第 5 話 人間コピー機 (上)
マニアの語源はギリシャ語で「狂気」を意味するメイニアだという。
世の中には様々なマニアがいる。アニメや鉄道やアイドル、そういったメジャーなジャンルのものは――メジャーなマニアという言葉のおかしさはともかく――その存在を広く知られてはいるが、マニアとは本来少数派だ。何せ狂気なのだから。
社会通念や一般常識からかけ離れてこそのマニアである。だがそれ故に、彼らの多くは普段姿を見せない。社会の片隅に身を置き、目立たないように暮らしている。そんな世の人々にほとんど存在を知られていないマニアックな世界も多々あるのだ。その一例が「住所マニア」なのではないか。
地図には一般的な国土地理院が発行しているようなタイプもあれば、道路や鉄道を中心に描かれた地図もある。だが住所マニアが特に愛好するのは「住宅地図」だ。個人住宅の世帯名、所番地などが書かれた、普通は役所や企業などが購入する特製の地図である。一冊一万五千円くらいはするのだが、住所マニアはこれを自分が使いやすいようにカスタマイズする。
さらに住所マニアは住宅地図の内容を記憶する。だが、単に丸暗記するだけでは終わらない。彼らはそれを「理解」する。すなわち、テレビで一瞬映る町並み、雑誌の写真に切り取られたマンションの入り口、SNSに上げられた部屋の写真の窓に見える景色など、極めて断片的な情報から正確な住所を割り出すことができるのだ。
もちろんそうは言っても、一人で日本中の住所をすべてカバーできる住所マニアはいない。いかにネットの地図機能が発達した現代であろうと、そんな化け物はいないはずだ、さすがに。よって基本的に彼らがその能力を発揮できるのは、自分の行動範囲に限られている。ただし、その行動範囲が一般常識からかけ離れた広さではあるのだが。
去年、海崎志保が「闇のシンデレラ」と書き立てられバッシングを受けたとき、肥田久子がテレビのインタビューを受けたことがある。それは自宅前だったらしい。
もっとも当時の俺はそんな映像を見た記憶などない。今回それを見せてくれたのは、
肥田久子が映ったディスクをコピーしてもらい、俺とジローは住所マニアの四道兼持の家にやって来た。呼び
画面にはすぐ肥田久子が映る。ソフトの起動が速い。おそらくうちの事務所のPCとは性能の次元が違う。やはり道楽に金をつぎ込めるヤツにはかなわない。
まあそれはともかく、映像には肥田久子のシーン以外、余計な部分が入っていなかった。どうやら猿渡がワイドショー全編の中から、彼女の映ったシーンだけを編集して抜き出してくれたらしい。
「こりゃあいいや」
四道兼持は喜んでいる。
「これどんな人が作ったの」
俺が名前は出さずに「知り合いにワイドショーマニアがいてね」とだけ答えると、四道兼持は楽しそうに笑った。
「変な趣味の人がいるんだよなあ、世の中には」
おまえの趣味も大概だぞ、と思ったものの、さすがに口には出さない。
「で、わかりそうか」
「うん、もうわかった」
そう言うと四道兼持は本棚から一冊の住宅地図を取り出して付箋だらけのページを開き、その端っこを自信満々に指をさした。
「ここ。向こうに見えるマンションの形と、すぐ後ろの電柱の角度と、歩道のない路地。だからここしか絶対にない」
確かにそこには「肥田」の文字が見える。これか。胸のポケットから四道兼持に万札を二枚渡し、急いでその住所を手帳にメモした。
「随分アナログなんだな」
「うるせえ」
こうして俺は最初の取っかかり、肥田久子の家を突き止めたのだった。
郊外の山肌に並ぶ建売住宅のような貧相さこそなかったが、肥田久子の家はこの近辺では決して大きい方ではないように見えた。家を取り囲む白い塀は漆喰土塀ではなくコンクリートで、出入り口の左にシャッターの錆び付いたガレージがある。門はない。小さな庭はあるようだが、大富豪の別れた元妻の邸宅と呼ぶには、随分とわびしい住まいだった。
玄関横のインターホンを押してみたものの反応はない。俺はクラウンを少し離れた路肩に停めて待つことにした。それから三時間ほど経ったろうか、引き戸が静かに開き、中から出て来る婆さんの姿。ワイドショーの映像で見たのと服装は違うが、おそらく肥田久子本人だ。どうやら居留守使ってやがったな。
買い物カゴを下げて早足でクラウンの横を通り過ぎようとした、その前をふさぐようにドアを開ける。
「肥田久子さんですね」
老婆は全身で警戒した。顔がこわばっている。
「何よアナタ、どこの新聞社。警察呼ぶわよ」
低い声で噛みつかんばかりに唸る。それを俺は笑顔でかわした。
「残念ですが新聞社じゃありません」
「じゃあテレビ局ね」
「いや、テレビ局でも雑誌社でもないんです」
どうやら随分とマスコミにトラウマがあるらしい。しばらく俺をにらみつけた後、肥田久子は苛立ちを見せた。
「アナタ、いったい何なの」
俺は胸ポケットから角の部分が少しヨレヨレになった名刺を取り出し、右手で差し出した。こわごわそれを受け取った肥田久子は、老眼なのか眉を寄せ、少し離しながら声に出して読む。
「……五味……総合興信所?」
「はい、所長の五味民雄と申します」
肥田久子の顔が少し明るくなったような気がした。
「興信所ってことは、何か調べてるのね」
「単刀直入にうかがいます。海崎志保さんについてお聞かせ願えますか」
待っていた。ずっと待っていた。肥田久子の表情の変化は俺にそう訴えかけていた。
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