


「警察だって海崎志保と篠生幸夫の関係は知ってるんだろ。なら、いずれ海崎志保が拳銃と警察手帳を奪って逃走したとバレた時点で、この家は家宅捜索されるに決まってる。篠生幸夫がそれに気付かないとんでもない馬鹿か、もしくはあの家が推理小説に出て来るような攻略難易度の高いトリックハウスだとでもいうんじゃない限り、わざわざここに隠すとは思えない。そんな意味がどこにある」


「だったら、いま考えられる可能性は何だ」


 築根麻耶の目には、にらむと言うより縋るような気配があった。


「篠生幸夫は本当に海崎志保の失踪に関わっていないか、そうじゃないなら」


 俺はクラウンのステアリングを回しながら、アクセルを静かに踏み込んだ。


「海崎志保はとっくに殺されてるか、ってとこだ」

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