第13話
「それじゃあ、帰るな」とお父さんが言ったのは、夕日が沈み始めた頃だった。一緒にいられたのはたったの数時間だけだったけれど、久しぶりに会えて本当に嬉しかった。
「来てくれてありがとう」
「次に来るときは、お土産をたくさん持って帰ってくるからな」
「……うん」
私は上手く笑えているだろうか。心配をかけないように、ちゃんといつも通りに。
でも、そんな私の心配をよそにお父さんは「じゃあ、またな」と言って優しく頭をポンポンとして、そして病室を出て行った。
残された私は、涙が溢れそうになるのを必死で堪えながらもう一度ベッドにもぐりこんだ。
「……ねえ」
そんな私を、誰かが呼ぶ。
ううん、誰かなんて知っている。だって、ノックもせずにこの部屋に入ってくる人なんて一人しかいない。
「なに」
「今、少しいいかな」
「っ……明日じゃ、ダメ?」
「……少しでいいんだ」
その声に、ベッドから顔を出す。
するとそこには、夕焼けに照らされた死神さんの姿があった。
「何か……」
「ちょっと一緒に来てほしい」
「でも、もう夕食の時間だし……」
それに、今は誰かと一緒にいたくない。
こんな気持ちのままで一緒にいたら、言っちゃいけないことを言って絶対に困らせてしまう。
けれど、死神さんは「すぐ終わるから」と私の手を取った。
「こっちだよ」
強引に手を引く死神さんに連れられるようにして、私は病院の外に出た。
最近、死神さんはおかしい。以前よりも強引だし自分の意見を言うようになった気がする。どういう心境の変化なんだろう。それとも、もしかしてこれは少し素の部分を見せてもらえるようになったということだろうか。そういうことなら、強引に引かれた手の痛さも許してしまえる気がする。
「ここって……」
けれど、そんな私の思いも死神さんに連れられるようにして訪れた場所にある一本の木を見た瞬間吹き飛んだ。周りにある桜と違い、花もなく葉が生い茂るだけの小さな木。これは、この木は――。
「これだよね、君が言っていた桜の木って」
わかっている答えをわざわざ確認するかのように、死神さんは言った。
その木は六年前、私が廉君と植えたあの桜の木だった。
「っ……。あの話は、断ったはずだよね」
「ああ」
「じゃあ、どうして……」
繋がれたままだった手を振りほどこうとした。けれど、そんな私の手をギュッと握りしめると死神さんは自分の手と重ねるようにして桜の木の幹に当てた。
「なにを……」
「シッ」
死神さんに言われるままに口を
「これって……」
手を離した死神さんを見上げるけれど、フード越しでは表情は分からない。
私はもう一度、桜の木の幹に手を当てた。
けれど、今度は何も聞こえない。いったいどういうことなんだろう。さっきのはいったいなんだったんだろう。
「っ……」
首をかしげていると、後ろから抱きすくめるようにして死神さんが私の手に自分の手のひらを重ねた。
ビックリして手を離しそうになったけれど、ギュッと押し付けられるようにして桜の木の幹に手を当てた。
「あ……」
すると、もう一度今度は力強くドクンドクンと鼓動が脈打つような音が聞こえた。
「これだけ元気に脈打っていれば、次の春にはきっと花が咲くよ」
耳元で、死神さんが優しい声でそう言った。
「なんで……?」
「病室まで送るよ」と言う死神さんの隣を歩いていた私は、思わずそう尋ねていた。いったいどうしてあんなことをしてくれたんだろう。最初に感じたあの弱弱しくて今にも止まってしまいそうな鼓動の音が桜の木のものなのだとしたら、次に感じた力強くて生命力にあふれているかのようなあの鼓動。あれはいったいなんだったのだろう。
だって、あれじゃあまるで死神さんが、桜の木を生き返らせてくれたみたい……。
でも、そんな私の疑問に死神さんは「心残りは少ない方がいいだろう」とそっけなく言ってそっぽを向いた。
「桜の花を咲かせたわけじゃないから、文句はないだろう」
「っ……それで?」
「別に」
わかりにくけれど、これはもしかしなくても死神さんなりのお詫びだったのかもしれない。あんなふうに会話を終えてしまったのは私なのに、桜の木に未練たらたらな私のために死神さんは……。
「ありがとう」
「これも仕事だからね」
わざとらしく冷たい口調で死神さんは言う。でも、彼の不器用な優しさに胸が温かくなって口元が緩む。
そんな私に「何笑ってんの」なんて死神さんは言うけれど、その口調があまりにもやさしくてもう一度笑ってしまった。
「聞いてもいい?」
「なに」
「さっきのはあなたの力なの?」
「そんなとこだよ」
病室についた私は、日の落ちた外を見つめる死神さんに尋ねると、あっさりと死神さんは認めた。死神さんの力で、弱っていた桜の木が生き返った? 人の魂を取るのが死神の仕事だと思っていたけれど、それと正反対のそんなことまでできるというのか。死神というのは不思議だ。
「桜を一緒に植えた子ね」
「ん?」
「初恋の男の子だったんだ」
死神さんの隣に並んで、暗闇に紛れ込んでもうほとんど形が分からない桜の木を見る。
けれど、死神さんは私の話には興味がないようで「ふーん」と気の抜けた相槌を打つ。
でも、それでよかった。
「ねえ、死神さん」
死神さんのおかげで、私が死んだあとにあの桜の木は花を咲かせる。
「私は見ることができないけれど、いつの日か彼があの桜の木に花が咲いているのを、私の分まで見てくれるよね」
本当はそのときまで生きていたい。そして彼と――廉君と一緒に並んで桜を見たい。でも……。
「そうだね」
死神さんは首に手を当てるとそう言った。
「っ……」
その姿が、廉君と重なって思わず息を呑んだ。
「な、なに?」
「え……?」
「手」
「あ……」
気が付くと、私は死神さんの腕を掴んでいた。
「あ、あの……」
誤魔化すように笑うと、私は恐る恐る死神さんに尋ねた。
「それ、癖?」
「え?」
「首に、手を当てるの」
「あー……。そうかな」
自分自身がそうしているのに気付いていなかったようで、首から離した手をグーパーさせながら死神さんは何かを思い出したかのように「癖かも」と呟いた。
「上司に……」
「え?」
「上司にことあるごとに、後ろから首を殴られてて」
「えええ!?」
「死なないのをいいことに、会うたびに……。それで別に痛くもないんだけどそのたびについさすっていたら癖になったのかも」
「なにそれ……」
笑っていいのか上司の横暴さに怒ってあげたらいいのかわからないけれど、死神さんが淡々と話すからとんでもない話もどこか笑い話のように聞こえてしまう。
そうか、癖なのか。
「っ……」
あんな夢を見たからだろうか。それとも桜の木に触れたせいだろうか。
そんな仕草にさえ、廉君を思い出してしまう。
どうしてしまったというのだろう。
隣にいるのは死神さんのはずなのに、姿も形も全く違うのに。こんなにも胸が苦しい。
「大丈夫?」
「うん……」
「無理させちゃったね。僕はもう消えるからゆっくり休んで」
「あ……」
そう言うと、死神さんは窓の向こうに姿を消した。
私は空に溶けるようにして姿を消した死神さんを探すかのように、ずっと窓の外を見つめていた。
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