第25話 海崎惣五郎 (中)
名前がわかっている。仕事もわかっている。ならば海蜃館大学総長のお屋敷の住所は、マニアに探させるまでもない。ちょっと情報屋に電話すればすぐわかった。
藤松の豪邸に比べれば、おそらく随分こぢんまりとした坪数の、鉄筋コンクリート造りの白い四角い建物。だが肥田久子の家よりはかなりデカいのも間違いない。外から見た限りでは、庭はほとんどないだろうと思われた。この家の主は石庭にもガーデニングにも興味がないのかも知れない。
少し離れた路肩にクラウンを停め、俺は鼻先でタバコを動かして頭をひねっていた。後部座席の築根麻耶が興奮気味に身を乗り出す。
「そうだな、考えなくても当然か。海崎惣五郎なら孫の海崎志保をかくまう動機はあるし、実際にかくまうことも可能だ。これだけの規模の家なら、人間一人が暮らす部屋くらい用意できる。なんなら大学に隠すことだって」
「ああ、確かに理屈としちゃ、そうなんだがな」
俺の消極的な態度が解せないらしい築根麻耶は、噛みつかんばかりの形相で詰め寄る。
「どういうことだ。この件に海崎惣五郎が関わっていないとでも言いたいのか」
「そりゃ関係してると考えた方が簡単だろうさ。ただ、いまいちピンと来ない」
「ピンと来ない?」
そう、ピンと来ないのだ。ガキとオカルトは大嫌いだから第六感は信じちゃいないが、それでも自分の中でストンと腑に落ちる感じがしない。
「大学の総長なんぞやってるんだから、間違いなく頭はいいんだろう。だがそれでも七十過ぎの爺さんだぞ。海崎志保の背後で動いていたのが海崎惣五郎だとしたら、ちょっと柔軟に過ぎる気がしてならん」
「そんなの、人によるだろう」
「まあそれは確かにそうなんだが」
「ここまで来て、何もしないなんてできるか」
築根麻耶は突然クラウンを降り、後部ドアを叩きつけるように閉める。
「もういい。後は自分で確かめる」
そして早足で海崎邸の正門に向かった。ボサボサの金髪を振り乱して。おいおい、その見た目じゃ仮に相手が出て来たとしても、不審者扱いで終わりだぞ。俺はため息をつきながら運転席のドアを開けた。
「笹桑、おまえは待ってろ」
「了解っす。ジロー君と二人で待ってればいいんすね」
もちろんそんなことを言うつもりなどない。
「行くぞジロー。下りて歩け」
これに笹桑ゆかりは不満の声を上げる。
「ええー、一人で留守番っすか」
「頑張れよ、おまえはやれば出来る子だ」
ドアを閉めながらそう言い残し、俺は助手席から降りたジローを連れてクラウンを離れた。やり方はともかく、海崎惣五郎の顔を拝むこと自体には反対しない。いや、俺としても是非見たい。いずれ金になりそうだからな。
「海崎惣五郎氏にお会いしたい」
正門前の築根麻耶の声が聞こえる。やれやれ、もうインターホン押しやがったのか。
「いや、約束はしていない……これは緊急の要件で、あ、ちょっと待ってくれ!」
通話を切られたようだ。そりゃまあそうだろう、俺が中のヤツだったとしてもそうする。苛立った顔でもう一度ボタンを押そうとする築根麻耶の手を、走り寄ってつかまえた。
「築根さんよ」
手を乱暴に振り払う女刑事に、諭すように言い含める。
「とりあえず、髪の毛だけでもまとめてくれませんかねえ。とてもじゃないが、ファッションで通用するレベルじゃねえぞ」
築根麻耶は一瞬顔に血を上らせ、慌てて髪の毛で団子を作り始めた。俺は改めてインターホンのボタンを押す。それに応じて聞こえて来たのは、あからさまに不機嫌な声。
「しつこいですね。警察を呼びますよ」
実にいいタイミングだ。俺はすかさずボタンの上にあるカメラに向かって満面の笑みを向ける。
「海崎志保さんが警察から逃亡したことはご存じですか」
インターホンは沈黙した。動揺しているのかも知れない。俺は声の大きさを、さらに一段上げる。
