第4章 咲かない桜の木の下で
第11話
あの日から、特に体調が悪くなることもなく代わり映えのない毎日を過ごしていた。死神さんが来ては話をしてまた帰っていく。平和といえば平和で、でも一つだけ。たしかな変化が私の中にあった。
「それで……」
死神さんが今日あった出来事を話してくれている。でも、私の意識は死神さんではなく外へと向けられていた。
ピンク色の絨毯のように一面が色付いた木々の中に一つだけまだ蕾すらない木を見つめる。ひときわ小さなあの桜の木を。
「花が咲いたら一緒に見よう。ここで」
生死の境をさまよったあの日から、やけにあの約束の言葉が頭の中で鳴り響く。あんな約束、覚えていたって仕方がないのに……。
「ばっかみたい……」
それでも、廉君とした約束が幼い私の支えだったのだ。あの桜が咲いて廉君と再会することを願って苦い薬も飲んだし、痛い点滴だって我慢した。元気になってきっと廉君と二人で桜を見るんだ、と。……なんて、今となっては全て無駄だったのだけれど。
今年も桜は咲かない。そして、私はいつ咲くとも知らない桜の開花を待つことなく、死ぬのだから。
「僕のこと?」
「え? 何が?」
「今、ばかみたいって」
「あっ、ううん。そうじゃないの。そうじゃないんだけど……」
話をやめて私を見つめる死神さんに慌てて否定する。けれど、死神さんの後ろに見え隠れする桜の木が気になってしまう。あんな夢を見たせいか、桜の木を見ると胸がざわつく。
「…………」
「どうしたの?」
「え?」
「外に何かあるの?」
「うん……」
私の言葉に死神さんは同じように外を見て、そして「桜?」と尋ねた。
「うん……。あそこにね、咲いてない桜があるの。見える?」
「ああ、あの小さな木だね」
「そう。あれね、私が植えたの」
「……へえ」
「…………」
あまりにも興味なさそうに言う死神さんに、思わず口を
「え……?」
「あれがどうかしたのかい?」
「あ、えっと……。昔――といっても六年ぐらい前の話なんだけど、私と同じようにここに長いこと入院していた男の子と二人で桜の苗木を植えたの。二人で元気になって、あの桜に花が咲いたらまたここで会おうって」
「そうなんだ。でも、あの桜咲いてないみたいだけど」
桜を指差すと、死神さんは言う。そんなこと言われなくても分かっている。五年も経てば咲くはずの桜は咲かなかった。そして、廉君も来なかった。
「そうなの。咲かなかったの」
「そうなんだ。それは残念だったね」
「あーあ。桜が咲くところ見たかったなぁ」
思わず口をついて出た言葉。その言葉を取り消そうと、慌てて口を押えようとして、やめた。
今までたくさんのことを諦めてきた。学校に行くことも、家族と一緒に暮らすことも普通の生活を送ることも。ならせめて、それだけでも叶ってほしかった。叶わなかった願いだけれど、ぼやくぐらい許されてもいいんじゃないだろうか。今となってはもう叶うことのない無理な願いなわけだし。
でも、そんな私と咲かない桜の木を交互に見たあと、唐突に死神さんは言った。
「……咲かせようか?」
「え?」
「桜の花、僕が咲かせようか?」
死神さんはまるで「今からジュースでも買ってこようか?」というぐらいの気安さで、事も無げにそう言ったのだ。
そんな死神さんに私は「そんなことできるの?」と尋ねてしまっていた。
「まあ、やってやれないことはないかな」
「そうなんだ……。死神って凄いね」
「そんなことはないけど。じゃあ、咲かせるよ」
「ありがとう。……でも、いいの」
断る私に死神さんは「どうして? 見たかったんでしょう?」と食い下がる。そんなふうに言う死神さんは珍しくて、でもそれでもその申し出を受けるわけにはいかなかった。
「そういうことじゃないの」
「どういうこと?」
「……あの桜が咲くところを、彼と一緒に見たかったの。死神さんと一緒に見たって仕方がないじゃない」
「っ……」
死神さんは一瞬、言葉に詰まったあと「でも、咲くところを見たいんでしょう?」とさらに食い下がった。本当にどうしてしまったんだろう。今までこんなふうに私が言ったことに対して自分の意見を言うことなんてなかったのに。
「どうしちゃったの?」
「なにが?」
「今日の死神さん、なんか変だよ」
「そんなことないさ。ただ、君が桜の花が咲くところを見たがっている。僕にはそれを叶える力がある。なら、叶えてあげたいって思っただけだよ」
「……ありがとう」
死神さんの優しさが嬉しかった。でも……。
「でもね、いいの。それにもしかしたら一生咲かない桜だったのかもしれないしね」
「一生?」
「そう、一生」
あのとき、二人で苗木をもらったときにおじさんは言っていたのだ。「上手く咲けばいいけどね」と。つまり、上手く咲かない桜もあるということだ。きっと、私たちが植えたあの桜は死んでいてこれから先も花が咲くことはないのだろう。まるで、大人になることなく死んでしまう私のように。だから……。
「だから、もういいの」
これで話はおしまい、とばかりに私はベッドを降りると、カーテンを閉めて再びベッドへと戻った。死神さんに背中を向けて頭まで布団を被る。
しばらくしてため息を吐く音が聞こえたかと思うと「わかった」と言う声が聞こえた。その声に後ろを振り向くと、そこにはもう死神さんの姿はなかった。
残された私は、廉君とそしてなぜか死神さんの姿を交互に思い浮かべながら眠りについた。
気が付くと、私はまた夢を見ていた。
廉君と過ごした日の夢を。
夢の中の廉君は、この間の夢よりも少し大きくなっていた。
「会えなくなるの、寂しい」
「僕も寂しいよ」
どうやら廉君の退院が決まった日のことのようだった。
そうだ、あの日の私はおめでたいことなのに廉君に置いて行かれてしまうのが悲しくて泣いていたのだ。
そんな私に廉君は首に手を当てて「また会いに来るから」と微笑んだ。
……ああ、なんだ。そっか、そういうことだったんだ。
どうして気付かなかったんだろう。廉君はもう私に会いに来る気なんてなかったのだ。だって、あれは首に手を当てるのは、廉君が嘘を吐くときの、癖。
優しく微笑んで、泣いている私を慰めながら廉君はもうここに来ることはないとそう思っていたのだ。
なのに、今の今まで約束を信じていたなんて、なんて
「約束だよ」なんて言っている幼い私を冷めた目で見つめながらも、廉君が私を見つめる目がなぜか悲しそうに見えて、私はそんな廉君から目が離せずにいた。
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