第7章 さよなら、優しい死神さん
第23話
残り日数が三日を切った。と、いっても何が変わるわけでもなく私は一人病室で過ごしていた。たまに気まずそうに死神さんが顔を出して、取り留めのない会話をする。「今日は暖かいよ」とか「さっき雨が降ってきたよ」とか、そんな感じの本当にどうでもいいような会話。
身体にもっと不調が現れるかと思ったけれど、今日も特に変わりはなくむしろ心臓も苦しくないし元気なぐらいだった。でも、いつ具合が悪くなってそのまま逝ってしまうかわからない。元気なうちにやらなきゃいけないことを終わらせなくっちゃと、私は重い腰を上げるかのようにベッドから立ち上がった。
「ね、死神さん」
「なに?」
「手伝ってくれる?」
首をかしげる死神さんを放って、私はベッドの下に入れてあった箱を取り出した。お見舞いでもらったものなんかをこの中に入れてあったんだけど、置いておいても仕方がない。捨てられるものは捨てて、捨てられないものは……うーん、どうしようかな。本なんかは看護師さんに渡したら寄付できるかな? あ、でもダメだ。今私がそんなことしたら不審がられちゃう。みんなには気付かれないようにするためにはどうしたら……。
「そうだ、手紙だ」
「手紙?」
「そう。まとめた本の上に、これはプレイルームに寄付しますって書いておいたら、整理するときに気付いた両親がきっと寄付してくれるはず!」
引き出しからメモ帳とペンを取り出すと、私はさっそくプレイルームに寄付と書いてまとめた本の上に乗せた。テープか何かで貼っておきたいんだけど……。
「はい」
「え……?」
「いるかなと思って」
「あ、ありがとう」
テープを取り出そうと顔を上げた私の目の前に、死神さんはいつの間に取ったのかテープを差し出していた。なんとなく、呼吸が合っていることにドキドキしながらも気にしていないふりをしながらテープを受け取る。
テープを貼りながら考える。正直なところ、自分自身が気付いたこの気持ちをどうしたらいいのか、持て余していた。普通ならきっと好きな人ができたら告白して、OKなら付き合ったりもするんだろう。でも、相手は死神さんだし。私の魂を取る人だし。そもそも……私はもうすぐ死んでしまう。伝えても仕方がないんじゃあ、という気さえしている。でも、それが伝えてフラれるのが怖い、という想いから逃げているのでは? という自分自身の疑問には答えられずにいた。
……それに、望ちゃんのこともある。あのシーンを見て、それでもなおこの人を好きでいていいのだろうか、と思ってしまう。人を殺したわけじゃない、ただ仕事をしていただけだ。何度もそう思おうとしたけれど、それでもどうしても心の中のモヤモヤが晴れない。それならいっそ、こんな気持ちなかったことにしてしまいたいのに、ふとした瞬間に死神さんのことを思い出してしまう。こうやってそばにいると見つめてしまう。目が合うと泣きそうになる。こんなにもやめたいのに、こんなにも心は死神さんが好きだと叫んでいる。
いったいこの感情をどうしたらいいのか、もうすぐ死ぬというのにその実感がないまま私はまるで普通の女の子のような感情に振り回されていた。
「できた?」
「あ、うん。できた」
整理した荷物を、また元のようにベッドの下に戻す。これで一安心。あとは……。
「ねえ」
「え?」
「外、行かない?」
死神さんへの想いをどうしようか、そう思っていた私に死神さんは意外な提案をした。「どうして?」なんて、聞く必要もなかった。疑問に思う間もなく気付けば私は「行く」と返事をしていたのだから。
外、と言っても以前のように病院を抜け出して外出するわけではなく、死神さんが向かったのはあの桜の木のところだった。ずいぶんと大きくなって、もう他の木と比べても
「大きくなったね」
「そうだね」
私たちは、ついこの間まで自分たちの背丈とそう変わらなかった桜を見上げる。いつの間にこんなに大きくなったんだろう。この桜も、死神さんがいなければきっとあのまま大きくなることなく枯れていた。不思議だ。私の命を取るためにやってきた死神さんが、私が大事にしていた約束の桜を生かせてくれた。この人がいたから、今この桜を見上げることができている。
気が付けば、私の指先は死神さんの冷たい指先に触れていた。けれど――瞬間、死神さんが手を引いたのがわかった。瞬間、死神さんが手を引いたのがわかった。
仕方がない、わかっていたことだ。でも、少しだけ悲しい。
「っ……」
気付かなかったフリをして、私は繋がれることのなかった指先をギュッと握りしめようとした。その時――。冷たくて、優しい手のひらが私の手に、触れた。
そっと包み込むようにして、私の手に触れるとギュッと握りしめる。思わず、隣にいた死神さんを見上げると、彼はわざとらしくそっぽを向いていた。
繋いだその手を握り返すと、死神さんは何も言わずにもう一度桜を見上げた。つられるようにして私も、桜を見上げる。
いつか、廉君と一緒に見ようと約束をした桜の木の下で、今、私は死神さんといる。この想いをどうしたらいいのだろうとか、忘れようとかいろいろ考えたけれど、そんなこと今はどうでもよくて。それよりも隣にいる死神さんの手の冷たさと握りしめた手の力強さ、それだけが今の私の全てだった。
「……ねえ」
黙ったままだった私が口を開いたのは、繋いだ手と手の間にあるはずのない温もりを感じ始めた頃だった。「なに」と死神さんは私の方を見ずに答える。だから、私も桜の木を見つめたまま返事をした。
「先輩さんって、飛鳥さんって名前だったんだね」
「……聞いたんだ」
「うん」
美空さんの話も、と言おうとしてやめた。
知らなかったとしたら、飛鳥さんに申し訳ない。それに、知っていたとしても……結ばれることなく終わってしまった、二人の恋の話をするのは辛すぎた。まるで、私たちのこの先の話をするかのようで。
「死神にも名前があるんだって、初めて知った」
「そう」
「あなたにも、名前があるの?」
私の問いに、死神さんは「うん」とだけ返事をして、それっきり何も言わなかった。
聞いてはいけない事だったのだろうか。飛鳥さんが教えてくれたんだから、名前を言うこと自体がダメということではなさそうだけれども。それとも、飛鳥さんは魂を取る仕事をもうしていないと言っていたから……だから、教えてくれることができたとか? わからない。わからない、けど……。
「いつか」
「え?」
「いつかでいいから、あなたの名前も聞かせてほしい」
「それは……」
「だって、いつまでも死神さんなんて他人行儀な呼び方じゃあ寂しいじゃない」
死神さんは「考えておく」と言って私の手を離した。
「あ……」
「そろそろ部屋に戻ろうか。送って行くよ」
「……うん」
私たちは並んで病室へと向かう。届きそうで、届かない。触れそうで、触れない距離を行く。けれど、その手が触れ合うことは、もう決してなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます