第7話

「うわー! 凄い眺め!」

「ちょっと、そんなに動くと揺れる……」

「なによー、死神さんが言ったんじゃない。これがいいって」

「そりゃあそうだけど、別にアトラクションじゃないんだから……」


 私たちは地上100mの場所にいた。

 と、いっても別に危ないことをしているわけではない。


「観覧車なんていつぶりだろう」

「乗ったことあるの?」

「バカにしないでよね! これは私が遊園地で乗れる数少ない乗り物なんだから」

「他には何があるの?」

「……メリーゴーランドとか」

「ふっ……」

「あ、笑った! ……しょうがないじゃない。心臓病患者は意外と制限が多いんだから」


 なんて、拗ねるような口調で言ってしまったことに、恥ずかしくなる。そんなことは死神さんには関係ないことだし、だからどうしたと言われてしまえばそれまでだ。でも……。


「知ってるよ」

「え……?」

「君がいろんなことを我慢して頑張ってきたのを僕は知ってる」

「それは……あなたが私の担当だから?」

「……そうだよ」


 死神さんはズレたフードを直したあと首に手を当てて、そう言った。

 担当だから、という理由だったとしても私が頑張ってきたことを知ってくれている人がいる、その事実に胸が温かくなるのを感じる。

「頑張れ」「頑張って」

 今まで、何回も何回もたくさんの人から繰り返し言われてきた。頑張っても頑張っても、呪いのように何度も何度も。

 こんなに頑張っても、誰も褒めてくれない。どれだけ辛い治療を我慢しても、みんなもっと頑張れと言ってくる。

 そんな私が頑張っていることを知っててくれたのが、私の命を取りに来た死神さんだなんて……。

 涙が零れそうになった。自分でも理由はわからない。でも、どうしてか胸が苦しくて泣きたい気持ちになった。

 けれど、溢れそうになった涙を必死にこらえると、私は夕日に目がくらんだふりをして目尻を拭った。。


「もうすぐ、日が暮れるね」

「そうだね」

「そろそろ帰らなきゃだね」

「……そうだね」


 観覧車の窓から見る夕日は真っ赤で、綺麗だけれどどこか気持ちをざわつかせる。不安になる、悲しくなる……。

 そんな気持ちを押し込めるようにして「ありがとう」と死神さんに言った。


「今日、とっても楽しかった」

「本当に? 楽しめた?」

「うん。私ね、こんなふうに誰かと一緒に出掛けてみたいってずっと思ってたの」

「そっか、ならよかった」


 微笑んだ私に、死神さんは安心したような声を出した。

 誰かと出掛けてみたいってずっと思ってた。それが誰だって変わらないって。だから死神さんにデートしたいなんて言って外に連れ出してもらった。でも……。

 今の私はわかっている。誰でもよくなんてない。今日のデートがとっても楽しかったのはきっと――。


「でも、そんなに楽しかったなら僕とじゃなければもっと楽しかっただろうね」

「え?」


 死神さんの言葉に、私の中にあった楽しかった気持ちが一気にしぼんでいくのを感じた。どうしてそんなことを言うのだろう。だって、私が楽しいと感じたのは……。


「あなたと一緒だったからだよ、死神さん」

「違う、それは気のせいだよ。ただ、誰かと出掛けたかった。その相手が僕だったからそう思っただけだよ」

「そんなことわからないじゃない! 私が一緒の時間を過ごしたのは死神さんだもん。死神さんとプリクラを撮って、ソフトクリームを食べて、観覧車に乗って。それは全部、死神さんとの思い出でしょ? それを勝手に、他の人とでもよかったんだなんて言わないで!」

「ご、ごめん……」


 私の剣幕けんまくに驚いたのか、死神さんは少し焦ったようにそう言った。

 生理的に溢れてきた涙を拭うと、私はそっぽを向いた。さっきはこらえることができたのに、今度はダメだ。どれだけ拭っても次から次に溢れてきて止まらない。


「…………」

「…………」


 観覧車の中に沈黙が流れる。

 ああ、ダメだな。感情的になってしまった。死神さんは仕事の一環でこうやって一緒にいてくれているだけなのに、私自身が楽しいと感じたことを壊された気がしてつい……。

 言い過ぎてごめんなさい。そう言わなければいけないのは分かっていたけれど、どうしてもその一言が言えなかった。そして、言えないまま観覧車は地上へと着いてドアが開いた。

 係の人の「ありがとうございました」と言う声に促されるようにして私たちは観覧車から降りた。

 さっきまで真っ赤だった夕日も沈み始めた。時計を見ると夕食の時間まであと30分足らず。そろそろタイムアップのようだ。


「帰ろっか……」

「……そうだね」

「え……?」


 歩き始めようとした私の腕をグイッと引っ張ると、死神さんは私の身体を引き寄せた。


「え、な、なに……?」

「黙ってて。舌をむよ」

「きゃっ……!」


 気が付くと私の身体は、死神さんに抱きかかえられるようにして、宙を飛んでいた。


「まっ、えっ……お、落ちる!」

「ちゃんと掴まってたら大丈夫だよ!」

「っ……!」


 ギュッと目をつむったまま必死に死神さんの首に両手を回すと、私は落とされないようにしがみついた。「苦しいよ」と言う死神さんの声に恐る恐る腕の力を緩めて目を開けると……私は死神さんに抱かれて夕焼け空を飛んでいた。


