第 2 話 五味民雄 (下)

 いやあ、今日はラッキーだった。たまには銀行ものぞいてみるもんだ。まさかあんなネタが落ちてやがるとはな。


「近々土地の取引があるのよ」


 そう言いながら婆さんが窓口で金を下ろしていた。三百万円。別に不自然なところがあった訳じゃない。その程度の金額の土地取引も実際にあるだろうし、不動産関係はいまだに現金が幅を利かせる業界だ。当面入り用な金額が三百万でも、別段何の不思議もない。


 だがもし、あのセリフの内容が誰かに指示されたものだとしたら。そう思って俺は婆さんの後をつけてみた。ちょうどヒマだったしな。そして家を見張ってたら、三十分と経たないうちにあの偽物の警官が来やがったって訳だ。


 何が財務課だよ。県警にそんな部署があるか。それに前科がつくとかつかないとか、いつから警察は裁判所になった。設定がボロボロじゃねえか。もちろん俺の立場としては、そういう間抜けな連中が増えてくれた方が、楽な儲け話も増えて有り難いのだが。


 しかし一日で、いや、ものの一時間足らずで三十万か。働かないで手に入る金は旨味が違うな。今日はツイてる。もしかしたらラッキーカラーがグレーで、ラッキーアイテムが白いセダンで、ラッキーナンバーが三百だったりしたのかも知れない。今なら万馬券を買っても当たるんじゃねえか。目指せ貯蓄生活! 目指せ上流階級!


 ……なんてな。ちっとハシャギ過ぎか。俺はガキとオカルトが大嫌いだ。この世にラッキー××なんてモノが本当にあるとは思っちゃいない。ある訳がねえだろ。


 そもそもラッキーって何だ。たとえば突然金が手に入るのはラッキーか。確かに金が儲かるのは嬉しいな。だが誰かが儲かってるってことは、同時に誰かが損をしてるってことだ。その恨みや妬みを背負い込んで、それでもプラマイでラッキーだと言い切れるのか。アホ臭い。


 人間が金を稼ぐのはラッキーが欲しいからじゃない。ただ生きるのに必要なだけだ。


 もし仮に、この世にラッキーなモノや色があるとしたら、そいつはきっと裏側の見えないところに、タチの悪い不幸をくっつけてるに違いない。世の中なんて、どうせそんなもんだ。


 ま、それがわかっていても、手に入る金は全部手に入れたいのが人間ってものなのかも知れないが。


 なんてことを頭の中で一人考えながら歩いていると、事務所のあるビルの前の路肩に停まった赤いローバーのミニから女が下りてきて、笑顔で俺に手を振った。


「五味さーん。ちーっす」


 そう手を振る黒いスーツ姿の女は、身長が百七十五センチくらいあるだろうか。俺よりも三センチほどデカい。靴は革のベタ靴である。長い手足も、短く切った赤っぽい髪も、通った鼻筋の周りのソバカスも、色素の薄い大きな瞳も、日本人的な雰囲気からはかけ離れている。これだけの容姿があれば、雑誌記者などやらなくても食って行けたはずだ。どこぞの歌劇団にでも入れば良かったろうに、と俺はいつも思う。


「なんだよササクマ」

「自分、笹桑っすよ。いい加減、名前覚えてくんないすか」


「冗談だ」

「そりゃまた、わかりにくい冗談っすねえ」


「うるせえよ、ほっとけ。で、人の事務所の前で何か用か」


 俺は胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。


「ここ、路上喫煙禁止エリアじゃなかったっすか」

「だからうるせえよ。用がないんなら帰れ」


 と言いつつあちこちまさぐってライターを探していると、笹桑ゆかりが自分のポケットから取り出したマッチでタバコに火をつけた。にらんでやったが、相手は人懐っこい笑顔を返すだけだ。


「情報買ってくんないすか。今月イロイロと厳しくて」


 確かにいまは情報を買う金はある。だが情報なんてものは野菜と同じだ。何でもかんでも買えばいい訳じゃない。中には腐ったヤツもあるからな。


「……内容によるな」


 俺は一口、煙を吸い込んだ。



 ◇ ◇ ◇



 五味さんはネットやります? まあやりますよね、いまどきお年寄りだって幼稚園児だってスマホでネットやってますし。そもそもネットやらないで私立探偵なんてできっこないんすもんね。記者も同じっすよ。まったく便利になったのか面倒になったのか。


 いや、それはともかく、そのネットのちょっとディープな部分でいま問題になってるサイトがあるんすよ。どんなサイトだと思います? ああ、ハイハイもったいぶるのはやめます。一言で言っちゃうと『自殺サイト』なんす。


 まあ自殺サイトって言っても、別にサイトに「自殺はいいことだ!」「自殺は素晴らしい!」とか書いてる訳じゃないんすよ。そんな濃い主張はないんす。いや、どっちかって言うとほとんど何も書いてない。実際に探して見てみたんすけど、これといって何の説明もないんすよ。ただトップページに「死について語り合いましょう」的なメッセージが書いてあって、あとはメアドの登録欄があるだけで。


