第32話 重なる顔 (上)
俺はカルビとタン塩だけ食べた。ジローはもちろんカレーライスだ。それ以外のロースとハラミと豚トロのそれぞれ三人前とホルモンセットは、すべて笹桑ゆかりの胃袋に消えた。とんだ散財だったが、まあいい。とりあえず前には進んでいる。
事務所に戻った俺は、またホワイトボードに向かい、海崎志保の名前を二本線で消す。篠生幸夫の名前を丸で囲む。ターゲットはこいつだ。そして余白に芦則佐太郎の名前を書き加えた。これで関係者は全員か。
ソファの前のテーブルには、買って来たスポーツ新聞や日刊紙が山積みになっている。すべて一面のニュースは「闇のシンデレラ」の自殺だ。
そう、自殺。殺人とはどこにも書いていない。それが警察の公式見解なのかは不明だが、現時点で表に出て来ている話、あるいはリークされた情報としては自殺ということになっているのだろう。ならばそのままの方向で突っ走ってくれた方が俺にとっては有り難い。
「警察にバラされたくなければ金を出せ」
この魔法の言葉が使えるかどうかで、相手から引き出せる金額は変わってくるからだ。
海崎志保関連の記事を次々に読んで行く。一つくらい特ダネがあるかと思ったが、どれも代わり映えはしなかった。
曰く、海崎志保は県営住宅団地の階段、四階と五階の間の踊り場から飛び降りた。
曰く、死亡推定時刻は昨日午後八時頃、死因は頸部骨折および頭部外傷による脳裂傷。
曰く、海崎志保は睡眠導入剤を大量に服用していた。
曰く、左腕の内側に616の文字が針のような物で書かれていた。
曰く、616は自殺サイト『悪魔の羽根』に関連した数字である。
こんなところだ。
海蜃学園高校のSNS乗っ取り事件や、ボヤ騒ぎを取り上げた新聞はない。いい傾向と言えるだろう。俺はいま、少なくともマスコミよりは先を行っている。警察の動きがわからないのは厄介だが、言い換えればいつも通りではある。それでもまだ金をつかみ取れる位置にはいるはず。追いつかれないうちに急がねばならない。さて、次の一手をどう打つべきか。
引っかかってるのは、海崎志保が悪魔の羽根を高校で広めようとした理由だ。何故だ。どうしてSNSを乗っ取ってまで、こんなことをした。いったい海崎志保に何のメリットがある。……違うか。海崎志保の行動の結果が、常に海崎志保にメリットを与えるとは限らない。じゃあ誰だ。誰のためにそんなことをした。そう考えれば出て来るのは一人しかいない。篠生幸夫だ。
尻のポケットからメモ帳を引っ張り出して開く。篠生幸夫は自殺サイト撲滅キャンペーンを主催している。ならばその「敵」である悪魔の羽根が流行っていればいるほど、有名であればあるほど、影響が大きければ大きいほど金も人も集まるはずだ。旨味もデカくなるに決まっている。
だがそれは違う。順番が違うのだ。篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを立ち上げたのは、娘が自殺してからだ。つまり海崎志保が学校のSNSを乗っ取ってURLをバラ撒いた方が先に来る。これでまた疑問は振り出しに戻る。いったい海崎志保は、何故こんなことをした。堂々巡りだ。
「たっだいまーっす」
その声と同時に事務所のドアが開き、買い物袋を手にした笹桑ゆかりが入って来た。そりゃまあ、鍵をかけ忘れていた俺にも非はあるのだろうが。
「何で『ただいま』なんだよ」
「いやあ、もう自分の家みたいなもんすから」
そして背後を振り返ると、人影を小さく手招いた。
「ほらほら、早く入ってくださいよ、先輩」
そこに立っていたのは、複雑な表情をした築根麻耶。
「何か事務所の前にいたんで、連れて来たっす」
猫でも拾って来たかのようなその言い草に、しばらく開いた口が塞がらない。
「……どういうことだよ」
「謹慎を食らった」
ブスッとした顔で築根麻耶はつぶやく。
「つまり、ごまかせなかったってことか」
「いや、ごまかさなかった」
「あ?」
