第21話

 先輩さんは「何から話そうか」と困ったように言った。いつものおちゃらけたような雰囲気はなく、どこか気恥ずかしそうにも見えた。私は「最初から」と言うと、先輩さんはもう一度ため息を吐いた。


「もう何年も前の話だよ。前も言ったと思うけど、美空は俺の担当で……そうだな、今の真尋ちゃんよりも二つ年上の十八歳だった」

「病気だったの?」

「いや、特に病気がちってこともなくて、どちらかというと健康優良児」

「じゃあ、どうして……」

「――交通事故」


 そのシーンを思い出してしまったのか、先輩さんは眉間に皺を寄せると目を閉じた。どれぐらいの時間が経っただろう。「ごめんね」というと先輩さんは話を続けた。


「規定通り三十日以内に何らかの原因で死ぬと俺が告げると、美空は一瞬驚いた表情をした後「そっか」と笑ったんだ」

「え……?」

「変わってるだろう? 普通は取り乱したり泣いたり喚いたりするのに。……あ、それでいうと真尋ちゃんも変わってるね」

「……。で、どうして好きになったの?」

「別に、最初は変なやつだなって思ってた。でも、まあ予定より先に死なれたら困るから適度に会いに行って適当に見張ってたんだけど、どうにもこうにも危なっかしいんだ。関係ないところで子どもを庇って事故に遭いそうになるし、おばあさんの荷物を持って歩道橋を上がれば階段から落ちそうになるし、とにかく目が離せなかった。そのたびに助けに行く俺にあいつは「死神君って暇人なの?」なんて笑うんだ。こちとら、お前のせいで仕事が増えてんだってのに……」


 ぶつくさと言いながらも、先輩さんはどこか嬉しそうだった。そんな先輩さんを微笑ましく見ていると「何、笑ってんだよ」なんて言って先輩さんは私の額にデコピンをした。


「痛い……」

「笑うなら話さないぞ」

「えー、もう笑わないから話してくださいよー」

「絶対?」

「多分」

「ったく」


 仕方ないなぁとでも言うかのように苦笑いを浮かべると、先輩さんはまた思い出話を始めた。

 危なっかしいなと何度も何度も守っているうちにだんだんと惹かれていたこと。そして、また美空さんも何度も助けてくれる死神君先輩さんに惹かれていったこと。

 でも……。


「でも、俺は死神で、美空は担当の人間。いずれ別れが来ることは、俺が一番よく知っていた。どんなに美空を想っても、仕事を遂行しなくてはいけない。たとえ、俺がしなくても誰か他の死神が代わりにするだけだから。それなら、俺が――と」


 その話を聞いて、私はもしかして、と思った。先輩さんが私の病室に訪れるようになったのは、死神さんが任務を遂行できないとそう思われたからじゃないかと。私と死神さんは仲良くなり過ぎた。たとえ死神さんがきちんと任務を遂行するつもりでも、周りはそう思ってなかったから、だから先輩さんが私たちの元を訪れたんじゃあ……。

 私がそう口にすると、先輩さんは「さあね」と肯定も否定もしなかった。けれど、悲しそうに微笑む先輩さんを見て、きっとそうなのだと私は思った。


「まあそれで、美空の死ぬ日が来て、魂を取って終わり」

「え、なんかいろいろとすっ飛ばしてませんか?」

「……食い下がるね」

「告白とかはしなかったんですか?」

「俺は、してない」


 含みのある言い方だ。俺は、ということは……。


「先輩さんはしてないけど、美空さんは違うってことですよね?」

「そういうところだけは、勘がいいなぁ」

「褒めてもらえて嬉しいです」

「別に褒めてないけど」


 ブツブツと先輩さんは言う。そして、ジッと先輩さんを見つめる私に、観念したかのように「そうだよ」と言った。


「魂を取る、前日。美空は俺を呼んだんだ。その日は美空の前に現れてから二十九日目。三十日以内だと告げていたから、明日には自分は死んでしまうとわかっていたから、それで……」

「それでどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、俺は死神だから受け入れられない。それで終わり」

「えーー!! 美空さんも、それで納得したんですか?」

「ああ。してた。ニッコリ微笑んで「わかってた」ってそう言っていた」

「……そんなの!」


 そんなの、本心なわけないじゃない! そう言いたかった。でも、口にすることはできなかった。だって、先輩さんが悲しそうな辛そうな痛そうな、そんな表情をしていたから。私に言われなくたって、美空さんの気持ちなんて先輩さんが一番わかっていたはずだ。大切な女の子の気持ちなんて。でも……。


「どうにも、ならなかったんですか……?」

「ならない」

「助かる方法とか……」

「ない」

「でも……!」

「ないんだ!」


 声を荒らげたあと、先輩さんは我に返ったように「ごめん」と私に言った。


「本当に、なかったんだ。俺だって、いろいろ調べた。前例がないかとか、手帳の文字を消せないかとかいろいろ。でも、なにをやってもダメだった。無駄だった。どうやっても、美空を助ける方法なんてなかったんだ……」

