第5話
病院の中は温度が管理されていて、寒いとか暑いとかそういうことを感じることはない。それこそ死神さんがやってくるたびに開く窓から吹き込む風ぐらいでしか。
でも、こうやって外を歩くと今が春なんだと実感できる。窓の向こうに見えていた桜の木は、季節が春になったことを教えてくれていたけれど、全身で感じるのとは全然違う。温度が、匂いが、私に今が春なんだということを教えてくれていた。
「春だね」
「そうだね」
けれど、春といってもまだそんなに温かいわけじゃない。秋の終わりの暖かい日を小春日和というけれど、春の始まりのこの時期、寒さの中にもときおり温かさを感じられるこんな季節はいったいなんというのだろうか。
そんなことを考えていると、冷たい風が吹いて思わず首をすくめた。
「寒い? 大丈夫?」
死神さんは立ち止まると、心配そうな口調で私に尋ねた。
「やっぱり無理しない方が……」
「大丈夫だって」
「でも……」
こんなところで連れ戻されるわけにはいかない。私はもう一度「大丈夫だよ」と言うと、動かない死神さんを引っ張るようにして歩きはじめた。
まだまだこれからなのだ。まだなにもしていないというのに、こんなところで「やっぱり帰ろうか」なんて言われるわけにはいかない。
「ほら、早く行こう」
「あ、ちょっと……」
「ね、死神さんってゲームセンター行ったことある?」
「僕? そりゃまああるといえばあるけど……」
「それって死神として? それとも……」
素朴な疑問だった。この人は、ずっと死神なのだろうか? もしかしたら死神として生きる前は人間だったんじゃあ……。
でも、死神さんは首を振った。
「秘密」
「ええー? 教えてよ」
「個人的なことにはお答えできません」
「なによ、いまさらー」
ぶうぶうと文句を言う私に「仕方ないなぁ」と死神さんは困ったようにフード越しに頭を掻いた。
「君の想像通り、死神になる前。まだ人間だったときだよ」
「やっぱり! そうじゃないかと思ったの。ねえ、死神さんはどんな人間だったの?」
私の問いかけに死神さんは首に手を当てると「うーん」と考え込むようにして、それから口を開いた。
「普通だよ。特に何も楽しいこともなくそれなりに生きて、それなりに死んだ」
「なんだか退屈そうね」
「そうだね。だから、君の方が僕なんかよりよっぽどきちんと生きていて偉いと思うよ」
「別に……」
真剣な声のトーンで突然そういうことを言われると、どう反応していいか困る。
思わずそっぽを向いた私に死神さんは「どうしたの?」なんて尋ねてくるけれど、私は何も言えなかった。
別に褒められるようなことなんて何もしていない。必死で生きてなんていないし、頑張ってもいない。結局、私は怖くて逃げているだけなのだ。自分自身に向き合って、それで死ぬことを意識することがただただ怖いだけなのだ。
それを、死神さんの言葉で思い知らされるなんて……。
「えっと……」
「あ、あそこ!」
「え?」
「ほら、あれじゃない? ゲームセンター」
「あ、ああ」
「早く行こう!」
私は死神さんの言葉に応えることなく、手を引っ張るとゲームセンターへと向かった。
「へーこういうところなんだね」
中は音楽と人の声で溢れていた。これだけうるさければ、私が一人で……正確には周りからは見えない死神さんとだけど、話しているところを見られたとしても誰も気にかけることはなさそうだ。
それにしても……。
「ゲームセンターってこんな感じなの?」
「どういうこと?」
「カップルよりも男の子同士とかあと親子連れの方が多いじゃない」
「そうだね、休日の昼間だったらこんなもんかも。平日の夕方なら学生がデートに来てたりするんじゃないかな」
「ふーん。なんだ、つまんないの」
思わず口を出た言葉に、慌てて死神さんの方を向いた。
「って、違うの!」
「ん?」
「別に、死神さんと一緒に来たのがつまんないとかそういうのじゃなくて、その……」
