第17話

 病室のドアを開けようと手をかけた私に先輩さんは「シーッ」と口に指を当てた。いったどうしたというのだろう……?

 私が不思議に思っていると、先輩さんは病室のドアを音を立てないようにそっと開けて、そして手招きした。

 先輩さんがしていたように、私も隙間から中を覗き込む。すると、そこには落ち着きなく病室内をウロウロとしてはまた椅子に座る、そしてしばらくするとまた立ち上がる――ということを繰り返す死神さんの姿があった。


「なにやって……?」

「真尋ちゃんが俺と出ていったっきり帰って来ないから心配しているんだよ」

「まさか……」

「ったく、仕方ないな」


 そう言ったかと思うと、先輩さんは病室のドアを勢いよく開けた。

 突然開いたドアに驚いたようにこちらを振り向く死神さん。そんな死神さんとは対照的に、ツカツカと病室に入ると「そんなに驚いてどうした?」とおかしそうに先輩さんは尋ねた。


「っ……別に」


 そう言うと、死神さんはそっぽを向いてしまう。

 そんな死神さんに先輩さんは「ふーん?」と言うと、こちらを見た。


「真尋ちゃん、ごめんね。俺そろそろ戻るね」

「あ、はい」

「って、ことだから」

「え……? あ、はい……」

「真尋ちゃん、またね」


 先輩さんは手を振ると、病室の外へと姿を消した。

 残されたのは、私と死神さんの二人だけ。

 気まずい空気をなんとかしようと口を開こうとしたけれど、気の利いた言葉が出てくることはない。自分のコミュニケーション能力のなさが嫌になる。結局なにも言えないまま、私は沈黙から逃れるように買ってきたジュースのキャップを開けた。


「きゃっ……」

「え……?」


 思った以上に動揺していたのか、ペットボトルを握りしめる手に力が入っていたようでキャップを開けた瞬間、中身が溢れ出してきた。

 私の手を伝うようにして、溢れたジュースが床に水たまりを作っていく。


「ど、どうしよう!」

「何をやってるの……」


 呆れたようにそう言うと、慌てる私の手からペットボトルを取り上げて、死神さんはかけてあったタオルで私の手を拭いた。


「っ……」


 こんな状況なのに、タオル越しに握りしめられた手の力にドキドキしてしまう。

 でも……タオル越し、だからだろうか。ほんのりとぬくもりを感じた気がしたのは。そんなわけない。そんなわけあるわけないのに。そのぬくもりが優しくて、辛かった。


「もう大丈夫だよ」

「あ……」

「ん?」

「ううん、ありがとう」


 いくら清涼飲料水とはいえジュースはジュースだ。このままだとべとついてしまうかもしれない。せっかく拭いてくれたけれど、一度洗い流さなくちゃいけないよね。

 そう思ったのだけれど……。


「あの……」

「どうしたの?」

「そ、その……手……」

「手? ……ご、ごめん!」


 私の言葉に死神さんは、手を握りしめたままだったことに気付いたようで、慌てて私の手を離すと、顔を背けた。

 私もどうしていいか分からずに、その場から動けないでいると「僕も今日はもう戻るよ」と少し上ずった声で死神さんは言った。

 死神さんは私に背中を向けて窓へと向かって歩いて行く。思わず……私は死神さんに声をかけていた。


「あ、あの……!」

「……なに?」


 振り返った死神さんはいったい何を思っているんだろう。

 フードの下で、いったいどんな表情をしているんだろう。

 いくら想像しても、考えても、その問いに答えは出ない。


「どうかした?」

「……ううん、なんでもない」

「そう。じゃあ……また明日」

「っ……! うん、また明日!」


 何気なく言った言葉なのかもしれない。でも当たり前のように言った「また明日」の言葉に、明日も死神さんが来てくれるんだと嬉しくなってしまう。

 そして死神さんは、いつものように窓の向こうに姿を消した。

 私は、死神さんの姿が見えなくなるまで窓の外を見つめた後、誰もいない病室を見回した。そう口数が多いわけじゃない死神さんだけれど、帰った後の部屋はなんだか静かで寂しくなる。


「あ……」


 さっき私の手を拭くのに、死神さんが取ってくれたタオル。それどころじゃなくて床に落ちたままになっていたことに私はようやく気付いて、それを拾い上げた。


「っ……」


 そんなわけないのに、タオル越しに触れた死神さんの手の感触がまだ残っているような気がして、それをギュッと握りしめてしまう。でも……。


「冷たい」


 こぼれたジュースを拭いたタオルは冷たくなっていた。その冷たさがやけにリアルに死神さんの手の冷たさを思い出させて、悲しくもないのになぜだか泣きなくなってしまう。

 廉君を好きだったころとは違う、胸が苦しくて切なくて泣きたくなってしまうようなこの想い。でも、あの頃と同じように、死神さんに会うと嬉しくて心臓がドキドキして、キュッとなって嬉しくなる。

 ああ、私はやっぱり死神さんのことが好きなんだ。こんなにも胸が苦しくなるぐらい、死神さんのことが――。


「好き」


 呟いたその言葉は、日の落ち始めた病室に消えていった。

 薄暗くなった病室で一人、私はその感情を何度も何度も確かめるように、死神さんの姿を思い浮かべては苦しくなる胸の痛みを感じ続けていた。

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