第28話 留守番電話 (下)
事務所に戻る途中で寂れたファミレスを見つけたので、そこで夕食を摂ることにした。ジローはもちろんカレーライスだ。「かたまり野菜のゴロゴロカレー」というメニューがあったので試しに注文してみたところ、その名の通りニンジンやジャガイモやブロッコリーの塊がゴロゴロと入ったカレーライスが出て来たのだが、結果として何の躊躇もなくジローはむさぼり食った。こいつはカレーライスという枠内にさえ収まれば、何でも食うのかも知れない。もしかしたら、握り飯にカレーかけても食うのだろうか。
「あれ、食べないんすか、先輩」
笹桑ゆかりの声に向かいの席を見ると、築根麻耶は目の前に置かれた親子丼に箸をつけていなかった。修行僧のように考え込む難しい顔が、突然こちらを向く。
「さっきの二つの可能性だが」
周囲には他の客もいる。それを気にしてだろう、築根麻耶は小声で話しかけた。
「前提条件が付くんじゃないのか」
「ああ」
俺はうなずく。
「当たり前だろ。何の前提条件も付かない可能性なんてねえよ」
「親子丼食べないんなら、もらってあげてもいいっすよ」
築根麻耶の隣の席の笹桑ゆかりが、そっと親子丼に手を伸ばす。すでにカルボナーラ大盛りを食っておいてこれである。どんな胃袋してやがるんだ。しかし築根麻耶は伸びてきた手を叩いた。
「他に共犯者がいなければ、という前提だな」
「まあな。だが、いまそれを考えても仕方ない。この段階で共犯者のことまで考えたりしたら、可能性なんて無限大に増えて行く。キリがないぞ」
「可能性はしらみ潰しに消して行くしかないだろう」
これはまた何とも刑事らしい発想だ。思わず鼻先で笑ってしまった。
「この人数でか? 警察手帳も捜査令状もなしに? 無茶言うなよ」
「じゃあどうするんだ。決め打ちか。もし間違っていたらどうする」
俺は胸ポケットからタバコを取り出しかけて、全席禁煙だったことを思い出し戻した。いまは懐に金が入っている。無用のトラブルに巻き込まれないためにも、マナーは守らないとな。
「何か勘違いしてないか、アンタ」
「どういう意味だ」
「俺は謎を解くつもりはない。犯罪の解決にも興味はない。海崎志保に食いつけりゃそれでいい。美味い汁が吸えりゃいいんだよ。今回のアンタの件は、その過程で寄り道するだけで、真相はどうで誰が主犯か共犯かなんざ、最初からどうでもいい話だ。そういうのは警察に戻ってからやってくれ」
築根麻耶は目にあからさまな軽蔑を浮かべると、突然親子丼を手に取り、もの凄い勢いで食べ始めた。笹桑ゆかりは物惜しげにそれを見ている。ジローは膝を抱えて遠くを見つめ、俺はコーヒーを前にタバコを吸うことばかり考えていた。
盛大に思う存分タバコを吸いながら、俺はクラウンを走らせた。四つの窓は全開だ。笹桑ゆかりも築根麻耶も黙っている。いい傾向だ、そのまま石にでもなってくれ。などと思っていたのだが。
「着信チェックっすか」
笹桑ゆかりが築根麻耶の手元をのぞき込んだ。どうやらスマホを見ているらしい。
「本部から鬼電。まあしょうがないけどな。……ん? 誰だこれ」
「非通知っすか」
「いや、知らない番号だ。留守電が入ってる」
そう言ってスマホを耳に当てた。その途端。
「……ああっ!」
突然上がった大声に、俺は一瞬ハンドルを取られそうになった。
「ビックリさせんなよ、危ねえだろうが!」
しかしルームミラーの中の築根麻耶は、こちらに目もくれず呆然としている。
「しまった。迂闊だった」
「何すか。どうしたんすか、先輩」
心配げな笹桑の言葉にも反応せず、しばらくスマホを見つめていたかと思うと、築根麻耶はいきなりそれを後ろから俺の耳元に寄せた。
「これを聞け」
「おい、何だよ」
「いいから聞け!」
スマホから聞こえてくるのは、留守番電話のメッセージ。
「海崎志保です。あなたにお渡ししたい物があります。今夜八時、これから言う場所に来てください……」
俺の脳裏にあのときの光景が浮かぶ。海崎志保のマンションの応接間、テーブルの上に置かれた築根麻耶の名刺。そう、そこには電話番号が書かれていたのだ。
「いま何時だ」
口に出しながらダッシュボードの時計を見る。七時五十三分。
「間に合うか?」