「心配するな。おまえのことは、誰にも一言も話していない。そもそも話せる訳がないからな。ただ拳銃と警察手帳を奪われたことは、上司に正直に言った。海崎志保の留守番電話も聞かせた。上司には『この件は公表しないが、減給処分は覚悟しろ』と言われたよ。正式な処分が出るまで自宅謹慎だそうだ」
「えーっ、それじゃ私の人脈はどうなるんすか」
不満の声を上げる笹桑ゆかりに、築根麻耶は小さく頭を下げる。
「すまん」
「いや、そこは別に謝るとこじゃねえだろ」
と俺は言ったものの、だ。
「それより謹慎中に、こんなところに来て大丈夫なのかよ。面倒はご免だぞ」
これこそがまさに俺の本心である。せっかく警察を出し抜いて金をつかめるチャンスなのだ。連中に目をつけられるような真似は迷惑でしかない。
「謹慎中でも買い物くらいには出る。だから問題はない」
そんな怪しげな理屈を口にしたかと思うと、築根麻耶は突然頭を下げた。
「頼む!」
「何を頼む気だよ」
「今回の事件が解決するまで、私をここに置いてくれ」
「勘弁しろよ、おい」
思わず泣き言が出た。こいつは何で人の迷惑を考えないかね。
「迷惑はかけない。おまえのやり方にも口を出さない。ただ真相の解明が見たいんだ」
「それが迷惑なんだよ。だいたい俺は真相の解明なんぞに興味はないって言っただろ」
「だがここは一番真相に近いんだ。いまの県警捜査一課よりも。だから頼む!」
築根麻耶は頭をもう一段下げる。もはや、ただの前屈だ。
「五味さん、私からもお願いするっす」
笹桑ゆかりも真面目な顔で頭を下げているのだが、コイツの場合、腹が立つのは何故だろう。
「一応言っとくが、おまえの頭の値打ちはゼロだからな」
「えーっ」
ふくれっ面を上げた笹桑ゆかりに、俺は新聞を放り投げた。
「おとなしく新聞でも読んでろ」
築根麻耶も顔を上げた。
「じゃ、ここにいてもいいんだな」
「全然良かあねえよ。けど、どうせ出て行く気はないんだろ。だったら、つまみ出す時間がもったいないだろうが」
これもまた本心だ。いまは、こいつらと遊んでいる時間はない。考えなきゃならんことがあるのだ。
「……だったら、一ついいか」
そう築根麻耶が、おずおずと口にした。
「何だよ」
「昨夜から私なりに考えたんだが」
築根麻耶はホワイトボードの海崎志保の名前を指差す。
「海崎志保は、どうして海蜃学園高校で悪魔の羽根のURLをバラ撒いたのか。それは篠生幸夫のためだったんじゃないのか」
「それはわかってんだよ」
俺はため息をついた。しかし築根麻耶は続けた。
「だが、それがどうして篠生幸夫のためになるのか。篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを主催しているからだ」
「だからそれは順番が」
「待ってくれ。順番は私も考えた。でも、そこでこう思ったんだ。もしいまのまま、海崎志保が悪魔の羽根に関わって死んだという話が事実として語られた場合、一番疑われないのは誰だろう、と」
その瞬間、俺の頭の中に光が弾けた。全身に電流が走る。築根麻耶の言葉に力強さが加わった。
「それは、自殺サイト撲滅キャンペーンを主催している篠生幸夫ではないのか」
「あれ、でもやっぱり順番がおかしくないっすか。篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを立ち上げたのは、娘が自殺した後で」
笹桑ゆかりが異論を唱える。だが俺は首を振った。
「いいや。その順番にはもう意味がない」
「意味がない? って、どういうことっすか」
俺はタバコを咥えた。ライターで火を点け、気を落ち着けるように大きく吸い込んだ。
「考え方を間違えてたんだよ。順番にこだわるなら、俺たちはまず最初にこう考えるべきだった。悪魔の羽根は何のために作られたんだろう、ってな」
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