 メアドっすよ、いまどき。ログインする訳でもないのに。差別化なんすかね。でも確かに、ショートメッセージ送るからスマホの番号入れろって言われたら、さすがに誰も入れないっすよね。そう考えると、ある意味メアドで十分なのかも知れないっすけど。


 そんで、私なりにイロイロ調べてみたんすけど、どうやらここにメアド登録すると「キャプテン」てヤツからメールが来るみたいなんす。で、そのメールに「チャレンジ」っていう指示が書いてあって、それを毎日クリアするのが、仕事っていうか登録したメンバーの義務みたいなんすよ。そうやってチャレンジをクリアし続けると……。


 これ、五味さんに言うのはアレかも知れないっすけど、見えるらしいんすよ。え、何がって? えーっと、その、怒りません? 怒らないでくださいよ、何て言うか、その、いわゆる悪魔が。


 いやいやいや、まあ最後まで聞いてくださいよ。そんな顔しないで。別に私が悪魔見たって訳でも見たい訳でもないんすから。ただそういう噂がネットで一人歩きしてて、怖い物見たさって言うんすかね、若い子が結構たくさん登録してるって話なんすよ。


 でもそれで終わるんなら、単なる都市伝説と変わらないっすよね。どうせ名簿業者か何かがメアドを収拾するためにサイト作って噂を流して、それに引っかかったガキんちょがたくさんいましたよ、ってだけの話かも知れないじゃないすか。


 ところがっすよ。六月のことっすけど、その、高校生が自殺したんすよ。マンションの屋上から飛び降りて。で、その子のSNSには最後の書き込みがあって、それが「悪魔を見た。さようなら」って一言だったんす。これがその自殺サイトの影響なんじゃないかって、いま話題になってるんすけど、いやいやいや、だからちょっと待ってくださいって。本題はこっからなんすから。


 その自殺した高校生の学校ってのが私立なんすけど、そこの理事長ってのが、実はあの、「ヤミシン」なんすよ。……あれ、ヤミシン覚えてないっすか。え、もう忘れ去ってんすか。去年前半すごい話題になりましたよね。「闇のシンデレラ」っすよ。ほら、大金持ちと結婚したら家族全員死んじゃって、財産独り占めしちゃったっていう。そうそう、製薬会社の未公開株受け取って疑惑になった、あのヤミシンが理事長なんすよ。これ何かあると思いません? 結構すごい話っしょ?


 え、怪しいなら何でうちで追わないかって? いやあ、この学校、顧問弁護士が出版関係に強い人らしくって、うちは腰が重いんすよ。新聞社系は動いてるって話もあるんすけどねえ。



 ◇ ◇ ◇



 事務所前の路上で話を聞き終わった俺は、しばらくタバコを鼻の先で動かした。頭をひねるときのいつもの癖だ。そして再び赤髪のデカい女を横目でにらむ。


「で、いくら欲しい」


 はじけるように応える笹桑ゆかりの笑顔。


「五万!」


 ぶん殴ってやろうかと思ったが、さすがに公共スペースだ、やめておいた。


「高すぎんだよ、三万にしとけ」

「ええーっ、私、これでもイロイロ裏取るために頑張ったんすけど」


「新聞社系が動いてるネタなんだろ」

「まあ業界内では有名っすけど」


「だったら妥当だ馬鹿野郎。三万でも御の字だろうが。文句があるなら帰れ。二度と来るな」


 背を向けて車から離れようとする俺の腕を、笹桑ゆかりは引き留めた。


「あーん、もう! わかりました! わかりましたって! 持ってけ泥棒!」

「誰が泥棒だ。最初から素直に納得しとけ」


 俺は胸のポケットから万札を三枚抜き出すと、笹桑ゆかりの目の前に突き出した。もちろん、元手はさっきオレオレ詐欺の受け子から奪った三十万だ。残念そうな顔でそれを受け取ると、相手は泣きそうな顔で一つため息をついた。


「はあ、社会に出たばっかりの純真な女の子が、こんなオジサンにオモチャにされて」

「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ。それよりも」


 俺は尻のポケットから取り出したヨレヨレの手帳にボールペンを構える。笹桑ゆかりは面白そうにそれを見つめた。


「うわ、アナログっすね」

「ほっとけ。それより学校の名前教えろ」


「海蜃学園高等学校、あの海蜃館大学の系列校っすよ。てか、自殺サイトの方はいいんすか」


 手帳を尻ポケットに戻したとき、俺はいわゆる苦虫を噛み潰したような顔だったろう。


「ガキとオカルトは大嫌いなんだよ」

「ええー、ちゃんと調べた方がいいと思うんすけど」


 しかし笹桑ゆかりは、俺の言葉に何かを思い出したように、こうたずねた。


「あ、でも五味さん、そう言えばいまガキ飼ってるんすよね。聞きましたよ。歳とって丸くなったんじゃないかってみんな噂してますし」

「あれはガキじゃねえよ」


 俺はタバコの吸い殻を指で弾いた。火のついたままのそれが、笹桑ゆかりのミニの助手席に飛び込んで行く。


「ああーっ! 何するんすかーっ!」


 慌ててミニのドアを開ける笹桑ゆかりに背を向けた俺は、雑居ビルのガラス扉に手をかけ、誰に聞かせるでもなく一言こうつぶやいた。


「ただの道具だ」

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