「凄い……綺麗……」


 こんなにも綺麗な夕焼けを見たのは、生まれて初めてかもしれない。

 心臓が痛いぐらいにドキドキしているのがわかる。でも、このドキドキはきっと空を初めて飛んだからで、別に他意があるわけじゃない。そう、たとえばこのまるでお姫様抱っこのような状況にドキドキしているとかそういうわけじゃあ……。

 誰に言い訳をするでもなく一人ブツブツと言っていると、死神さんが口を開いた。


「機嫌は直ったみたいだね」

「え……?」

「さっきは、あんな言い方をしてごめん」

「あ……。ううん、私の方こそ言い過ぎたし」

「いや、僕が悪い。本当は仕事のつもりだったけど、僕も今日は楽しくてついあんな子どもみたいなことを言ってしまった」


 それは、どういう意味だろう……?

 後ろを振り返るようにして死神さんを見上げる。

 顔なんてフードに覆われて見えないのに、夕日に照らされたせいでまるで頬が赤く染まっているかのように見えた。


「だから、その……別に僕とじゃなくても君はきっと楽しかったんだと思うと、少しだけ悔しかったというか、その……」

「死神さん?」

「なんでもない。ほら、早くしないと夕食に間に合わないよ。急ぐからしっかり掴まってて」

「なっ、きゃっ!」


 ぐいんっと死神さんはスピードを上げると、病院へと向かって進み始めた。

 せっかく死神さんの素の部分に触れられた気がしたのに、このまま帰ってしまうなんて。

 私は何か話をしようと、必死に話題を探す。でも……。


「ね、ねえ死神さん」

「なんだい?」

「そ、その……。空! 飛べたんだね!」

「え?」

「こんなことできるなんてしらなかった! 凄いね!」


 そう言った私に、死神さんは「今までどうやって病室まで来ていると思ってたのさ」と少し呆れたような声で言った。

 たしかに、そうだ。4階にある病室の窓からいつも入ってきているわけだから、空を飛べなきゃ来られるわけがない。

 そんな当たり前の事に気付かなかったなんて恥ずかしい……。

 思わず黙り込んでしまった私に「でも」と死神さんは言う。


「実は空を飛ぶの怖いんだ」

「……え?」


 死神さんの声のトーンがあまりにも真面目で、私は噴き出してしまう。

「笑うなよ」と拗ねたように言う死神さんはまるで普通の人間のようで、おかしくなって私はもう一度笑った。


「でも、さっき観覧車乗ってたじゃない」


 病院の屋上に下ろしてくれた死神さんにふと疑問に思ったことを尋ねてみると「ああ」と頭を掻きながら死神さんは言った。


「ああいう何かの中に入ってたりする分には大丈夫なんだけど、自分自身が飛んでいるあの感覚にはどうも慣れなくて……」

「そういうものなの?」


 なんだかよくわからないけれど、その苦手なことを私のためにしてくれた、ということが嬉しくて思わず頬が緩む。

 そんな私に死神さんは「それじゃあ早く病室に戻るんだよ」なんていつも通り言うと、夕焼け空の中へと消えていった。

 死神さんの背中を見送り、私はこっそりとエレベーターを降りる。幸い、病室には誰もいなくて特に騒ぎにもなっていないようだったからなんとかバレずに戻ってくることができたようだ。


「ふー……」


 いつも通りのパジャマに着替えると、私はベッドにもぐりこんだ。それと同時にドアをコンコンとノックする音が聞こえた。


「はーい」

「夕食の時間よ」


 看護師さんはそう言うと、ベッドの上に移動式の机を置いてそこに夕食を並べてくれる。

「ありがとうございます」と言ってご飯を食べようとすると、看護師さんが私をジッと見ているのに気付いた。


「あの……?」

「身体は大丈夫?」

「え……?」

「無茶するのもいいけど、何かあった時に困るのは真尋ちゃんなんだからね」

「……ごめんなさい」


 どうやら、看護師さんにはしっかりとバレていたようだ。

 懇々こんこんとお説教をされたあと、看護師さんは「楽しかった?」と私に尋ねた。


「楽しかった! あのね、私あんなに楽しい世界があっただなんて知らなかった!」

「そっか……」


 看護師さんは優しく、でもどこか悲しげに微笑むと「食べ終わったぐらいにまた来るね」と言って病室を出て行った。

 一人になった私は、夕日が沈みきって真っ暗になった外を見た。

 さっきまであちら側にいたのがまるで嘘のように、病室の中からは風の匂いも空気の冷たさも、何も感じることができなかった。

 それでも、いつもみたいに空虚な気持ちになることなかった。それはきっと、あの暗闇の向こうにさっきまで私がいたあの楽しい世界があることを知ったから。

 そんなふうに思えるようになったのは、死神さんのおかげだ。「ありがとう」と届かないお礼の言葉を呟くと、私は冷め始めた夕食に手を伸ばした。

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