7 再接触
「
「現れないのが一番ですよ」
「さっき入っていたのは同級生の子達だっけ?」
「黒いパーカーの
「噂には聞いてたけど、あの子が檜葉君の。確かにどことなく似ているわね」
直接顔を合わせた者は少ないが、檜葉の口から名前が出ることが多いので、契一郎の存在自体を知る同僚は多い。
「あの二人、志藤さんを助けるために毒島達に向かって行ったんでしょう? 警察官の立場としてはあまり危険を冒してもらいたくはないけど、個人的にはそういう正義感は嫌いじゃないな」
「僕も同感です」
勇敢な若者に二人が感心している矢先、志藤家の周辺に不穏な変化が訪れようとしていた。
「貴瀬君、あれ」
最初に気が付いたのは皆月だった。車両から数メートル先のカーブミラーに、白いパーカーに黒いキャップ、マスク着用の不審な男の姿が映っていたのだ。本人の姿は塀が死角になっており直視出来ず、ミラー越しにしかその様子を捉えることは出来ない。
「毒島ですかね?」
「はっきりとは分からないけど、あの場に留まっているのは気になるわね」
近隣住民が通りかかっただけならばともかく、パーカー男は一向にその場を動こうとはしない。あの位置ならば志藤家の様子を伺うことも可能なので、見方によっては状況を観察しているとも考えられる。
「僕が様子を見てきます」
「一人じゃ危険よ」
「だからといって、志藤さん達から目を離すわけにもいかないでしょう」
「分かったわ」
渋々ながらも皆月は頷いた。貴瀬は優秀な警察官だ。不意を突かれるならばともかく、始めから相手を疑ってかかる状況で遅れを取ることはないだろう。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
警察手帳を開き、貴瀬がパーカーの男へと声をかける。男の顔はキャップとマスクのせいではっきりとは分からないが、目つきや背格好は情報にある毒島とよく似ている。
「ここで何をされていたんですか?」
「いえね、あちらのお宅が気になりまして」
不敵な笑みを浮かべるパーカー男が指し示したのは志藤家だった。男の大胆な行動を前にして、貴瀬の疑心は徐々に確信へと変わっていく。
「毒島か?」
「はい」
パーカーのフードとキャップを脱ぎ捨てたその顔は、資料にあった
「毒島、お前には四件の誘拐および昨日の誘拐未遂の容疑がかけられている。署まで同行願おうか?」
「嫌だね」
瞬間、毒島はポケットから何かを取り出す仕草を見せた。
「無駄な抵抗は」
毒島に手をかけようとした瞬間、貴瀬の鼻腔内に不意に甘い香りが充満する。この世のものとは思えない香り。それを知覚した瞬間、貴瀬の視界が急激に揺らぎ、強烈な眠気が一気に押し寄せる。
「毒島……」
倒れ込んだ貴瀬は毒島を逃すまいと必死に毒島のズボンの裾に縋ったが、数秒で完全に意識を失い、握力も失われてしまった。
「マッドガッサー特製の催眠ガスだ。しばらく寝てな、お巡りさん」
小馬鹿にするように毒島は高笑いを上げる。使用したのはマッドガッサーの精製したガスを注入した特製の携帯スプレーだ。貴瀬がこちらに向かってくるのが見えた時点で周辺に撒いておいた。直接相手に噴射せずとも、充満する気体を直接吸い込んだだけで意識を奪い去る威力を持つ。
この強大な力に毒島は強い興奮を覚えていた。今の自分の前では、鍛え抜かれた警察官すらも無力なのだから。
「貴瀬君!」
異変を察した皆月が車から飛び出したが、それは早計だった。
車から出た瞬間、皆月は後ろから強烈な力で羽交い絞めにされる。
必死に振り解こうとする皆月の視界に映ったのは、ガスマスクを付けた巨躯の怪人であった。
「毒島の共犯者!」
皆月がその正体を察した瞬間、マッドガッサーはコートの隙間から得物である噴霧器を取り出し、催眠ガスを発生させた。
「逃げ……て……」
叫ぶことすらも叶わない。意識を失う直前に皆月が目にしたのは、志藤家へと向かうマッドガッサーの後ろ姿だった。
「ちょっと出てくるね」
インターホンが鳴り、世里花は玄関へと向かう。宅配便か回覧板か、定期的な状況確認に警察官が顔を出したのかもしれない。警察の護衛という絶対的な安心感が警戒心を緩めていた。
「うそ……」
扉の先に立っていたパーカー男とその後ろに佇むガスマスクの怪人の姿を目にし、世里花の表情は恐怖に凍り付いた。
昨日自分を誘拐しようとした男が目の前にいる。護衛の警察の人達は無事なのか、何故家の場所がばれているのか、様々な疑問が湧いては消えていく。
家の中に逃げなくてはいけないのに、恐怖に足が竦み、体を思うように動かせない。
「一緒に来てもらう」
毒島は邪悪な笑みを作り、マッドガッサーの手が世里花へと伸ばされるが、怪人の魔手は寸前のところで食い止められた。
「お引き取り願おうか!」
尋がリビングから玄関まで一直線に掛け、勢いそのままに突進。マッドガッサーごと毒島を家の敷地外まで突き飛ばした。
「大丈夫か、世里花」
世里花は涙目で小刻みに震えていた。昨日の今日だ、そのショックは計り知れないだろう。
「契一郎と一緒に家の奥にいろ」
半ば強引に世里花を家の中へと押し込み、玄関の扉を閉める。
「またお前か」
上体を起こしつつ、毒島が吐き捨てる。
「それはこっちの台詞だ」
間髪入れずに尋は毒島に殴りかかるが、俊敏な動きで間に割って入ったマッドガッサーの拳を受け止められる。
「やっぱり、お前から倒さないと駄目みたいだな」
この場でケリをつけようと尋の闘志は昂るが、相手はそれを望んではいなかった。
「退くぞマッドガッサー。あの子をさらえないなら長居は無用だ」
忠実な怪人は、命令を受けた瞬間に公園の時と同種の煙幕を周囲に撒き散らす。
「逃がすか」
尋はマッドガッサーのシルエットに掴みかかるが、伸ばした手は影をすり抜け虚空を切る。
「くそっ、外した」
「騙されるなんて馬鹿だね」
挑発的な毒島の声。どれだけ自己顕示欲が強いのか、毒島という男は黙って立ち去るという真似は出来ないらしい。
「お前のせいで興ざめだ。仕方が無いから今日は早く帰って、これまでにさらった女たちに楽しませてもらうことにするよ」
「ふざけるな、誘拐した人達を解放しろ!」
尋の訴えに応えることなく、毒島の気配は煙幕と共に消えつつある。だが、相手を何度も逃がすほど尋は甘い男ではない。
「尋、大丈夫かい?」
家の中で世里花の安全を確保していた契一郎が、毒島の退却を察して玄関から顔を覗かせた。
「契一郎、俺は奴らを追うから、この場はお前に任せた」
「それなら僕も」
言いかけて契一郎は言葉を飲み込んだ。煙幕が晴れたことで、道路上へと横たわる二人の刑事の姿を確認したためだ。彼らを放っておくことは出来ない。
「刑事さんや世里花のこと、頼んだぞ」
「任せれたよ。それと忘れ物だ」
契一郎から投げ渡されたショルダーバックをキャッチすると、尋はマッドガッサーの気配を追って駈け出した。
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