「そんな……」

「最期の瞬間、美空は笑ってたよ。私の魂を取るのが君で良かったって、そう言って……。っ……」


 先輩の瞳から、涙が溢れるのが見えた。

 私は、なんて声をかけていいか分からず、涙を流す先輩さんを見つめ続けていた。

 先輩さんは、袖口で涙を拭うと「これで、終わりだよ」と顔を上げた。


「分かっただろう? いくらあいつのことを好きになっても、意味がないって」


 そう言った死神さんの口調は、さっきまでとは違っていた。


「意味がないなんてそんなこと――」

「ないんだよ!」

「だって、美空さんだって……」

「美空だって、結局死んだ。君も、死ぬんだ。あいつの手にかかって」


 どうしてだろう。

 言葉では、キツイことを言っているはずなのに、先輩さんの顔は傷付けられているはずの私よりも悲しそうな顔をしていた。


「それに、見ただろう」

「え……?」

「あいつが、魂を取る瞬間を」

「っ……」

「あんなシーンを見ても、まだ好きだって思うのか? 君を姉のように慕っていた、あの小さな子の魂を取ったあいつを」


 望ちゃんのことを言われると、私は何も言えなくなってしまった。あのシーンを見ても、それでも死神さんのことを好きだとそう思っていいのだろうか。だって、死神さんは望ちゃんを……。


「あいつへの想いなんて、忘れてしまえばいい」

「え……」

「あいつは君の大切な子の魂を奪った憎いやつ、それでいいじゃないか。死神なんて好きになったって、真尋ちゃん。君が傷付くだけなんだ」

「先輩、さん……」


 だから、あなたは私に、あのシーンを見せたんですね。

 私が、これ以上傷付かないように。悲しい思いをさせないように。死神さんの仕事がいったいどういうものなのか見せつけて、それで私が死神さんへの想いを忘れられるように……。


「先輩さんは、優しいですね」

「なんのことだか」


 悪ぶって言うけれど、その言葉の裏に隠れた先輩さんの優しさが伝わってきて、私は胸が温かくなる。


「私のために、してくれたんですよね」

「さあね。……まあでも、深入りするなよな」

「気を付けます」

「……じゃあ、これでお別れだ」


 そう言うと、先輩さんは立ち上がった。その言葉にどこか違和感を覚えて私は「どういう意味ですか?」と尋ねた。そんな私に先輩さんは「ホント、そういうところは勘がいいね」と笑った。


「俺さ、死神やめようと思って」

「え……?」

「本当はずっと前から思ってたんだけど、ズルズルとしがみついてここまで来てしまった。俺と同じころに死んだやつらはとっくに次の生を迎えているていうのにな。……この仕事を続けていたって、何の罰にもなるわけじゃないのに」


 悲しそうに、先輩さんは微笑む。それから、先輩さんは私の頭を優しく撫でると「真尋ちゃんは彼女に似ているよ」と小さく呟いた。


「え?」

「何その嬉しそうな顔」

「だって、先輩さんが好きだったとっても可愛い彼女に似てるって……」

「言ってない。そこまで言ってないし、やっぱりよーく見ると似てないな。うん、ごめん。やっぱり今のなしな」

「えええー!?」


 不服そうに言う私に、先輩さんはおかしそうに笑った。


「そんなふうに、クルクルと表情が変わるところなんて美空によく似てる。ついつい真尋ちゃんのところに来ちゃったのは、本当にあいつが心配だったのはあるけれど、美空の面影を追い求めていたのかもしれないな」


 先輩さんは、小さな声で何かを呟いた。けれど、なんて言ったのかはっきりと聞き取ることはできない。「先輩さん……?」と聞き返した私に「なんでもない」と言うと、髪の毛をぐしゃぐしゃにして先輩さんは笑う。


「もうっ……!」

「ねえ、真尋ちゃん。俺の名前さ飛鳥あすかっていうんだ」

「飛鳥、さん?」

「そう」


 死神にも、名前があるんだ……。

 そんな頓珍漢なことを考えている間に、先輩さん――飛鳥さんは私のそばを離れると窓を開けた。


「じゃあね、真尋ちゃん。もう会うこともないけれど」

「っ……飛鳥さんも、お元気で」

「ああ」


 ニッコリと笑うと、飛鳥さんは真っ暗な闇の中へと姿を消した。

 もう二度と会うことはないと言っていた。

 でも……。


「いつか、また――どこかで」


 そのときは、幸せそうに笑う飛鳥さんに会えますように。

 私は、窓のそばに立つと飛鳥さんの消えた空の向こうを見つめる。

 そこには真っ暗闇に浮かぶ真ん丸な月。そして、散り始めたたくさんの桜の花びらが夜空を舞っていた。

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