第5章 もう一人の死神さん

第14話

 いつも通り、病室を訪れた死神さんとのんびりとした時間を過ごしていた。

 私がベッドを降りると、死神さんはそのあとを追いかけるようにして窓のそばに立った。


「どうしたの?」

「あれ」


 死神さんの言葉に、私は桜の木を指差した。あの日、死神さんが桜の木を生き返らせてから、まるで今までの遅れを取り戻すかのように桜の木は一気に成長していった。周りの木より一回りも二回りも小さかったのに、あれではそのうち追いついてしまいそうだ。


「あんなに急成長して不審に思われない?」

「大丈夫。周りの木が大きいから気付かれないよ」


 死神さんらしからぬ楽天的な言葉に、思わず笑いが込み上げる。「そんなものかな?」と言う私に死神さんは「そんなもんだよ」と頷いた。

 私は並んだまま桜の木を見ながら、隣に立つ死神さんの顔を盗み見る。と、いっても相変わらずフードを目深にかぶっているおかげでときおり口元が見える以外は何も見えない。最初は表情が見えないことが不安だった。でも、気付けばそんな些細なことなど気にならなくなっていた。

 不思議だ。死神さんと出会ってまだ一月ひとつきも経っていないというのに、こんなにも彼の隣が心地よく感じるなんて。

 死神さんはそう口数が多いわけではないから沈黙が訪れることもよくあった。でも、それも気まずいものではなくて、会話がなくても穏やかな空気がそこには流れていた。だからだろうか、死神さんも私と過ごすこの時間を悪くは思っていないんじゃないか、なんて……なんとなくそう思ってしまうのは。


「どうしたの?」

「な、なんでもない!」


 視線に気付いた死神さんが、私の方を向いた。

 慌てて誤魔化してもう一度、桜へと視線を戻す。そんな私に死神さんは、不思議そうに首をかしげていたけれど、特に何かを言うでもなく彼もまた桜を見つめた。

 私は、ドクンドクンと鳴り響く心臓を落ち着けるためにゆっくりと深呼吸を繰り返していた。

 ときおり、こんなふうに胸が締め付けられるように苦しくなる時がある。ドクンと大きな音を立てて鳴り響くこともある。これはきっと病気のせい、そう言い聞かせて来たけれど。

 今度こそ、死神さんにバレないように。そう思っているのに、私が隣に立つ死神さんを見ると、彼も私を見た。


「なに」

「し、死神さんこそ」

「僕は……なんとなく、君がこちらを見ている気がして」

「っ……見て、ないよ」

「そう。気のせいだったみたいだね」


「ごめんね」と死神さんは優しく言う。

 たったこれだけのことで、心臓はドクンと痛いぐらいに音を立てて跳ね上がった。胸が、苦しい。心臓が、痛い。

 こんなにも動悸が激しかったら、私の心臓は死神さんの手帳に書かれた日までもたないんじゃないだろうか。……もし、このせいで予定より早く心臓が止まってしまったら……死神さんは大目玉をくらうのかな。「あの子の死ぬ日が変わったのはお前のせいか!」なんて……。そんなことを考えていると、ふいに笑いがこみあげてくる。


「なんだか楽しそうだね」

「え?」

「笑ってたから」

「うん、最近ね、なんだか毎日が楽しいの」

「それはよかった」

「死神さんが毎日こうやって来てくれるからだね」

「僕は何もしていないよ」


 そんなことはない。きっと死神さんがいなかったら、今もただ毎日が通り過ぎるのを退屈に、そして怠惰に待ち続けるだけだっただろうから。

 こんなふうに毎日が楽しいと思えるなんていつぶりだろう。もしかしたら、廉君がいたあの頃以来かもしれない。あの頃も、毎日か楽しくて輝いていた。病院に入院しているはずなのに、そんなことを忘れる日もあるぐらい、廉君と一緒にいるのは楽しかった。

 そういえば廉君ともこうやって、病室に二人きりの時間を過ごしたっけ。巡回の時間が来ているのに廉君の病室にいて「早く病室に帰りなさい!」って、よく看護師さんに怒られていた。廉君がお見舞いにもらったパウンドケーキをご飯前に二人で食べちゃって、夕食を残したせいで看護師さんたちを心配させたこともあった。結局パウンドケーキを食べたせいでお腹いっぱいになっていたことがバレて、呆れられたっけ。

 廉君との思い出は、少し前まで思い返すと辛くなって悲しくなって、忘れたふりをしていた。それぐらい廉君は私の支えだった。廉君が治療を頑張っていると思うから、私もどんな辛い治療も頑張れた。

 ……なのに、どうしてだろう。


「なに?」

「ううん、なんでもない」


 死神さんと一緒にいると、あの頃、廉君と一緒にいた日々をよく思い出すのは。


「なんでもないって……。さっきから何度もこちらを見ているじゃないか。なにかあるんじゃないの?」


 訝しげに言う死神さんに、誤魔化すようにして笑う。


「ホントになんでもないの。ただ……」

「ただ?」

「えっと……。あ、そう。私、死神さんのことってなんにも知らないなぁって思って」

「僕のこと?」

「そう、たとえば好きなものとか」

「好きなもの……」


 私の問いかけに、死神さんは考え込むようにして黙り込む。思いつきだったけれど、話題を逸らせてよかった。「うーん」とか「えー……」とか言いながら死神さんは考え込んでいる。そんなに難しいことを聞いたつもりはないけれど……。


「あ、あの。答えられなければ別に……」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。特に好きなものっていうのが思い浮かばないなって……」

「そっか。それじゃあ……」

「ああ、でも」


 思いついたかのように、死神さんはこちらを向いた。


「君と過ごすこの時間は、嫌いじゃない」


 どうして。


「っ……」


 どうして、そんなことを言うのだろう。


 ――ドクンドクンと、心臓が音を立てる。


 こんな気持ちにさせないでほしい。


 ――痛いぐらい鳴り響く。


 こんな気持ち、知りたくない。

 知りたくないのに……。


「どうし……」


 死神さんの声を遮るように、ノックの音が病室に響いた。

 誰かがお見舞いに来るという話は聞いていないし、巡回の時間には早いけれど看護師さんだろうか?

 私は、死神さんから顔を背けると「はい」と返事をした。

 その返事を待ち構えていたかのようにドアが開く。するとそこには、見覚えのない男性が立っていた。その人は、私の顔を見ると「こんにちは」と言ってニッコリと笑った。


「こんにちは……?」


 誰だろう。お父さんやお母さんの知り合い――にしては若いし、かといって私の知り合いでもない。もしかして、病室を間違えている? 


「あの……」

「失礼しますー」

「え、あ、あの……」


 尋ねようと思って、一歩踏み出した私を無視すると、その人はズカズカと病室に入ってきて、そして私の後ろにいた死神さんの肩を掴んだ。

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