第16話 新たな手がかり (下)
そうこうしているうちに電車は終点の二つ前の駅に到着し、俺は他の乗客たちの流れに乗ってホームに降りた。階段を下り改札に向かうと、太い柱に巻き付けられた広告が目に飛び込んでくる。
オープンキャンパス開催中!
改札を抜け町に出ると、中層高層のビルが建ち並んでいる。空は青く、この季節にしては日差しがキツい。片道三車線の国道を横目に広い歩道を十分ほど歩けば、ビルの一階入り口の横にまた「オープンキャンパス開催中!」の立て看板が。なるほど、こんなところでオープンキャンパスをやってるのか、そう思いながら、俺は前を通り過ぎた。
さらに十分歩く。昼OC。時刻はちょうど昼だ。十月とはいえ、これだけ晴れ上がる中を早足で歩くとさすがに暑い。上着を脱いで左手に持ったところで、ようやく視界に入って来た「オープンカフェ」へと向かった。
この店は店員の案内を待たなくていい。好きな席に自由に座れる。カフェの隣には公園が広がっており、芝生や噴水に近い席に人気があるようなのだが、俺は真ん中辺りの席を選んで座った。ただし道路には背を向けて。ここは県警本部に近いからな、もし知り合いに顔でも見られたら、厄介なことこの上ない。
「アイスコーヒー」
近寄って来た店員にそう告げると、俺は一つため息をつく。この店自体は嫌いじゃない。悪くない店だと思う。ただ喫煙禁止地区にあるのが玉に
さて、いつまで待つことになるのやら。青空を見上げてそう思っていると、後ろの席に座る人影があった。白っぽいスーツの男だ。俺が目の端で確認したとき、男は持っていたブリーフケースを落とした。俺はそれを拾おうと手を伸ばし、男とお見合いする形になる。すると、男はブリーフケースの陰で四角い小さな機械を見せた。俺はそれを素早くつかみ、入れ替わりに男の手に四つ折りにした万札を三枚握らせる。そして何もなかったかのように、お互い自分の席に戻った。
俺にアイスコーヒーが運ばれて来たのと、背後の男のところに店員が注文を取りに来たのはほぼ同時。ランチセットを注文して店員が離れていくと、男はつぶやいた。
「持ち出し不可、コピー不可の資料だ。これ以上は勘弁してくれ」
俺の手の中にあるのは、小型のICレコーダー。思わず苦笑した。
「ガセつかませるのはやめてくださいよ、式村さん」
すると男は背を向けたまま、小声で言葉を荒げた。
「ガセじゃない! 聞いてもらえばわかる!」
「冗談ですよ。信用してますって」
俺はアイスコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。しかし。
「このヤマはあきらめろ。一課が再捜査するらしい。もう間に合わん」
式村の小さな声が背中越しに聞こえた。
「迷惑はかけませんよ」
俺も背を向けたままつぶやいた。
「娘さんの病気、早く治るといいですね。それじゃ」
レジに向かって歩き出しながら、俺は頭の中を回転させていた。県警の捜査一課が再捜査するだと? 何を見つけた。何を握った。式村に聞いてもどうせわかるまい。どうする、諦めるか。
だがここまで踏み込んで、金も使って、一課が動いたからハイお手上げというのも
「時間勝負だな」
「は?」
「あ、いや、何でもない」
レジの店員に変な顔をされながら、俺は店を後にした。
◇ ◇ ◇
いまから話すことの元資料は、持ち出し不可、コピー不可だ。だからこうして録音で伝えるしかない。聞いたらすぐに消してくれ。
いまの時点で県警が握っている海崎志保関連の情報の中に、おまえが食いつきそうなことは多分二つしかない。
まず一つ目。
海蜃学園高校ではオリジナルの学校専用SNSを作り、生徒や保護者への連絡に使っている。これは海崎志保が理事長になってから導入されたものだ。
