第24話 海崎惣五郎 (上)
結論から言えば、海崎志保個人に関する捜査は、県警の捜査一課でも思ったほど進んでいなかった。昨日の件については、証拠が集まる前に築根麻耶が独断で突っ走った感がある。本木崎才蔵の件について追求すれば、海崎志保から自白が取れると踏んだ訳だ。まあ結果は大失敗だったが。ただ、やはり刑事の頭数が揃っているだけあって、周辺の捜査の広がり具合はさすがと言えた。
先端薬剤研究所の爆発事故の直前、海崎志保の祖父である海崎惣五郎が大帝邦製薬の株を売り、ライバル企業の株を大量に買い付けていたという事実がある。限りなくインサイダー臭いのだが、事故は事故だ。決算や事業計画の発表とは訳が違う。あの事故が実は単なる事故ではなく、事前に予期できたものだったという証明ができない限り、不正取引を追求することはできない。
本木崎才蔵がサイノウ薬品に就職するとき、海蜃館大学の卒業証明書が提出されている。当然書類の偽造を疑われるケースだが、本物の本木崎才蔵が海蜃館大学の卒業生であるため、手続き上は問題なく発行されたことがすでに判明済みだ。もちろん卒業証明書取得の際に偽物の本木崎才蔵から提示された身分証明書は、偽造の可能性が極めて高い。とは言え、それはまた別件となる。
谷野孝太郎が本木崎才蔵の正体であるという証拠はまだない。おそらくそうであろうという前提で県警は動いているし、俺もまたそうだとは思っているのだが、もしそうであった場合、そもそも谷野孝太郎はどうやって本木崎才蔵の情報を手に入れたのかという問題が残されている。情報を手に入れ、なおかつ孝太朗に与えることもできるような人間など限られている。だが、まだ捜査はそこまで進展していないようだ。
海崎志保の両親である海崎美保と谷野孝太郎は、駆け落ち同然の状態で結婚したという。海崎惣五郎はこれに大反対し、美保を勘当する寸前まで行ったそうだ。しかし美保と孝太郎が離婚した後は、即座に美保親子を受け入れている。一方、孝太郎は海崎家および海蜃館大学に出入り禁止となったようだ。これはある意味当然の対応のようにも見えるが、果たしてどこまで本当なのだろう。谷野孝太郎が本木崎才蔵の正体だとしたら、わざわざ海蜃館大学の卒業証明書を狙って騙し取ったとでもいうのだろうか。
篠生幸夫は海崎志保が結婚した当初からのかかりつけ医だ。あのクソ図太い海崎志保の精神を追い詰めたというのだから、旧家のプレッシャーってのはとんでもないな。篠生の家族は現在妻のみ。高校生の娘が一人いたが、六月に自殺している。その頃から妻の奇矯な行動が目立ち始め、近所でも噂になるレベルだという。とは言え、夫婦仲は良いという評判だそうだ。
海崎志保と篠生幸夫の関係が単なる患者と医者の関係かどうかは、まだ警察でも確証が得られていないようだ。ただ仮に男女の関係であったとしても、研究所の爆発事故に篠生幸夫が関与しているとまでは考えられていない。さすがにその線はナシか。
海崎志保と悪魔の羽根の関連について、一課はまったく重視していないらしい。おそらく俺の方が情報を持っているんじゃないか。それがわかったことは喜んでいい点かも知れない。
昼飯にこだわるタイプでもないので、ピザを取るのは構わないが、Lサイズ二枚はちょっと多いだろう。しかし笹桑ゆかりは平然と言ってのけた。
「大丈夫っすよ。余った分は私が全部食べますから」
「おまえ、太るぞ」
「やだなあ五味さん、それセクハラっすよ」
そう笑いながらバクバクと遠慮なく食べる。隣でジローはまたカレーをむさぼり食っている。築根麻耶は食欲がまるでないらしく、青い顔でうつむいて座り込んだままだ。
結局、話をすり合わせるだけで午前中いっぱい時間を使った。焦る女刑事はすぐにも海崎志保を追いたい様子だったが、もちろん行き先に当てがある訳でもない。
「一つ確認しときたいんだが」
ピザを一切れ持った俺の言葉に、築根麻耶は顔を上げず、横目で応じた。
「何だ」
「拳銃には弾が入ってたのか」
すると上着のポケットを探り、黒光りする長方形を取り出してテーブルに置く。先端に真鍮色の薬莢が見える。自動拳銃の弾倉だ。ということは、つまり。