そう問う築根麻耶に俺は怒鳴った。
「間に合う訳があるかあっ!」
強引に車線変更し、交差点を左折する。スキル音を響かせ、クラウンはテールをスライドさせた。海崎志保は生きている。いや、少なくともこの留守電が吹き込まれた時点では生きていた。けれど。
こいつはマズいことになってるんじゃないのか。俺のあずかり知らぬところで死体が見つかってくれりゃどうってこともないんだが、成り行き上ここで知らん顔とも行かない。猛烈な胸騒ぎがしやがる。俺はガキとオカルトが大嫌いなのに。
クラウンが停止したとき、ダッシュボードの液晶時計は、デジタルに八時二十一分を示していた。指定されたのは、古い県営住宅の団地。明かりが点いているのは半分くらいの部屋だろうか。団地が夢のマイホームだったのはもう遠い昔だ。いまでは空き部屋も多いと聞く。
「五棟って言ってたな」
「ああ、五棟で間違いない」
築根麻耶はそう言ったものの、肝心の棟番号がよくわからない。建物の側面に番号が書かれてあるはずなのだが、暗くてよく見えないのだ。それに建物は番号順に一列に並んでいる訳でもないようだ。
俺たちは手分けして右往左往しながら歩き回り、何とか五棟を見つけた。ここは明かりの点いている部屋が特に少ない。四分の一程度だろうか。留守電のメッセージ通りなら、海崎志保は正面に向かって左側の階段、一番上の踊り場にいるはずだ。
だが俺たちは階段に上れなかった。と言うより上る必要がなかった。海崎志保が、いや、かつて海崎志保だったはずの動かない肉塊が、入り口の前に横たわっていたのだから。築根麻耶の手にするペンライトの中に浮かび上がったその顔は、多少醜く崩れてはいたものの、おそらく本人に間違いない。黒い薄手のコートを羽織り、中はジャージ姿と思われた。
「いまのうちに探せ」
その言葉の意味が理解できなかったのだろう、築根麻耶は愕然とした顔のまま、しばらく俺を見つめた。
「だから、拳銃と手帳を探すんだよ」
「いや……だが……現場保存が」
俺は築根麻耶の襟首をつかむと、怒鳴り散らしたい気持ちを押さえながら顔を寄せる。まるでジローに指示するかの如く、噛んで含めるように言った。
「いいか、よく聞け。手袋をしろ。したら拳銃と警察手帳を探せ。見つけたら県警本部に連絡するんだ、海崎志保の死体を発見しました、ってな。後はパトカーが来るまでに、いままで連絡しなかった言い訳を考えとけ。さあ、やれ。いますぐだ」
うなずく築根麻耶の目には怯えが見えた。しかし言われた通り、手袋をして海崎志保のコートをまさぐる。
「死体を見るのなんぞ、初めてじゃないだろうが。まったく」
思わず口に出してしまったが、このつぶやき声が他の誰かに聞かれるかも知れないのだ。俺は奥歯を噛みしめた。やがて女刑事はヨロヨロと気の抜けたように立ち上がる。その両手に何かを持って。
「……見つけた」
片手には警察手帳と拳銃があった。もう片方の手、ペンライトを握る手には、白い紙が二枚。築根麻耶と俺の名刺だ。あっぶねえ、すっかり忘れていた。もしこれが警察に見つかってたら、イロイロ面倒臭いところだったろう。奪うように自分の名刺を胸のポケットに戻して俺はこう言った。
「じゃあ、あとはアンタの仕事だ。俺たちはここにはいなかった。それでいいよな。な?」
念を押して背を向けようとした俺を、築根麻耶の声が引き留める。
「私が殺したのだろうか」
声が泣いていた。俺は胸の内の苛立ちが大声にならないよう、可能な限り声を絞った。
「だったら話は簡単なんだがな。殺したのはアンタじゃない。別のヤツだ。そうじゃなきゃおかしいだろうが」
それだけ言って背を向けた。後ろで築根麻耶の県警本部に電話する声が聞こえる。最初に海崎志保の死体を見つけたのが俺たちじゃなかったら、と考えると寒気がするところではあるものの、まあとにかく一件落着だ。もっとも海崎志保から金を吸い取る計画は、すべておじゃんになった訳なのだが。
さて、これからどうするか。とりあえず海崎惣五郎には経緯を報告してやろう。受け取った金の分の仕事はしないとな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます