第25話

 目が覚めると、いつもと景色が違った。ううん、いつもと同じベッドに寝ていたし自分の病室だった。でも、目がかすんで周りが上手く見えない。

 いつの間にか開いていた窓から、病室に風が吹き込むのを感じた。カーテンが舞い上がり、うっすらと外の景色が見える。風にあおられて散っていく桜の花のかたまりは、未だ咲かないあの桜がまるで花を咲かせているかのように見せていた。

 今はまだ声も出るけれど、いつまで出るのかもわからない。そう思うと、私は怖くなって、きっとそこにいるであろう彼に呼びかけた。


「ねえ、そこにいるんでしょう?」


 尋ねる私の声に応えるかのように、死神さんはもち上げる気力もなく投げ出されたままの私の手を握った。握りしめられて初めて、私は自分の手が震えている事に気付いた。


「あ、はは……」


 必死に、笑って誤魔化そうとする。でも、上手く笑うことができないまま、ひきつったように口角が上がるだけだった。

 死神さんは今、どんな顔をしているんだろう。

 無表情? 少しは悲しいと思ってくれているといいな。でも、死神さんにとっての死は、人間としてのせいが終わった人間の魂を取るために必要なことだから、別に悲しいことでもないのかな。だとしたら、彼は今、まさに死のうとしている私を見て、何を思っているのだろう。

 真剣に考えているはずなのに、ボーっとする頭ではうまくまとまらない。


「ねえ、死神さん」


 頭の中がぐるぐるとしてなんにも考えることができないので、それならばと口に出すことにした。


「なんだい」

「一人に、しないで……ね」

「え……?」

「一人になるのは、怖いの」


 こんな泣き言をいうつもりじゃなかった。なのに、口からついて出る言葉は不安やおそれにまみれた言葉ばかりだった。


「大丈夫。僕がいるよ」

「ホントに? 最期までいてくれる?」

「ああ、本当に。最期まで僕が君のそばにいるよ」


 ああ、それなら、安心ね。


「ありが、とう」


 微笑む私の手のひらを握りしめる死神さんの手に、力が込められるのがわかった。


「死神さん……?」

「本当に、これでいいの?」


 唐突に、死神さんは言った。


「本当に、君は……」

「どう、したの……? 今日の死神さん、なんか変だよ……?」

「っ……」


 死神さんは私の手を振りほどくと、ベッドの枕元に置いてあった私のスマホを手に取った。いったい、なにをしようとして――。


「ねえ、どうしてこのメッセージを開かなかったの?」

「っ……それ、は……」

「これ、昨日来たんだよね。その前の日のもある。どうして開いてないの?」

「…………」


 死神さんは、私のスマホに表示されたままの通知画面を見て、そう言った。

 通知音を消して、見ないふりをしていたメッセージ。本当は何通も、何通も届いていた。お母さんから心配する言葉が。そして、私の妹か弟のエコー写真や成長の様子を知らせるメッセージが。

 でも、そんなの見てなんになるっていうの。その子が生まれるとき、私はもうこの世にいないのに。そんなの見たら……見たら……。


「未練に、なる?」

「っ……」

「だから、開けないの?」


 死神さんの言葉に、気付けば叫ぶようにして答えていた。


「……そうよ! そんなの見たら、会いたくなるじゃない! 会って、抱っこして、ギューッて抱きしめて、柔らかい頬に顔をうずめて、それで私がお姉ちゃんだよって言いたくなるじゃない!! 死にたくないって! 言いたくなるじゃない!!」

「言えばいい!!」


 私の声を遮るぐらい大きな声で、死神さんは言った。

 でも、死神さんが言っている言葉の意味がよくわからない。だって、そもそも死神さんがここにいるのは私の魂を取るためで、なのに私に死にたくないって言えばいいって……どういう……。


「あ、そっか。死にたくないって思ってないと、魂を取っても楽しくないとか?」

「違う」


 ケラケラと笑いながら言う私に、死神さんは静かに答える。でも、一度開いた口は閉じることができない。


「怖がる人から取る方が楽しいとか? 死神さん、そういう趣味が……」

「違うって言ってるだろ!」

「大声出さないでよ!」


 大声を出しているのは、出させているのは私なのに、理不尽に怒鳴りつけてしまう。ああ、もう。いったいどうしたっていうのだろう。どうさせたいのだろう。死にたくないと言ってなんになるって言うんだろう。だって、私は、私の命は今日……。


「初めて会ったとき、君は僕に言ったよね。早くあちらに逝きたいって。今でもまだそう思っているの?」

「っ……それは……」

「死んでもいいって、本当にそう思っている?」


 死神さんの言葉に、何も言えなくなってしまう。だって、そんなの……。


「本当は違うんだろう? 本当は……」

「だって、そんなこと言ったって仕方ないじゃない……!」

「言ってよ。君の口から、本当のことが聞きたいんだ」

「っ……」


 本当の、こと。私の、本当の気持ち……。

 あのとき、この人と初めて出会ったとき、いつ死んでもいいと思っていた。それは本当だった。でも、どうしてだろう。この人と過ごすようになって、たくさんのことを知った。本当は私のことが重荷なんじゃないかと思っていた両親が、私のことを愛してくれていたこと。外にはたくさんの楽しいことがあること。買い食いしながら食べるおやつが美味しいこと。観覧車から見る夕焼けが綺麗なこと。そして……好きな人と過ごす日々が、輝いて見えること。

 言っても、いいのだろうか。今の、本当の気持ちを。死にたくないと、死ぬのが怖いと。……生きて、いたいと。目の前のこの、私の魂を取りに来た死神に、そう言ってもいいのだろうか。


「言っただろう。僕は君の死神だって。君の最期の願いを叶えるためにここにいるんだよ。だから、君の願いが知りたい」

「わ、私……」


 喉の奥がキュッとなって、上手く喋れない。

 でも……。

 私は深く息を吸い込むと、ゆっくりと口を開いた。


「本当はね、死ぬのが、怖いの……」

「うん……」

「それに、もっといろんなところに行きたい。お父さんやお母さんと一緒に産まれてくる兄弟と一緒に暮らしたい。……私、死にたく、ないよぉ……」


 溢れ出した本音は止まらない。


「桜も、ね……本当は咲くところを見たかった。あの桜が満開になって、満開の桜を見たかったの。廉君と……ううん、死神さん。あなたと一緒に……!」


 気付けば私の頬は、溢れ出た涙で濡れていた。拭おうと手を持ち上げようとするけれど、それよりも早く死神さんの手が私の濡れた頬を拭ってくれる。ありがとうと言おうとして私は、その手が小さく震えていることに気付いた。


「しに、がみさん……?」


 私の問いかけに、死神さんはいやいやをするかのように首を振った。

 どうしたの、と尋ねようとした私の目に、死神さんの頬を伝うようにして滴が零れ落ちるのが見えた。


「しにが……」

「ごめん」

「え……?」

「ごめんね、真尋」


 死神さんがはじめて、私の名前を呼んだ。

 その声は、優しくて、温かくて、懐かしくて。どうしてだろうか、胸の奥がキューっとなるのを感じた。

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