第33話 重なる顔 (下)
笹桑ゆかりがキョトンとした顔で俺を見る。
「何のために?」
「そう、何のために、もしくは誰のために、だ」
「名簿業者がメアド収拾のために」
「違うな」
「イカレた殺人鬼が大量殺人のために」
「それも違うな」
「えー、じゃ何なんすか。誰が悪魔の羽根を作ったって言うんすか」
口を尖らせる笹桑ゆかりだったが、俺の言葉で黙り込んだ。
「海崎志保を殺すために、篠生幸夫が悪魔の羽根を作ったってことだ」
それに築根麻耶が補足する。
「より正確に言うなら、海崎志保を殺しても自分が疑われないために、自分の身の安全のために、篠生幸夫は悪魔の羽根を用意した」
俺はうなずいた。
「そうだ。多分それで間違いない。だが、問題が二点ある」
築根麻耶も笹桑ゆかりも、ホワイトボードを見つめる俺の視線を追った。
「第一に、あの海崎志保ほどの女が、何故それに気付かなかったのか」
「恋は盲目って言うけどね」
しかしそう言いながら築根麻耶も、いまひとつ納得は行かない顔をしている。
「第二に、篠生幸夫は、どうやって海崎志保を殺したのか」
築根麻耶はうなずき、ホワイトボードの海崎志保と篠生幸夫の名前の間に指を置いた。
「海崎志保が団地から飛び降りた瞬間、篠生幸夫は家にいたはず。何らかの方法で私たちを追い越しでもしない限りは」
「超能力とか忍法っすか」
真顔で言う笹桑ゆかりに築根麻耶が突っ込む。
「真面目に考えな」
「真剣に言ってるんすけど」
「余計悪いわ」
「あ! それじゃ催眠暗示とかどうすか。医者なら催眠術使えてもおかしくないっすよね」
「おかしいに決まってるだろ」
俺も思わず突っ込んでしまった。ただ。
本当にそれほどおかしい考えだろうか?
笹桑ゆかりはイライラを募らせた。
「だったら何なんすか。時刻表トリックっすか」
「どこに時刻表があったよ。電車も飛行機も関係ないだろ」
さすがにそこまで行くと、おかしいとしか言いようがない。
築根麻耶がホワイトボードを指で叩く。
「だからやっぱり、共犯者がいたと考えるのが自然なんだよ」
おそらくそれが正解なのだろう。とは言え。
「共犯者って誰だ」
俺の目は、再びホワイトボード上の名前たちを見つめる。この中の誰かがもし篠生幸夫の共犯だったら。その可能性を考え出すとキリがない。いや、そもそも共犯者の名前が、このホワイトボードに書いてあるとは限らない。それが会ったこともない名前も知らないどこかの誰かだった場合、事実上手の打ちようがないのだ。
築根は肥田久子の名前を指差した。
「動機から言えばこいつだな。篠生幸夫とも知り合いなんだろ」
そう、確かに動機はある。あるのだが。
「あの県営住宅の現場に肥田久子がいた場合、海崎志保は、やすやすと殺されたと思うか」
「思わない」
俺の問いに、築根麻耶は即答した。
「だよな」
「あ、同一人物とか、ないすか」
不意に思いついたように言い出した笹桑ゆかりに、築根麻耶がたずねる。
「同一人物? 誰と誰が」
「たとえば肥田久子と海崎美保」
「海崎美保は、二十年以上前に死んでるだろ」
俺の呆れ声にも笹桑ゆかりはめげない。
「だから実は死んでなくて、肥田久子って名前になってた! とかないすか。本木崎才蔵みたいなもんすよ。実の母親なら海崎志保も油断するっしょ」
「そもそも年齢が違い過ぎるだろう。肥田久子は海崎惣五郎と近いんだぞ。美保とは親子レベルだ」
築根麻耶も、困ったようにこめかみを押さえている。笹桑ゆかりはまた口を尖らせた。
「えー、意表を突いた、いいアイデアだと思ったんすけどねえ」
「意表を突いただけじゃねえか」
俺はため息をつきながら、タバコの吸い殻を灰皿でもみ消す。だが。その手が止まった。
おい。もしかして、また同じレベルの失敗を繰り返そうとしていないか。海崎志保のマンションで、四人目を見逃したあのときと。周りを見て、後ろを振り返って、潰せる可能性があるのなら潰しておくべきなんじゃないか。
ジローを見た。いつものように、いつものソファの端っこで、目の焦点を遠く虚空に結んで膝を抱えている。
「ジロー」
その正面に向かい合って座った。
「あのホワイトボードの名前の中に、同一人物はいるか」
しかしジローは反応しない。やはりいないのか。いや、待て。俺は言い直した。
「ジロー、あのホワイトボードの名前の中に、同じ顔をしたヤツはいるか」
だが当然の如く沈黙。いなかったか。我ながら間抜けな質問だったな、と新しいタバコを咥えたとき。ジローがおもむろに立ち上がった。ゆらゆらとホワイトボードに近づくと、ある名前を指差す。そして呆気に取られる俺を振り返ると、のぞき込むような姿勢になってこう言った。
「保険証をお願いします」
あっ! 俺は声を上げた。タバコが宙に舞う。そうか、そういうことだったのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます