第16話

「また来るね」と言った言葉通り、翌日の午後、先輩さんは病室へとやってきた。あからさまに迷惑そうな声をあげる死神さんを見ると、失敗したかな……と思わなくもない。でも、私は自分の中に、新しい感情が芽生えていることに気付き始めていたから、どうしてもこれ以上、死神さんと二人きりでいるわけにはいかなかった。

 だって、そうでしょう。


「ねえ、真尋ちゃん」

「なんですか?」


 先輩さんに名前を呼ばれることはなんてことないのに。


「君があまり優しくすると、先輩がつけあがるよ」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味です」

「あはははは」


 死神さんが「君」と私を呼ぶたびに、心臓が痛いぐらいにドキドキする。先輩さんと目が合うよりも、死神さんがフード越しにこちらを見ていることに気付いた時のほうが、頬が熱くなって上手く言葉が出てこなくなる。

 こんな感情がなんていうかなんて、私でも知っている。

 でも、それ以上にこの想いが上手くいかないことも知っている。

 だから、先輩さんが来てくれて安心した。そうじゃないと、どんどん死神さんに惹かれていって泣きたくなって切なくなって……心臓が痛くなって、この気持ちを抑えきれずに「好き」の二文字が口をついて出てきてしまいそうだったから。


「真尋ちゃん?」

「あ……えっと、すみません」

「どうしたの? 疲れた?」

「先輩がうるさいからじゃないですか」

「お前、真尋ちゃんの前だと結構言うね。なに、そんなにヘタレなところ見られたくないの?」

「違いますよ!」


 二人の会話を聞いているとなんだかおかしくて笑ってしまう。


「いいなぁ」

「何がだい?」

「仲良くて」

「……そうかな」

「うん、羨ましい」


 私にもそんなふうに、気安く話しかけてくれないだろうか。……なんて、無理だよね。私はあくまで魂を取る対象で、死神さんにとって友達でもなんでもないんだし。でも、そっか……。


「君だって、仲のいい人のひとりやふた――」

「私も、死神になれば死神さんと仲良くなれるのかな」

「え……?」

「え……あ……っ!」


 思わず零れ落ちてしまった言葉に気付いて、慌てて口を押える。でも、もう遅い。吐き出してしまった言葉はしっかりと二人の耳に届いてしまったようで、死神さんは何か言いかけた言葉を途切れさせたまま固まっていた。そして、先輩さんも……。一瞬驚いたような表情を見せたあと、困ったように笑った。


「真尋ちゃんはこいつと仲良くなりたいの?」

「あ、あのそれは……」


 どうしたらいいんだろう、なんて言えばいいんだろう。

 絶対に変に思われた。もしかしたら私の奥に秘めた気持ちに気付かれてしまったかもしれない。どうしようどうしよう……。

 でも、なんて言ったらいいかわからずにいる私の頭を……先輩さんが優しく撫でた。


「え……?」

「そうだよね、こんなところにずっといたから寂しかったよね。こうやって仲良さそうに話している俺たちを見て、仲間に入りたいって思っちゃったんだよね」

「あ、あの……」

「いい子いい子。真尋ちゃんはよく頑張っているよ」

「っ……」


 先輩さんの言うことは当たっているようで違って。でも、死神さんがどこかホッとしたように息を吐きだしたのに気付いて、私は先輩さんの顔を見た。

 先輩さんは、全部分かっている。と、でも言うかのように優しく微笑むと「大丈夫だよ」とささやいた。


「ね、真尋ちゃん」

「え……?」

「俺とジュース買いに行かない?」

「ジュース、ですか……?」

「それなら、俺が……」

「お前は真尋ちゃんと一緒に、病院の中を歩けないだろう」

「っ……」


 どういう意味だろう?

