第27話
私は、冷たい廉君の手の力強さを感じながらも、廉君の言葉に違和感を覚えていた。
「でも……」
「ん?」
でも、飛鳥さんは言っていた。どうやっても死を回避することはできなかったって。助けることはできなかったって。なのに、いったいどうやって……。
私が疑問を口にすると、廉君は私の髪を優しく撫でた。あの頃のように。
「言っただろう。僕の最期の願いは、君の願いを叶えることだって。その願いが叶わないまま死んだ僕にはあのときの願いを叶えてもらう権利があるんだ」
「……それは?」
廉君はポケットから何かを取り出した。よく見えない私のために、廉君はそれを私の近くに持ってきて見せてくれる。小瓶のようなそれには、中に何かの粉が入っていた。
「先輩にね、もらったんだ」
「飛鳥さんに……?」
「そう。僕の最期の願いを叶えるために必要なものだって。そして、真尋。君の最期の願いのためにも」
「私の、最期の……願い」
「真尋、願って。君の願いを聞かせて」
私の、願い。
きっともう廉君と一緒に生きるということは叶わないのだろう。なら、私は廉君が願ってくれたその願いを、私に生きてほしいと言った廉君の願いを叶えなきゃいけない。廉君のぶんまで、廉君が生きられなかった未来を、生きなければいけない。
「生き、たい」
「うん」
「私は、死にたくなんか、ない。生きて、あなたと見るはずだったあの桜が咲くところを、この目で見たい! 学校に行きたい! お父さんやお母さんと一緒に暮らしたい! それで……生まれてくる兄弟を、この手で抱きしめたい! だから……!」」
「うん……。その願い、僕が叶えるよ」
廉君は、優しく微笑むと小瓶の
手帳に書かれた文字が、まるで魔法を見ているかのようにスッと消えていくのが見えた。
そして、だんだんと視界がクリアになっていくのがわかる。さっきまでの
そして――そこに立つ、廉君の姿も。
「廉く、ん……」
「うん、僕だよ」
「あの頃と、変わらないね」
「そうかな? 真尋は、綺麗になったね。あの頃よりも、ずっと」
廉君は、あの頃よりも少しだけ大人びた笑顔で、私に微笑みかける。
「あ……」
「どう? 少し楽になった?」
「なった……。でも……」
「でも?」
「こんなことして、本当に大丈夫なの?」
「問題ないよ。僕たちはただ最期の願いを叶えてもらっただけなんだから」
そう言って肩をすくめる廉君の手が、首に触れるのが見えた。
それは、あの頃と同じ生きていたときと変わらない彼の癖。なんでもないふうを装ってわざと優しく落ち着いて話すところも、同じだ。
どうして、もっと早く気づけなかったんだろう。これほどまでに死神さんと彼は似通っていたのに。
「でも、もしも……もしも怒られるようなことになったとしても、それでも僕は君に生きていてほしい」
「廉君……」
「僕はね、君が笑って僕の名前を呼んでくれるのが大好きだったんだ。君にかっこいいところを見せたくて、辛い治療だってなんでもないふりをして受けたし、痛くて泣きそうになるときも、真尋。君のことを思い出すだけで頑張れた。退院してからも死を待つのは怖くなかった。ただ、君に会えなくなることが辛かった。君に僕の死を知らせたくなくて、家族には僕が死んだとしても絶対に真尋に言わないでって、お願いした。僕の死で、君が生きる未来への希望を奪いたくなかったから」
「そんな……」
どうしてそこまで……。私なんかのために……。
せっかく、廉君の顔がはっきりと見えるようになったのに、また涙で滲んで見えなくなっていく。
そんな私の涙を、廉君は指で優しく拭うと「ごめんね」と、囁いた。
「ねえ、真尋」
「っ……な、に……」
「君はこれから大人になって、誰かを好きになって、誰かに愛されて幸せになるんだ」
「っ……」
「僕の分まで幸せになって、それで真尋がおばあちゃんになってたくさんの人に愛されながら、惜しまれながらその命を終えるときに、僕はもう一度君を迎えに来るよ」
廉君は笑っていた。優しく、幸せそうに笑っていた。
でも……私は笑えなかった。せっかく廉君が拭ってくれたのに、次から次へと溢れていく涙は止まることがない。そんな私の涙をもう一度拭うと、廉君は私の頬にキスをした。
「っ……」
「ね、真尋。笑って」
「れ、ん……く……」
「俺、真尋の泣いている顔よりも笑っている顔のほうが好きだな」
「そ、んな……っ……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、パジャマの袖口で必死に拭うと私も無理やり笑顔を浮かべた。
そんな私を見て満足そうに頷くと廉君は小指を差し出した。そっと小指を絡ませると、廉君は微笑む。
「約束だよ」
「約束、する」
「ちゃんと幸せにならなきゃダメだよ」
「うん……。幸せに、なるよ。……絶対に」
「ああ。……そうじゃないと、迎えに来てあげないからね」
必死で涙をこらえる私に、廉君はいたずらっ子のように笑う。思わず笑った私に、廉君は「真尋」と、私の名前を呼んだ。
「また逢う日まで、もう一度さようならだ」
「廉君……」
廉君の顔が近づいてくるのが見えて、私は目を閉じた。
閉じた
「っ……」
その瞬間、病室に風が舞い込んだ。
「廉君……?」
目を開けると、そこにはもう誰もいなかった。
「廉君……!!」
確かにそこにいたはずの廉君は、跡形もなく、まるで最初から誰もいなかったかのように、消えた。
どれだけその名前を呼んでも、もう誰の声も聞こえない。
「廉、くん……」
涙が溢れそうになる。
でも、私はもう泣かない。彼のくれたこの命で、彼の分まで幸せになるとそう誓ったのだ。だから……。でも……今、だけは……。今だけは……。
「っ……」
涙が頬を伝う。ぽたりぽたりと流れ落ちたそれは、シーツにシミを作っていくのが見えた。
どれぐらいの時間、そうしていただろうか。溢れ出た涙のせいで滲んでぼやけた視界の向こうに、何かが見えた。
「え……?」
それは、彼の――廉君のいた場所にひらりと落ちた、桜の花びらだった。
私はベッドから降りてその花びらを拾い上げると、手のひらに優しく包んで、窓辺から空を見上げた。
そこには雲一つない青空と、風に乗って空に舞い散る桜の花びらがあった。それはまるで優しい瞳を浮かべた廉君が、ここから見守っているよと、言っているかのようで。
私は目尻に溜まった涙を拭うと、空に向かってぎこちなく、でも廉君が好きだと言ってくれた笑顔を向けた。
そんな私に微笑み返すように、桜の木が風に揺れて花を散らせた。
まるで姿の見えない死神さんが、そこから見守ってくれているかのように。
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