「わかってるよ」
「え……?」
その口調があまりにも優しくて、思わず見えないはずの死神さんの顔を見上げた。
「わかってる。漫画の中で女の子たちが好きな男の子とデートしていた、そんなシーンに憧れてたんだよね」
「どうして……」
「わかるよ。僕は君の――君の、担当だからね」
「担当ってそんなことまで調べるの?」
「え、いや……他の人はどうだかわからないけど。でも、僕はどうせなら悔いなく逝ってほしいと思ってるから」
慌てたように死神さんは言う。そのとってつけたような言い訳に何か誤魔化されたような気もしたけれど……でも、どうしてだろう。そんなところが……。
「死神さんらしいね」
「僕らしい?」
死神さんは私の言葉に、不思議そうにそう言った。
彼らしいなんて言えるほど、この人と長く付き合ったわけじゃないけれど、でも出会ったあの日から今日まで毎日のように顔を合わせていれば、この人が不器用で誠実な人だってことは私にもわかる。
「あなたが私の担当でよかったってこと」
「っ……」
「あっ! プリクラあった! 行こう!」
「ああ……」
なんだか恥ずかしくなって、私は奥に見つけたプリクラコーナーへと向かった。そんな私を追いかけるようにして死神さんも歩いてくる。
そういえば、死神さんは写真に写るのだろうか? 写ったらいいなぁ。
そんな私の期待はあっけなく打ち砕かれた。
「あぁー……やっぱり写らないのね」
たしかにいたはずの死神さんの部分がぽっかりと空いたシールを手に取って私はため息を吐いた。
どうやら写真に写ることはないようだ……。
「……だから、言っただろう。僕と行ってもつまらないって」
その言葉がなぜか寂しげに聞こえて、私は手の中のプリクラをギュッと握りしめると鞄の奥に押し込んで、死神さんの手を引っ張った。
「次! 行こう!」
「ちょ、ちょっと……」
「早くしないと全部行く前に夕方になっちゃう!」
「仕方ないな……」
死神さんは私の手をギュッと握り返すと「走っちゃダメだよ」と言う。「はーい」と返事をしながら、私は握りしめた手を大きく振り回した。
周りの人がおかしな子を見るような目で見てくるけれど、気にしない。だって、私は今こうやって死神さんと出掛けていることが楽しいのだから。それを、死神さんにも知っていてほしいから――。
「あ、ソフトクリーム売ってる!」
「ホントだ。こんな季節に珍しいね」
「ね、分けっこしましょ!」
「それはいいけど……」
返事を聞き終わる前に、私はソフトクリーム屋さんへと向かって歩き出した。バニラのソフトクリームを一つ買うと、死神さんと一緒にベンチに座った。
外で食べるソフトクリームは病室で食べるよりも冷たくて、そして甘かった。
「はい、死神さんもどうぞ」
「……僕は」
「なんてね、食べられないって言うんでしょ?」
「どうして……」
「当たり? 死神さんの反応を見てそうかなぁって思ったの」
本当は一緒に食べられたらよかったんだけど、でもこうやって隣にいてくれるだけでも十分だ。
十分だったんだけど……。
「それ」
「え……?」
「貸して」
そう言ったかと思うと、死神さんは私の手を掴んで、ソフトクリームを一口食べた。
「え、あの……」
「冷たい」
「なっ……」
突然の出来事に、私が動けずにいると死神さんは「ごちそうさま」と言って私の手を離した。
「あ、あの……」
「ん?」
「な、なんでもない!」
触れられた手に温度なんて感じないはずなのに、どうしてこんなにも熱いのか。
私は、戸惑いを気取られないように、手の中のソフトクリームを必死に頬張った。
どうしてかわからないけれど、ソフトクリームはさっきよりも甘くて、それでいてほんの少しだけほろ苦かく感じた。
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