第24話
ゆっくりと、でも確実にその日はやってくる。
最初に変化に気付いたのは、身体のだるさだった。熱があるわけではない。なのに、身体が重くて起き上がるのが
「あら? だいぶ残しちゃったのね」
朝食の片付けに来た看護師さんが、机の上に置いたプレートを見てそう言った。
「食欲がなくて……」
「そう……。顔色がよくないわね。あとで先生が巡回に来るから見てもらいましょうね」
「はい……」
昨日まで平気で廊下を歩いていたどころか、敷地内といえども勝手に病棟の外に出ていた私があまりにもぐったりとしていたので、看護師さんは首を傾げていた。そりゃあそうだろう。みんな私が死ぬなんて知らないんだから。
「熱が出て来たね」
先生が回診に来るころには、私はもうベッドから起き上がることすらできなくなっていた。腕を持ち上げられ、体温計を挟まれるとデジタルで表示された温度は39℃を超えていた。
「どうしたんだろうね。風邪でも引いたかな?」
「真尋ちゃん、昨日外に出てたでしょ? きっとそれで……」
「まあ、元気なのはいいことだけどね。でも念のため、採血して血液検査もしておくね」
点滴の針を手首に刺され、そこから血を抜かれる。赤い液体が、細長い容器に流れ込んでいくのが見える。それをジッと見ていると看護師さんに「変わっているわね」と笑われた。普通は点滴の針を刺す瞬間、怖くて顔を背けるのだそうだ。でも、私に言わせるとそれは逆じゃないかと思う。いつ刺さるかわからないから怖いのだ。何が刺さるかきちんと見ていないから怖いのだ。それなら、目を逸らさずに見つめている方がいい。
きっと私にとっての死も同じなんだと思う。いつ死ぬかわからないよりも、こうやってその日を待てる方がいい。その方が、きっと、怖くない。
「大丈夫……」
先生も看護師さんも出ていった病室で、一人呟く。
大丈夫、怖くない。今までだって、一人の時間は多かった。だから、大丈夫。
「本当に?」
どこからか声が聞こえる。いつの間に来ていたんだろう。顔を右に向けると、窓際に立つ死神さんの姿が見えた。
「死神さん……」
「ずいぶんとしんどそうだね」
死神さんの冷たい手のひらが額に触れる。ひんやりとしたそれが心地よくて、思わず笑ってしまう。「どうしたの?」なんて言う死神さんに「なんでもない」と返事をすると、小首をかしげるのが見えた。
「あ……」
「真尋ちゃん」
何かを言おうとした死神さんの言葉を遮るように、病室のドアが開いた。パタパタと音をさせて入ってきたのは、少し前に病室を出ていった看護師さんだった。
「炎症のね、数値が少し高かったの。だから、点滴にお薬足しておくね」
看護師さんは慣れた手つきで点滴のチューブの途中から持ってきた注射器で薬を入れた。
「しんどくなったらいつでもナースコールを押してね。また様子見に来るから、ちゃんと休んでなきゃダメよ」
余程数値が悪かったのだろうか、心配そうに念を押す看護師さんに心配をかけないように「わかりました」と口角を上げて答える。ちゃんと、笑って見えただろうか。
でも、看護師さんはそんな私の表情に、何故か悲しそうに微笑むと病室をあとにした。
「ねえ、死神さん」
「なんだい」
何度も繰り返してきたこの問いかけも、そろそろ終わりを迎えるのかもしれない。
「もうすぐ、でしょ?」
残りの日数を考えても、この身体の
きっと、もうすぐ、私は――
けれど、死神さんは何も言うことはなかった。わかってる、言っちゃあいけないことだもんね。でも……。
「ねえ、死神さん」
「……なんだい」
「その時が来たら……ちゃんと、お仕事を
「っ……」
一瞬の間のあと、死神さんは「ああ」と頷いた。
首に触れそうになった手に気付いて、慌ててそれをポケットに押し込みながら。
そんな死神さんに、思わず笑ってしまった。
私なら大丈夫だから、あなたの手で、終わらせて。
きっと私が死ぬことは変わらない。
なら、最期の瞬間ぐらい、好きな人の腕の中にいたいじゃない。
「約束ね」
私が小指を差し出すと、ためらいがちに、死神さんは自分の小指をそっと絡めた。
そして翌日、ついにその日がやってきた。
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