第20話

 どうやって戻ってきたのだろう。

 気が付けば私は、自分のベッドの上にいた。

 もう病室には先輩さんの姿はない。私が戻ってくる前に、消えたのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。

 それよりも、さっき見た光景が、目に焼き付いて離れない。

 まるで悪い夢でも見たようだった。ううん、夢ならどれだけよかっただろうか。

 でも、手の震えが、汗で背中に貼りつくパジャマが、全部本当にあった出来事なのだと私に告げていた。


「っ……あ、あんな……の、だ、って……あれじゃあ……」


 ガタガタと震える身体を自分の腕で抱きしめる。けれど、そんな私を嘲笑うかのように、窓が開くと風とともに、月明かりに照らされて死神さんが現れた。


「あ……」

「…………」

「こ、こないで!」


 思わず投げつけた枕を、死神さんは避けることはなかった。その場で立ち止まった死神さんは、フードで隠れた顔をこちらに向けていた。


「やだ……」

「……ごめん」

「どうし、て……」


 一歩、また一歩と死神さんが近付いてくる。

 怖かった。死神さんのことを、初めて怖いと思った。

 でも……。


「もう、来ないで……」


 こんなことが言いたいわけじゃないのに。


「あなたなんて……」


 死神さんを傷付けると分かっているのに。


「死神さんなんて……」


 言葉が止まらない。


「嫌いよ……」


 死神さんの手が、私へと差し出される。

 でも……。

 その手は、私に触れることなく下ろされた。

 私は手を伸ばすと、死神さんの冷たい指先に触れた。


「ねえ」

「っ……」

「この手で、私も殺すの……?」

「あ……」

「望ちゃんの魂を取った、この手で……」


 本当は、仕方のないことだってわかっていた。彼が取らなくても、きっと誰か別の死神が望ちゃんの魂を取ったんだって。あれが望ちゃんの寿命なんだってわかっていた。でも、死神さんが冷たい空気をまとったまま、粛々しゅくしゅくと仕事を――望ちゃんの首に鎌を突き刺している姿が脳裏に焼き付いて離れない。


「もう顔も見たくない」


 あんな姿、見たくなかった。

 まるで、彼が殺したかのような、あんなシーン。


「あなたなんかに、魂を取られたく、ない……」


 そう告げて死神さんの身体を押した。

 でも……そんな私の手を死神さんは掴むと、ギュッと握りしめた。


「っ……はな、して……」

「嫌だ」

「え……?」

「嫌だ! 君がなんて言ったとしても、君の魂は僕が取る!」

「どうして……」


 きっぱりと言う死神さんに思わず問いかけていた。

 死神さんは握りしめた私の手に、痛いぐらいに力を入れると……顔を上げた。


「嫌なんだ。……君の魂を、他のやつに取られるなんて考えただけで吐き気がする。誰かがしなければいけないのなら、僕が……」

「死神さん……?」

「っ……ごめん」


 死神さんはパッと手を離すと、もう一度「ごめん」と呟いて窓の向こうへと姿を消した。

 手にはまだはっきりと死神さんに握りしめられた感触が残っている。


「いったい、なんなの……」


 勘違いしてしまいそうになる。

 あんなのまるで、まるで――。


「あーあ、あれじゃあ盛大な愛の告白だな」

「っ……先輩、さん」

「やあ」


 病室のドアが開いたかと思うと、先輩さんが顔を出した。


「……盗み聞きですか」

「部下が失態しったいを演じないかどうか、心配で来たんじゃないか」

「悪趣味ですよ」


 先輩さんは私の言葉を聞いて鼻で笑うと、ベッドの横の椅子には座らずに窓にもたれかかってこちらを見た。

 当たり前のような顔をしてそこにいる先輩さんに「よく来れますね」と言ってみるけれど、別に気にしている様子もないようで「そうだねえ」なんておかしそうに笑う。


「どうだった?」

「え……?」

「あいつが仕事をしている姿」

「……怖かった、です」


 そう、怖かった。私は怖かったのだ。

 小さな友人が逝ってしまったことも悲しかったけれど、それ以上にいつも優しく私のそばにいてくれた死神さんが、なんだか別人のように見えて怖かった。


「どうして、あんな……」

「ん?」


 この人のせいで、あんなシーンを見る羽目になったというのに、この人にしかこんな話をできないということを苦々しく思いながらも、私は口から溢れ出る言葉を止めることができなかった。


「なんで望ちゃんが……!」

「言っただろう、仕事だって」

「でも、まだあんなに小さくて!」

「それがあの子の寿命だったんだ」

「でも……!!」


 涙が溢れて来て上手く喋ることができない。

 言いたいことはいっぱいあったはずなのに、嗚咽と「どうして……!」と繰り返すことしかできない自分にイライラする。

 望ちゃんがあんなことをされたことに対して、怒れるのは、文句を言えるのはあのシーンを見た私しかいないのに……!


「……泣くな」

「え……?」


 気が付くと、私の視界は真っ暗で誰かに優しく背中を撫でられていた。

 それが先輩さんの手だと気付いたときには、私の身体は先輩さんの冷たい腕に抱きしめられていた。


「なっ……」

「泣かないで」

「やだっ……! 離し……」

美空みそら……」

「美空……?」

「っ……!」


 先輩さんの口から出た聞き覚えのない名前に思わず聞き返すと、勢いよく私の身体は押しのけられた。


「先輩、さん……?」

「ごめ……」


 そこにいたのは、いつものように飄々ひょうひょうとした先輩さんでも、先程までの意地の悪い笑みを浮かべた先輩さんでもなく――少し赤い顔をして焦ったような表情をした、一人の男の人だった。

 美空さん、とはいったい誰だったんだろう。ううん、一人だけ。もしかしたらという心当たりがある。もしかしてその人は……。


「それが、前に先輩さんが言っていた、好きになってしまった担当の女の子の名前、ですか……?」

「っ……」


 一瞬、先輩さんが肩をビクッと震わせたのが見えた。

 それだけでわかってしまった。

 その人が、先輩さんが忘れられない女の子なのだと――。

 違う、と言うように先輩さんは首を振る。でも、その姿があまりにも苦しそうで、悲しそうで、それが答えなのだとわかってしまった。


「先輩さん」

「な、に……」

「聞かせてもらえませんか」

「なにを」

「先輩さんと、美空さんの話」


 私の言葉に、先輩さんは驚いたようにこちらを向いた。


「聞きたいんです」

「どうして」

「いずれ訪れる、未来を知りたくて」


 本当は、怖かった。

 だって、先輩さんは言っていた。自分がその子の魂を取ったのだと。つまり、上手くいった恋ではないことは明白なのだ。

 でも、それでもよかった。私のこの想いが、いずれ跡形もなくなるであろうこの想いの結末が、知りたかった。


「……聞いても、楽しくないよ」

「いいです!」

「でも……」

「お願いします!」


 引き下がらない私に、先輩さんは小さくため息を吐きながら「長くなるよ」と、ベッドの横に置かれた椅子に座ってそう言った。

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