第10話

 だんだんと廉君の声が、姿が遠くなっていくのを感じる。ああ、夢が終わる。この懐かしい夢から醒めてしまう。

 これでお別れなんだと思うと、せっかく会えたのに話しすらできなかったことを悔やむ。「廉君」と私自身の言葉で話しかけたかった。幼い私ではなくて、今の私を見てほしかった。

 そして、私は気付いてしまった。自分の中で廉君とのことが過去になっていたわけではなくて、思い出して裏切られたような置いて行かれたような、そんな気持ちになるのが辛くて苦しくて悲しくて、記憶の中に蓋をしていただけだったんだと――。


「っ……ぁ……」


 突然、身体が重さを増して、強烈な光に眼球を照らされたような感覚に襲われて私は目を開けた。

 身体中、たくさんのコードに繋がれていたけれど自分自身の心臓の音がやけにうるさく頭の中に響いていた。

 私、生きているの……?

 視線を動かすと、先生や看護師さんが慌ただしく動き回っている。そしてその奥に佇む人の姿が見えた。あれは、もしかして――。


「っ……!」


 一瞬、彼が――廉君が立っているのかと思った。でも、そこにあったのはフードを目深にかぶった死神さんの姿だった。廉君とは似ても似つかない、私よりもずいぶんと背の高いその人は、微動だにせず私のほうをジッと見つめていた。


「し……が、み……さ」


 彼は私の視線に気付くと、ぷいっと顔を背けた。いつも通り目深にかぶったフードをさらに下へと引っ張りながら。

 どうかしている、廉君と死神さんを見間違えるなんて。似ても似つかない。廉君はあんなにも優しくて温かくてそれで……。

 ああ、でも……死神さんも、優しいところがあるって、私知っている……。

 そんな事を思いながらも、だんだんと目を開けていることにも疲れてきて、私はもう一度目を閉じた。



「真尋ちゃーん? 聞こえてる?」

「ぁ……」


 どれぐらいの時間が経ったのか。処置が終わったようで先生が病室を出て行くのが見えた。ベッドの上に置かれた処置に使われた道具を片付けていた看護師さんが上手く言葉が出ない私に話しかけてくれる。それでも喋ろうと私が必死に口を動かすと、安心したように微笑んだ。