「銃は空だ。だからって盗まれてもいいことにはならないが」
「こういうのは、すぐ撃てるような状態にしておかなくてもいいのか」
俺の問いに築根麻耶は首を振る。
「暴発させるよりマシだ」
「なるほどな。とにかくどこかで弾を手に入れる可能性もゼロじゃないが、当面は撃ち殺される心配はない訳だ」
これに築根麻耶が困惑した顔を上げた。
「撃ち殺される? 誰が」
「海崎志保に決まってるだろ」
そう言って俺はピザを口に詰め込んだ。築根麻耶の目が見開かれている。
「海崎志保が殺されるって言うのか。何故」
何ともえらく脂臭いピザだな。俺は口の中の物をコーヒーで流し込むと、タバコを一本取り出した。
「逆に聞きたい。殺すつもりもないヤツを連れ去って何の意味がある。それも刑事の拳銃と警察手帳を奪ってまで」
「連れ去っただと? 海崎志保が進んで逃げたんじゃないのか」
「逃げる理由があるのか。あの図太いクソ度胸の塊みたいな女に」
俺がタバコを咥えると、笹桑ゆかりがむーっとむくれた。
「五味さーん。食事中くらいタバコは勘弁してくださいよー」
俺は舌打ちをして、ジローを見た。もうカレーは食い終わっている。タバコを咥えたまま丼を手に立ち上がり、キッチンに向かった。
「海崎志保に逃げる理由はない。少なくともあの女は警察なんぞ恐れていないからだ。だが、その向こう側にいるヤツはそうじゃなかった。県警捜査一課のお出ましに危機感を抱いたって訳だな。アンタを狙ったのは、一人でノコノコ近づいて来たから好都合だったんだろう。拳銃と警察手帳を奪ったのは、もしかしたら不祥事絡みで捜査が有耶無耶になる可能性に期待したのかも知れない」
丼を軽く水で流して洗い桶に浸け、振り返って流し台にもたれた。こちらをにらみつけている築根麻耶に向かって話を続ける。
「拳銃と警察手帳を奪った以上、そこに海崎志保を残してはおけない。当たり前だ、逮捕されるだけだからな。もちろん、アンタを殺すって手も考えたんだろう。死体を隠して行方不明にするとか方法はない訳じゃないが、そんなことになりゃ、警察は最後に築根刑事と会った海崎志保を徹底マークするに違いない。それじゃヤブヘビだ。だからアンタは殺されなかった」
俺は後ろ手に換気扇を回し、その下でタバコに火を点けた。
「なら、海崎志保の方を行方不明にするしかないよな。だが実際問題、大人の女を一人隠すってのは簡単じゃない。以前から準備していたのならともかく、今回のは突発的だ。ホテルであれどこであれ、一時的には身を隠せても長く隠し続けるのは難しい。だとしたら最初から、つまりアンタの拳銃と手帳を奪った時点で、海崎志保をいつまでも隠すつもりはなかったと考えるべきなんじゃないのか」
口から湧き出た煙は換気扇に吸い込まれ消えて行く。何ともわびしい景色だ。
「明日辺り、どっかの港に海崎志保の水死体が浮かんでるかもよ」
築根麻耶はまだ俺をにらみつけている。まるで俺が憎い犯人であるかのように。
「おまえ、悪魔か」
「あいにく、ガキとオカルトは大嫌いでね。何にせよ、海崎志保がもう殺されてる可能性は否定できない」
すると、頬をパンパンに膨らませた笹桑ゆかりが、俺を振り返って何かモゴモゴ言いだした。
「あ? 何だよ、飲み込んでから喋れ」
コーラでピザを飲み込み、口元にピザソースをつけたまま、俺と築根麻耶の顔を見比べて赤髪の女は言う。
「でも海崎志保が殺される可能性があるってことは、同時に殺されない可能性だってあるってことっすよね」
それを聞いて築根麻耶の顔に明るさが差した。笹桑ゆかりを見つめ、俺を見つめる。
「あるのか、その可能性が」
気付かせるなよ、おとなしく諦めてくれそうだったのに。まったく面白くない。面白くはないのだが、もう成り行き上、協力をしないという訳にも行かない。
「そりゃ可能性だからな。あるっちゃあるさ。俺としちゃ、悪魔の羽根を先に調べたいんだがね」
とりあえずいまの俺には、この程度がせいぜいの抵抗だろう。
「まあ、仕方ねえな。そっちから始めるか」
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