第4話

 死神さんの気が変わらないうちに、と私は決行日を翌々日に決めた。なぜ翌々日だったかというと、ちょうどその日は土曜日で、看護師さんの数が少なくなり見回りに来る回数が減ることを知っていたからだった。

 お昼ご飯を食べて、回収に来た看護師さんにトレイを渡してから、私は私服に着替えた。


「入院中なのに私服なんて持ってたんだね」


 用意周到な私に、呆れたような声で死神さんは言う。きっと、パジャマで出かけるつもりなのかい? とか言って今日のデートを諦めさせるつもりだったに違いない。


「パジャマで出かけるのかい? って、尋ねるつもりだったんだけど……」


 ほら、やっぱり。

 想像通りの言葉に笑った私を、死神さんは小首をかしげるようにして「何か変なこと言ったかな?」と尋ねた。


「ううん、なんでもない。これはね、気分のいい日に外を散歩することがあるんだけど、そのときにパジャマじゃあいかにも病人! って感じじゃない? まあ、病人なんだけど。だから、何着か入院用の荷物に私服を入れてあるの」

「散歩……」

「あ、言っておくけどそっちはちゃんと看護師さんの許可を取っているからね!」

「…………」


 小さく首を振ると「あまり無理しすぎないようにね」とまるで看護師さんのようなことを死神さんは言う。そういえば――今よりももっと小さな頃もこんなふうに言われたことがあったのを思い出した。あの頃は、今よりももっと具合が悪くて、それこそ外に出ることすら許されていなかったから、たまの外出は看護師さんに見つからないようにとドキドキハラハラの大冒険だった。

 そんな私に付き合っていつも一緒に冒険してくれた男の子がいた。あの子は元気にしているかな?

 私と同じ時期に入院したのに、私より早く退院してそれっきり会っていない。でも、それも仕方がないのかもしれない。私が人より長くいるせいでたくさんの子たちが退院していくのを見送ってきた。

 みんなそのときは「元気でね」「また会おうね」「お見舞いに来るよ」なんて言うけれど、だれ一人として来ることはなかった。それもそうだろう。みんな、闘病で苦しんだ場所になんて戻ってきたくないだろうし、それに来たところで私が生きている保証なんてないんだもの。そりゃあ来にくくても仕方がない。

 そう、仕方がないのだ。だから、別に寂しくなんて、ない。


「どうしたの?」

「え?」

「なんだか、辛そうな顔をしていたから」

「そんなことないよ。ほら、時間ないし行こう!」


 私は、帽子をかぶると病室の外に出た。ここからは堂々と歩いて他のお見舞いに来た人たちに紛れ込む方が見つからないということを、今までの経験から私は知っていた。不思議なことにコソコソしているときのほうが、逆に看護師さんたちのチェックに引っかかってしまうのだ。

 私は何食わぬ顔をして詰所の前を通り抜けると、ちょうど止まっていたエレベーターに乗って、慌てて閉めるボタンを押した。

 閉まる直前、詰所の中から看護師さんがこちらに向かって来ようとしているのが見えた気がしたけれど、私は気付かないふりをしたまま閉めるボタンを連打した。

 その甲斐あってか、遠くに見えた看護師さんとこちらを遮るように、エレベーターの扉はギギギっと音を立ててしまった。


「よしっ! セーフ!」

「見つからなかったね」

「でしょ? あとは外来で込み合っているはずの一階を通り抜ければ、誰かにとがめられることなく外に出られるわ」

「君の、行動力は凄いね」


 一瞬、嫌味なのかと思ったけれど、どうやら死神さんは純粋に感心しているようだった。だから、私も「まあね」と言うと足早に、でも決して駆け足にならないようにロビーを通り抜けた。

 外に繋がる自動ドアを出ると、私はいつの間にか止めていた息を吐きだした。

 本当は私もここまで上手くいくとは思っていなかった。詰所から看護師さんが出てくるかも知れなかったし、外来がいつもより早く終わっていれば人通りのないロビーを歩いていれば見つかっただろう。でも、詰所から出てきた看護師さんに気付かれることはなかったし、診察時間を過ぎてもまだまだたくさんの人が診察を待っていた。おかげで私は、誰に気付かれることなく病院を抜け出ることができた。できてしまった。


「……でしょ? それじゃあ、行こっか」

「……どこに行くんだい?」

「そんなに遠くには行けないと思うのよね。だから、ちゃんと調べておいたの」


 私はスマホのマップ機能で近くのゲームセンターを表示させた。いろいろ行きたいところはあったけれど、遊園地は乗り物に乗れないし、映画は時間がかかり過ぎちゃう。そもそも売店ぐらいにしか行かない私は、そこまでお金を持っていないのだ。

 それに……ずっと憧れていた。漫画の中で女の子が学校帰り、好きな男の子と二人でゲームセンターへと行く放課後デートのシーンに。


「そう。じゃあ、行こうか」


 死神さんは手を差し出すとそう言った。

 私は一瞬、意味が分からなくてきょとんとしてしまう。

 そんな私の手を取ると死神さんはギュッと握りしめた。


「デート、なんでしょう?」

「死神さん……!」

「いっとくけど、僕の姿は周りから見えないからね。だから僕の手を振りまわしたりなんかしたら一人ではしゃぎながら手を振りまわしている怪しい人だって思われるよ」

「それでもいいから試してみてもいい?」

「ダメ。なら、手を離す」

「えええー! じゃあ、しないから! ね?」


 パッと離した死神さんの手を慌てて掴むと「仕方ないなぁ」と呆れたように言った。

 でも、繋いだ手を握り返してくれるから、本当は優しい人なんだと思う。優しい死神って……。なんて思うとちょっとおかしくなって、でも必死に笑いをこらえると、私はコホンと咳払いをして、それから死神さんのほうを向いた。


「ありがとう」


 温度の感じない冷たい手を握りしめながらそう言うと「別に」とだけ言って死神さんは歩きはじめる。

 そんな死神さんの隣を私も歩く。ゆっくりと、歩調を合わせながら、二人で。

 久しぶりの外は土の匂いとほんの少し肌寒い風が心地よかった。

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