第8章 桜色に染まる空の向こうで

第28話

 あのあと、病室を訪れた先生たちが私の姿を見て驚いたように声を上げた。

 奇跡だと言う先生もいた。涙を流して喜んでくれる看護師さんもいた。

 そして、なによりも……。


「真尋!!」

「お、お母さん!?」


 先生たちをかき分けて病室に入ってきたのは、海外にいるはずのお母さんだった。その後ろには、たくさんの荷物を持ったお父さんの姿もある。

 お母さんは、私の身体を抱きしめると、声を上げて泣いた。


「ど、どうしてここに……」

「看護師さんたちが連絡くれたのよ!」

「そ、そうじゃなくてお腹! 飛行機乗って大丈夫なの?」


 慌てて尋ねる私に、お母さんは涙でいっぱいの目を細めて「バカね」と言うと、ギュッと背中に回した腕に力を入れた。


「ちゃんとお医者さんには相談したわ」

「ならよかった。その子に何かあったら私……」

「本当にバカなんだから。お母さんにとっては、この子もあなたも、同じぐらい大切なのよ」

「で、でも……」

「どちらかだけいればいいわけじゃないの。どっちもいなきゃダメなの」


 お母さん……。

 そんなふうに思ってくれていたなんて……。

 お母さんの腕の中で、抱きしめられていた私に「真尋」とお父さんが声をかけた。


「身体は、本当に大丈夫なのか?」

「うん。さっきまで苦しかったけれど、もう平気だよ」

「そうか……。よかった」

「心配かけてごめんね」

「……そんなことで謝らなくていい。心配するのは父さんと母さんの特権なんだ。お母さんも言ってただろう。父さんたちにとって、真尋もそしてお腹の子もどちらも大切な我が子なんだ」


 お父さんは、ごつごつした大きなてのひらで私の頭を撫でた。温かくて、優しい手。廉君のものとは違って、ぬくもりのある、生きている人間の、手。


「っ……」

「真尋?」

「どうした? どこか苦しいのか?」

「う……ううん、違う。違うの……」


 思い出してしまう。もう会えない、あの人のことを。

 優しく私のことを見守ってくれていた、大好きなあの人のことを。


「私、お父さんとお母さんのことが大好きだよ」

「真尋……」

「心配してくれて、ありがとう。私はもう、大丈夫だよ」


 涙を拭って微笑みかけると、二人は安心したように息を吐いた。

 あの日々のことは、きっと誰に言っても信じてくれないだろう。夢を見ていたという人もいるかもしれないし、薬の影響で幻覚を見たんじゃないかと言われることもあるかもしれない。

 それでも、私は廉君と――私の優しい死神さんと過ごした三十日を忘れない。

 いつか、もう一度あなたが迎えに来てくれる、その日まで。



 季節は巡る。

 春が過ぎ、夏が終わり、木々が赤や黄色に色づき始めたころ、私は人生の半分以上の時間を過ごした病院から退院することとなった。

 あんなに悪かった心臓は、先生たちが首をかしげるほど回復していき、これなら日常生活を送るにも問題ないと判断されるまでになった。この調子でいけば、春から高校に通うことも夢ではないと言われている。

「そのためにも、しっかり勉強しなくちゃね」なんて、出産のためお父さんを残し一足先に日本へと帰ってきたお母さんに言われて、遅れているところをなんとかするために家庭教師の先生にも来てもらうことにした。どんどんと生活が変わっていく。

 病院で誰にも会うことなく一人でいたあの頃の私とは違う。前を向いて、未来に向かって進んでいる。


 未来といえば、最近病院に行ったときにようやく赤ちゃんの性別がわかったそうだ。

「ずっと手で隠していてね、わからなかったのよー。それがやっと見せてくれたの」と、嬉しそうにお母さんは言っていた。


「どっちだったの?」

「どっちだと思う?」

「どっちでもいいけど……」


 でも、本当は――ほんの少し、弟だったらいいなって思っていた。妹でも絶対に可愛いと思うし、服を一緒に選んであげたり、一緒に出掛けたり楽しみなこともいっぱい思い浮かぶ。けれど……。どうしても小さな女の子から「お姉ちゃん」と呼ばれると、今でも望ちゃんを思い出してしまうから……。もしも妹だったときに、私はその子に望ちゃんを重ねてしまうんじゃないかと、そう思うと不安になる。

 黙り込んでしまった私にお母さんはにっこりと笑うと、もったいぶってから口を開いた。


「答えは……弟です!」

「そ、っか」

「なによ、反応薄いわね」


 だから、私はお母さんの答えを聞いて、ホッとして思わず息を吐いた。そんな私にお母さんはどこか不服そうにそう言うものだから「そんなことないよ、すっごく楽しみ」と、慌てて訂正した。

「本当に?」と、それでも不安そうに言うお母さんに私は「本当だよ! 早く生まれてこないかなー」ともう一度言うと、今度こそお母さんは嬉しそうに笑った。



 あの不思議な出会いから、いつの間にか一年がたった。

 私は今、満開の桜の木の下に一人佇たたずんでいる。


「やっと咲いたよ、廉君」


 すっかり大きくなったあの桜の木は、今年初めて花を咲かせた。他の木に負けないぐらい、綺麗なたくさんの花を。

 桜の幹にそっと触れてみる。あのときみたいに、脈打つ音は聞こえない。けれど、手に伝わるぬくもりが、木が生きていることを私に教えてくれる。


「ねえ、廉君。私ね、高校生になったんだよ」


 私は、制服のスカートをひるがえしながらクルリと回ってみせると、桜の木に話しかけた。

 彼は今もどこかで、私を見守ってくれているのだろうか。「スカート、短すぎない?」なんて仏頂面で言っていたりして。


「ふふ……」


 小さく笑って、それから目尻に溜まった涙を拭った。

 

「廉君にも、見てほしかったなぁ」


 そんなことを思ったところで、もうそれは叶わぬことなんだけど。でも、それでも一目でも見て「似合ってるよ」とか「よく頑張ったね」とか言ってもらいたかった。


「廉君……」


 名前を呼ぶと、返事をするかのように風が吹き、桜の花が降り注いだ。

 まるで「ここにいるよ」とでもいうように。


「真尋―!」

「そろそろ帰るぞー」

「はーい」


 遠くから、私を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、お父さんとお母さんとそれから少し前に生まれた弟の姿があった。

 三人に返事をすると、私はもう一度桜の木を見上げた。


「ねえ、廉君。今度はちゃんと迎えに来てよね」


 桜を抱きしめるように、そっと手を回す。


「その日まで、待ってるから」


 桜の花が、空へと舞い上がる。

 桜色に染まった空の向こうで、優しい私の死神さんが微笑んでいるかのように。



《完》

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優しい死神は、君のための嘘をつく(旧題:桜色に染まる空の向こうで優しい死神は笑う) 望月くらげ @kurage0827

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