第6話

「次はどこに行こうか」そう言う死神さんをベンチに残して、私は一人お手洗いへと向かった。

 鏡に映る自分の顔を見ると、いつもよりも口角が上がり頬もほんのり赤らんでいた。つい数時間前まで病院のベッドの上に寝ていたなんて嘘みたい。今の私は誰が見ても病人だなんて見えないような顔をしていた。


「このあとはどうしようかな」


 ソフトクリームを食べたらなんだかお腹がすいてきた気がするから、クレープ屋さんでも探しに行こうかな? それとも死神さんにどこに行きたいか聞いて、死神さんの行きたい場所に行ってみるのもいいなぁ。あ、でもそんなこと聞いたら「じゃあ病院に戻ろうか」なんて言われちゃうかな。


「ふふ……っ!」


 想像したらおかしくてついつい笑いが漏れる。でも……そんな私に、あなたは病人なのよと知らしめるように心臓がドクンッと大きな音を立てて鳴った。


「っ……くっ……」


 まだ、だ。まだ大丈夫。もう少し、もう少しだけだから。こんなふうに外に出られることなんて、もう二度とないかもしれないんだから。だから、お願い。もう少しだけ私に時間を頂戴……。

 大きく息を吸って、身体の中に意識をして酸素を取り込む。ゆっくりと呼吸を落ち着かせて。興奮を抑える。本当は薬を飲むのが一番いいんだけど、あいにくカバンの中には緊急用のタブレットしか入っていない。けれど、それを飲むほどは酷くないし、できれば飲まなきゃいけないようなことになるのは避けたい。夕方まで誤魔化せれるぐらいまで、どうにか落ち着いて……。お願い……。


「大丈夫……大丈夫……」


 少しずつではあるけれど、苦しさが落ち着いてきた気がする。

 吸い込んだ息をふーっと吐ききると、私はもう一度鏡の中の自分の顔を見た。そこには青白い顔をした、いつもの私がいた。

 結局、この顔が私にはお似合いだということなのかもしれない。


「戻らなきゃ……」


 お手洗いに行くと言って死神さんの元を離れてから結構な時間が過ぎた。心配しているかもしれない。

 私はもう一度鏡を見て、無理やりに口角をニッと上げると笑った顔のままお手洗いを出た。


「あれ……?」


 ベンチで待っているはずの死神さんの元へ向かおうとした私は、視界に入った光景に違和感を覚えた。

 少し離れた場所にあるベンチ、そこに死神さんは座っていた。でも、その前に人の姿があった。

 まるで死神さんが見えているかのように向かい合っている男の人の姿が。けれど、死神さんの姿は普通の人には見えない。いったいどういうことだろう……。

 不思議に思いながらも死神さんのもとへと急ぐ。あと少しでベンチにたどり着く。そう思った時、死神さんが私に気付いたのか視線をこちらに向けた。

 つられるようにして死神さんの前に立つ男性も、私の方を向いた。


「あ……」


 どうしたらいいのか、悩んでいる隙にその男の人は私の方に向かって歩き出した。


「え……?」


 何かを言われるのかと思って、思わず身構えた。けれど、その人は私に構うことなく通り過ぎた。

 ただ、一瞬――私の顔をチラリと見た気がしたけれど、気のせい、なのだろうか。


「今の……」

「え?」

「今の人どうしたの?」


 その人が完全にいなくなったあとで、私は死神さんに尋ねた。なんて答えるんだろう……。同じように担当している人なのだろうか。それとももしかして、死神さんの――。


「さあ?」

「さあって……」

「座るところを探していたのか、突然やってきたんだよ」

「知り合い、じゃあなかったの?」

「知り合い? 僕と? なんで」


 死神さんは首に手を当てると、おかしそうに笑う。その言い方があまりにも自然だったので、私は何も言えなくなってしまう。


「でも、ちょっと焦ったよ」

「なんで?」

「僕の上に座られたらどうしようかって」


「なんちゃって」とおどけて笑う死神さんは、いつもよりも明るくて、楽しそうで、でもなぜかそれが妙に引っかかった。


「どうしたの?」

「え……あの、今日の死神さんなんかテンション高いなあって」

「そうかな……?」

「うん、そうだよ」


 今日、というよりもさっきから急に……。と、いう言葉は思わず飲みこんでしまった。

 でも、そんな私に死神さんは少し考えるようなそぶりを見せて、それから言った。


「もしかしたら、ほんの少しだけ僕も今日を楽しみにしていたのかもしれない」

「え……?」

「君はデートをしたことがないと言ったけれど、僕も同じなんだ」

「それって……」

「僕にとっても、これが初めてのデートってこと」


 その言葉に、私の中にさっきまであった妙な違和感は、吹き飛んでしまっていた。頬が熱くなるのを感じ、心臓はドクンドクンと激しく音を立てて鳴り響く。

 死神さんにとってもこれが初デート……。どうしてだろう、たったそれだけのことがこんなにも嬉しく感じるなんて。

 ……嬉しい?

 どうして、私は死神さんが初デートだったら嬉しいと思うんだろう。

 自分自身の感情がわからずにいた。


「どうしたの?」


 急に黙り込んでしまった私を、死神さんは不思議そうに見つめる。

 そんな死神さんに「ちょっと待ってね」と言うと、私は考え始めた。

 たしかに私は、死神さんにデートの経験がないと聞いて嬉しく思った。それは事実だ。じゃあ、どうして嬉しかったのか?

 よく少女漫画なんかで読んだのは、その人のことが好きだからその人のはじめてになれて嬉しい、というパターン。

 でも、これは違う。だって、私は別に死神さんに恋をしているわけじゃない。

 じゃあ、どうして?

 ……わからない。

 わからないけれど、どうしてだろう。なんとなく、嫌じゃないのは。


「ま、いっか」

「なにが?」

「なんでもない!」


 死神さんは首をかしげながら私を見る。そんな死神さんを見て私は思わず笑った。


「ね、次はさクレープ食べに行こうよ」

「え? まだ食べるの?」

「いや? じゃあねー……」


 こうやって誰かと笑い合って相談することさえなかったのだ。些細なことが楽しかったって、嬉しかったって、別にいいじゃない。


「じゃあ、死神さんの行きたいところに連れて行って」

「え、僕の?」

「そう! デートなんだもん。一ヵ所ぐらい、死神さんが行先を決めてくれてもいいでしょう?」

「…………」


 なんて、無理を言っているのはわかっているけれど、悩んでくれるだけでも嬉しい。

 きっと「僕には決められないよ」とか言うんだもんね。そう言われたらどこを提案しようかな。

 でも、そんな私の予想に反して死神さんは「じゃあ」と何かを思いついたかのように言った。

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