第2章 最初で最後の初デート
第2話
その日から、死神さんはいつだって窓からやってきた。いつの間にか開いた窓から、ふわっと桜の花の匂いが病室へと吹き込んでくる。それを合図のように顔を上げると、まるで最初からそこにいたかのように、彼はベッドのそばに立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは。毎日のように来ているけれど死神って暇なの?」
「そんなことないよ。これも仕事だから」
どうやら死神さんは、あの日私が言った「喋り相手になってほしい」という言葉を律儀に守るために、こうやって毎日のように病室へと通っているようだった。私以外の担当の仕事はないんだろうか、という疑問が一瞬頭をよぎったけれど、仕事の意味を考えると背筋に寒気が走るのを感じて、私は考えるのをやめた。
「今日は何かおもしろいことあった?」
「おもしろいかはわからないけど、さっき猫に囲まれたよ」
「どういうこと?」
「眠たくなったから芝生の上で転がっていたんだけど、気が付いたら僕を囲むように猫が……」
「なにそれ」
想像しただけで笑ってしまう。クスクスと笑う私に、死神さんは「食べられるかと思った」と真剣な声のトーンで言うから、私は余計におかしくなって涙が出るほど笑った。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。あの日以来、病院でこんなふうに笑える日がくるなんて思ってもみなかった。
「あーおっかしい。死神さんっておもしろい人ね」
「そうかな? 周りからは面白味のないやつって言われるけど」
「周りって他の死神さん? あなたみたいな人がいっぱいいるの?」
私の言葉に、死神さんの
どうやらこれは聞いてはいけないことだったようだ。気まずい空気に、私は何か違う話題を、と思うけれど、そういう時に限って上手く言葉が出てこない。取り繕うこともできず、結局私が何か言おうとする前に死神さんが「ごめん」と呟いた。思わず「え?」と聞き返した私に、死神さんは「何でもない」というと咳払い一つしてそれから私に背中を向けた。
「今日はもう帰るよ。……また明日」
そう言って死神さんは病室から飛び出すと、窓の向こうに姿を消した。
残された私は「ごめん」の意味が分からないまま、死神さんが消えたせいで丸見えとなった満開の桜でピンク色に染まった外の景色を、一人ボーっと見つめていた。
翌日、夕方が来ても死神さんは病室に顔を出さなかった。
一人きりの病室は退屈で、何度か「死神さん、いないの?」と呼びかけたりもしたのだけれど返事はなかった。仕事の一環だなんて言っていたはずなのに来ないなんて
「はぁ。今日はもう来ないのかな」
入退院を繰り返すと、いつの間にか私もそして家族もその状況に慣れてくる。最初こそ毎日のように来てくれていた両親も、気が付けば二日に一回、一週間に一回。二週間に……とだんだんとお見舞いに来てくれる回数も減っていった。
仕事をしているから仕方がないとわかっている。もっといっぱい会いに来て、なんてワガママを言うほど子どもなつもりもない。ただ、ほんの少しだけ。誰も訪れない病室は静かで寂しくて、退屈だった。
「死神さんの、バカ……」
「呼んだ?」
「死神さん!!」
「え、どうしたの?」
「別に……! 今日は遅かったじゃない!」
会いたいな、と思っていた時に現れた死神さんに、どうしてか素直になれなくて、私はそんな憎まれ口を叩いてしまう。
でも、死神さんは優しく「ごめんね」と言うと、私のベッドの下にあった椅子を引き出して座った。
「上司から仕事を押し付けられてね」
「……その話は、私が聞いても大丈夫なの?」
昨日の一件を思い出した私は、恐る恐る尋ねてみる。けれど、そんな私に「大丈夫だよ」と言うと死神さんは「ちょっと聞いてくれるかい?」と言って話を続けた。
「その上司っていうのがロクでもなくてさ」
「そうなの?」
「ああ。突然、今から遊びに行くからこの書類全部、俺の代わりに署名して提出しといてな。なんて言って姿を消したんだ」
「そ、そうなんだ」
「……そんなやつばっかりだよ、死神なんて」
こめかみのあたりをフードの上から抑えながら、苦虫を嚙み潰したような声で死神さんは言った。
そんな死神さんの態度に、私はもしかして、と思った。
突然話し始めた、死神さん以外の死神の話。これは、もしかしなくても昨日のお詫びのつもりなのではないだろうか。あんなふうに話を終わらせてしまったことへのお詫びに、こうやって何気なさを装いながら、話をしてくれているのではないだろうか。
……そうだとしたら、なんて不器用な人なんだろう。
「ふふっ……」
「……僕、何か変なこと言った?」
「ううん、なんでもない」
笑う私を見て、死神さんは不思議そうに首をかしげる。その仕草が妙に可愛らしくて、もう一度笑った。
「君はよく笑うね」
「そうかな。だとしたら死神さんのおかげだね」
「僕の?」
「うん。さすがの私だって一人じゃ笑えないよ。死神さんがこうやって来てくれて、話をしてくれるから」
私の答えに、なぜか死神さんは黙り込む。なんとなく、なんとなくだけどフードの中で困ったような表情をしているんじゃないかと思う。
どうしてだろう、顔を見ることができないのに、死神さんがどういう表情をしているか、なんとなく分かる気がするのは。
「死神さ――」
「ねえ」
「え?」
私の言葉を遮るようにして、死神さんは私に呼びかけた。
「たとえばだけど、何かしたいこととかあるかい?」
「したいこと?」
「だから、その……やり残したこととかあれば……」
「つまり、死ぬ前に思い残したことがあるかってこと?」
「まあ、平たく言うと……」
もごもごと歯切れ悪く死神さんは言う。
思い残したこと、か――。
私は思わず視線を窓の外に向けた。
そこには満開の桜の木があった。
「なにか……」
「特にないかな」
「え?」
「思い残すことなんて、特にないよ。言ったでしょ? 早く逝きたいぐらいだって」
「それはそうだけど……」
「はい、だからこの話はもうおしまい! 何かほかに楽しい話をしてよ」
強制的に切り上げた私をジッと見つめた後、死神さんは「そう言わずに考えておいてよ」とだけ言って、私の言った通り最近あった困った話をしてくれた。
私は、その話を聞いて笑いながら、でも何度も何度も外に咲く桜と――咲かない一本の木を思い出していた。
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