「警察官を昏倒させて、拳銃と警察手帳を奪って逃走しているのですがね」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
通話は切れた。隣では築根麻耶が、あ然とした顔で見つめている。俺はニッと歯を見せてやった。
「これでダメなら、お手上げだな」
「おまえ、いつもこんなことしてるのか」
「俺には令状出してくれるところがないんでね」
二、三分は待ったろうか。正門右横の小さな扉が開き、髪の薄い小太りの中年男が、おそるおそる顔を出した。
「先生がお会いになるそうです」
さっきインターホンから聞こえた声だった。
端っこが少しヨレヨレになった俺の名刺をテーブルの隅に置き、赤いガウン姿の海崎惣五郎は、胡散臭そうにこちら側の三人を見ていた。俺の両隣には築根麻耶とジローが座っている。確かに三人揃って胡散臭い。ただ俺には眼前の老人も同類に見えたのだが。
「話をするなら一人で良かったんじゃないのかね」
「スミマセン、いま新人研修中なもので」
頭をかく俺の、テーブルをはさんだ真正面の椅子に座る海崎惣五郎は、ほとんど白髪ではあるものの、オールバックの豊かな髪といい、シワの少ない顔といい、スリムで背筋の伸びた体といい、七十を越えた爺さんにしては随分若く見えた。ただ、名刺に触れるその手だけは、紛れもない老人のものだったが。
「五味総合興信所……興信所ということは、誰かに私の家を調査しろと言われたのかな」
「まあそうなりますね」
「誰に頼まれたね」
「それは言えません。守秘義務がありますんで」
「便利な言葉だな」
海崎惣五郎はテーブルに乗った白木の小箱から、細身の葉巻を一本取り出して見せた。
「失礼するよ。悪いが、コレなしでできる話でもないようだ」
そう言ってギロチン式のシガーカッターで葉巻の両端を切り落とし、卓上ライターに火を点ける。
「ああ、それでしたら私にも灰皿を貸して頂けると有り難いんですが」
俺の言葉に、ライターの火で葉巻をあぶっていた手を止め、海崎惣五郎は苦笑した。
「また図々しい男だな」
「ええ、よく言われます」
「
海崎惣五郎が声をかけると、その後ろに立っていた、玄関口に出て来たあの小太りの中年男が前に出る。
「はい、先生」
「彼に灰皿を貸してあげなさい」
「はい、先生」
しかし砂上はすでにガラスの灰皿を手にしていた。どうやら気の回る優秀な使用人らしい。灰皿が目の前に置かれるのを待って、俺は胸ポケットからタバコを一本取り出し咥える。
「それで海崎志保さんなんですが」
俺が見つからないライターを探しているとき、相手は葉巻の香りを嗅いでいた。葉巻はある意味ワインに似ている。つまり俺には面倒臭い。
「孫が警察から逃げたとか聞いたが」
まだ嗅いでいる。そこまでいい匂いがするもんでもない気がするが。俺はようやく見つけたライターでタバコに火を点けた。
「そうです、それも警官の拳銃と警察手帳を盗んで」
「しかし警察からはまだこちらに何も言って来ていない。確かな話なのかね」
海崎惣五郎はようやく葉巻の端に火を点け、その反対側を口に咥えた。
「それについては、極秘の情報ルートがありますんで」
俺の言葉を聞いて海崎惣五郎の口元に笑みが浮かぶ。苦笑に近い。
「ご都合主義のフィクションでもあるまいに、そんなモノが実際にあるとは信じ難いな」
「しかし志保さんには連絡が取れない。違いますか」
「……一時的なものかも知れん」
「それはつまり、俺たちが外で待ってる間に連絡してみた、ってことですよね」
俺はタバコの煙を深く吸い込み、天井に向かって吐き出した。
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