このSNSが今年四月に乗っ取られ、復旧するまで丸一日に渡って意味不明な言葉や様々なURLを吐き続けた。管理用のパスワードは定期的に変更していて、そのファイルは教頭が管理していたんだが、事件前後、特に異常は見当たらなかったそうだ。
この件について、学校は警察に相談しようとしていた。と言うか、実際に県警と接触を持っていた。だが学校側から突然、警察沙汰にはしないと言って来たらしい。学校の職員は理事長の判断だと口にした、と資料には書かれてある。
乗っ取りがあったのはこの一日、この一回だけだ。それ以降同様の事件は起きていない。
この前後で他に海蜃学園高校に関連した事件といえば、グラウンドの体育倉庫で夜中にボヤ騒ぎがあったことくらいか。SNS乗っ取りの三日前だった。時期的に近いが、関係があるのかどうかは不明。
次に二つ目。
これは果たして海崎志保関連と言っていいのかどうか判断に苦しむところだが、例の未公開株の取得についてサイノウ薬品に地検が捜査に入ったとき、県警からも応援要員が出た。その県警職員に、営業部の金浜という男が声をかけて来たらしい。何でも「本木崎才蔵」について何かわかったか、と聞かれたと書いてある。
サイノウ薬品は今でこそ新興薬品メーカーと言われているが、元々は長く大帝邦製薬の下請けをしていた会社だ。それで先端薬剤研究所、あの事故が起きた研究所にも社員が研究員として出向していて、十人が巻き込まれている。十人のうち四人がいまでも行方不明ということだが、まあ要は死体が残らないような状態になったんだろう。その行方不明者の一人の名前が本木崎才蔵だった。
しかし担当でもない職員にそんなことがわかる訳がない。そこでその旨を金浜に伝えると、あの本木崎才蔵は偽物だったんじゃないか、調べて欲しいと言い出した。だがそういうことならば、近隣の警察署に出向いて相談してみてはどうかと職員が言うと、諦めたように去って行ったそうだ。
私が目を通せる範囲ではこんなものだ。おまえの仕事に使えるかどうかはわからない。できればもう連絡はしないでくれ。頼む。
◇ ◇ ◇
「そうは行かねえよ、式村さん」
西日の当たる事務所で目を細めながら、俺はタバコを吹かした。
「アンタ、まったくいいセンスしてるぜ」
ジローはいつものようにソファで膝を抱えながら、しかしさすがに眩しいのか、目を閉じている。その向かいに座り、俺は天井を見上げた。テーブルの上に転がっているのはICレコーダー。
俺は名探偵じゃない。人間離れした超絶推理能力なんぞ持ち合わせちゃいないが、たまには頭が回ることもある。
海蜃学園高校の体育倉庫に放火したのは海崎志保だ。実行犯は本人じゃなくても、糸を引いているのは海崎志保に間違いない。そうじゃなきゃ辻褄が合わない。その理由もわかる。だが目的がわからない。何だ。いや、どれだ。これがもし「アレ」なら……やはりわからんな。とりあえず調べるしかないか。
さらにわからないのが本木崎才蔵だ。これは誰だ。もしこいつが海崎志保に関係しているとして、そして本当に偽物なのだとしたら、誰なら辻褄が合う。行方不明か。死んでるとは限らないんだな。いや、だが事故の規模を考えたら、死んでると考えた方が自然なのか。死んでる方が都合のいいヤツなんて海崎志保の周りにいたか? これも調べた方が良さそうだ。
やれやれ、俺には安楽椅子探偵なんぞ死んでも無理だな。そう心の中でつぶやくと、短くなったタバコを灰皿でもみ消し、新しいタバコを咥えた。そしてスマホを取り出し、笹桑ゆかりの番号を押す。流れる留守番電話のアナウンス。
「笹桑か。五味だ。時間があるとき連絡してくれ」
そう吹き込んで、タバコに火を点けた。
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