「もう大丈夫よ。真尋ちゃんがナースコールを押してくれたから、なんとか間に合ったの。あのとき押してくれてなかったら危なかったんだから。本当によかった」


 どうやら私は、あのとき死神さんが押したナースコールによって駆けつけた先生や看護師さんによって生かされたようだった。

「また様子を見に来るわね」そう言うと、看護師さんは病室を出て行った。

 残されたのはまだ満足に動けない私と、そっぽを向いたままの死神さんの二人。

 しばらくして、声が出るようになると私は死神さんに尋ねた。


「どうして」

「ん?」

「どうして、あんなことしたの?」

「……君が死ぬのはまだ先だからだよ」

「だから生かしたの?」

「そうだよ。きちんと決められた日に死んでくれないと困るんだ。迷惑をかけないでくれ」


 死神さんは淡々と言う。でも、その言い方がちっとも迷惑そうじゃなくて笑いがこみあげてくる。


「しょうがないなあ。じゃあもう少しだけお喋りに付き合ってね」


 死神さんは「仕事だからね」と言うと、フードの向こうで口の端をほんの少しだけ上げて笑うのが見えた。

 初めて笑った死神さんの姿に、なぜか心臓がドクンと音を立てるのを感じた。



 翌日、数日間は病室から出ることを禁止された私の隣で、椅子に座った死神さんが「そういえば」と尋ねた。


「あんな状態になったっていうのに、君のご両親は病院に駆けつけないのかい?」

「あー、それね」

「変なこと言ったかな?」

「ううん、普通そう思うよね。……私の両親、今海外にいるんだ」

「海外……」


 もう随分と長い間、両親は海外と日本を行ったり来たりしていた。何度も入退院を繰り返し、家にいるよりも病院にいる方が長いぐらいの子どもがいることは足枷だったと思う。嫌な顔一つ見せず何度も何度もお見舞いに来てくれた両親には感謝しかない。だから、「もう十六歳なんだから別に毎日お見舞いに来なくても大丈夫だよ」そう私が言ったとき、両親は申し訳なさそうな顔をしていたけれど、でも内心ではきっとホッとしたに違いない。少なくとも、これで罪悪感にかられることがなくなると、私はほんの少しだけ気持ちが楽になった。


「次帰ってくるのは、再来月かな」

「そう……」


 だから死神さんから三十日以内に死ぬと聞いたとき、帰ってくる予定がない時期に日本に帰って来させるのは申し訳ないなという気持ちと、でもその瞬間には絶対に間に合わないからある程度仕事を片付けてから帰って来られるんじゃないかなと少し安心したのを覚えている。


「帰っては来てくれないの?」


 死神さんの問いかけに小さく首を振った。

 これ以上、迷惑をかけたくない。そんなこと望んでいない。


「それじゃあ、君は……」

「一人で死ぬことになるかな」


 でも、だからどうしたというのだ。

 今まで両親にたくさん迷惑をかけてきたんだ。最後ぐらい、誰にも迷惑をかけずに逝きたい。それが私に出来る最後の親孝行じゃないか。

 そんな私をジッと見つめると、死神さんはポツリと言った。


「……じゃない」

「え?」

「一人じゃないよ」


 死神さんはそう言うと、私の手を握りしめた。


「君が死ぬ瞬間、必ず僕がそばにいる」

「っ……」

「だから、一人なんかじゃない」

「そっか……。ありがとう」


 死神さんの優しさが冷たい手のひらを通して伝わってくるようで、私はその手をそっと握り返した。



 数日が経って、ようやく私の絶対安静が解除された。

 ベッドから降りて伸びをすると、身体のあちこちがバキッという音を立てる音が聞こえて少し笑った。

 特に用はないけれど、せっかく病室の外に出てもよくなったのだ。飲み物でも買いに行こうかな。

 私は、小銭入れを手に取ると病室を出た。


「あ、おねえちゃん!」

のぞみちゃん」

「おねえちゃん、もうだいじょうぶなの?」

「うん、もう大丈夫! ほら、元気になったよ!」

「よかったぁー!」


 声の主は、数か月前に入院してきた八城やしろのぞみちゃんだった。五歳の望ちゃんは私のことをおねえちゃんと呼んで慕ってくれていて、妹がいたらこんな感じだったのかななんて一人っ子の私は思ってしまう。

 数日前から微熱が続いていて私と同じように病室で絶対安静となっていると看護師さんから聞いていたけれど、廊下を歩いていると言うことは熱は下がったということだろうか。


「望ちゃんももう大丈夫? お熱は下がった?」

「うん! わたしもきょうからおそとにでていいっていわれたの」

「そっか、よかった」

「ふふっ。おにいさんにね、おねがいしたらすっかりげんきになっちゃった!」

「お兄さん?」


 望ちゃんにお兄さんなんていたのだろうか? 望ちゃんがここに来て数か月経つけれどお母さんの姿しか見たことがない。まあ、中学生以下の子どもは立ち入り禁止だからそのせいかもしれないけれど……。でも、自分自身の兄弟に対していうにはやけに他人行儀なような……。


「あっ、いっけない。これないしょなんだった!」


 不思議に思っている私をよそに望ちゃんは失敗しちゃったとでもいうかのように口を小さな両手で押さえた。


「どうしたの?」

「えへへ、なんでもなあい」


 そう言って笑うと「じゃあまたねー」と手を振りながら望ちゃんは病室へと戻って行く。

 そんな望ちゃんの笑顔に……どうしてだろうか、私は胸がざわついて仕方なかった。

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