 疑問に思った私に気付いたのか死神さんは「俺はもう魂を取る仕事をしていないって言ったでしょう」と言った。


「だからどこに行こうと大丈夫なんだけど、こいつは君のほかにも担当を持っているからね。もしもその人が病院の中にいたら、鉢合わせしてしまうだろう」

「そう、ですね」


 たしかに、担当されている者同士が鉢合わせしてしまえば気まずいかもしれない。なんとなく腑に落ちなかったけれど、そういうものか。と自分自身を納得させた。


「お前はどうする? ここで待ってる? それとも今日はもう戻るか?」

「待ってます」

「そう。んじゃ、ちょっと真尋ちゃんと行ってくるな」

「いってきます」

「いってらっしゃい」


 死神さんに見送られ、私は先輩さんと並んで病室を出た。


「急にごめんね」

「あ、いえ……」

「なんとなく、あの場所から離れた方がいい気がして連れ出しちゃったけれど、迷惑だったかな」

「そ、そんなこと……。ありがとうございます」


 やっぱり全部気付いていて……。さっきのも私の失言をフォローしてくれたんだとようやく気付いて「ありがとうございました」ともう一度言った。

 先輩さんは苦笑いを浮かべると私の頭をポンポンとする。


「死神を好きになるなんて、不毛だよ」

「そう、ですよね……」

「なんてね。俺も昔、経験があるからさ。なんにも言えないけど」

「え……?」


 思わず先輩さんを見上げると、困ったように笑っていた。

 先輩さんにも経験があるというのは、どういうことだろう。私と同じように死神だった誰かを好きになったと言うことだろうか、それとも……。


「魂を取らなきゃいけない担当の子を、好きになっちゃったんだ」


 そう言って、先輩さんは悲しそうな顔をして微笑んだ。


「それって……」

「って、いってももう何年も前の話だけどね。辛かったなぁ、あのときは」


 何かを思い出すように、先輩さんは遠い目をする。担当した人を好きになってしまうなんて、そんなことって……。


「それ、で……?」

「ん?」

「どう、なったんですか?」

「どうって?」

「だから、その……好きになった人とは……」


 こんな話をするぐらいだから、もしかしたら何か抜け道が――。

 でも、そんな私の淡い期待にはっきりとノーを突きつけるように、先輩さんは目を閉じると左右に首を振った。


「そんな……」

「それが俺たちの仕事だからね」

「っ……」


 そんな悲しいことがあっていいのだろうか。

 だって、大切な人の魂をその手で奪うなんて……。


「あ……」


 もしかして、だから……? だから、死神さんはあんなふうに頑なに顔を見せないようにフードを目深にかぶっているのだろうか。魂を取る対象である私と――私たち生きている人間と深く関わることのないように。だとしたら私の想いなんて、死神さんにとっては迷惑なだけなんじゃあ……。


「変な話をしてごめんね」

「そんな……」

「でも、俺みたいな想いを真尋ちゃんにはしてほしくないからさ」

「っ……」

「どんなにあいつを好きになっても、死神と人間じゃあ結ばれないよ」


 そんなことわかっている。そう言おうと思ったのに、先輩さんの顔を見ると、何も言えなくなった。だって、先輩さんは今にも泣きそうな顔で笑っていたから。

 だから私は「ごめんなさい」と、それだけ言うので精一杯だった。


「なんで謝るのさ」


 先輩さんは私の頭を優しくポンポンとすると「俺の方こそごめんね」と言うと歩き出した。


「さあ、ジュース買いに行こうか」

「あ……」

「あまり遅いと、戻った時にあいつに文句言われかねないからね」

「そうですね」


 先輩さんの隣に並ぶと歩き始めた。

 面白おかしく話をしてくれる先輩さんに、笑って相槌を打つ。けれど、私は上手く笑えているだろうか。

 あんな話を聞いたのに、それでも死神さんに会いたいと思ってしまうこの感情をどうしたらいいんだろう。私は先輩さんの隣を歩きながら、貼りつけたような笑顔の下でそんなことばかり考えていた。

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