8 大烏 -レイブン-

「廃工場地帯か」


 一心不乱にマッドガッサーの気配を追い、じん夜光やこう市郊外の廃工場地帯までやって来ていた。

 ファントム独特の禍々しい気配は、時には常人にも悪寒という形で現れる程に強い。尋のように直接ファントムと戦うことの出来る人間だと、少し離れた場所からでも気配を感じ取ることが出来る。昨日は初見だったので気配を覚えるまでには至らなかったが、先程の接触で尋は完全にマッドガッサーの気配を体に刻み込んだ。もう逃がすことはない。


「動きが止まった」


 相手との距離はおそらく二百メートル程。だとすれば毒島ぶすじま達が潜んでいるのは、この先の廃工場のいずれかの建物で確定だろう。

 廃工場地帯は広大なため、ある程度は建物にあたりをつけなくては調べるのに時間がかかってしまう。ここは大人の力を借りるべき状況だと考え、尋はスマートホンを取り出す。


優典まさのりさん、俺です」

『尋か、状況は契一郎から聞いている。済まない、毒島を急ぎ確保するつもりが、後手に回ってしまった』

「その毒島のことなんですけど、郊外の廃工場地帯に毒島が潜伏していそうな建物とかありませんかね?」

『ちょっと待ってろ』


 三十秒ほど間を置き、檜葉ひばの声が電話口に戻った。


『資料によると、毒島の祖父が所有している倉庫が線路沿いに一軒存在する。今から地図を送るが、比較的新しい建物のようだから一目で分かるはずだ』

「助かります」

『準備が整い次第俺達も向かう。無茶はするなよ?』

「死なない程度の無茶にしておきますよ」

『良い覚悟だ。断言したからには死ぬなよ』

「了解です」


 通話を終えると、尋はショルダーバックに忍ばせていた物に手を触れた。これがあれば正体を隠しつつ、マッドガッサーにも万全の態勢で挑める。

 これから始まる戦いに備えて無造作にショルダーバックを投げ捨て、尋は廃工場地帯に踏み入った。


 ※※※


 線路沿いの白い倉庫の中に五人の人影があった。


「さてさて、どうしてくれようかな」


 ねっとりとした笑みを浮かべて毒島は見定めを行う。毒島の側には鎖や手錠で拘束された女性達が転がされている。毒島により誘拐された被害者達だ。


「ふざけないでください!」


 反論する気力も体力もすでに失われた他の三人の女性達とは対照的に、ロングヘアーの少女は気丈にも毒島に食って掛かかった。志藤しどう世里花せりかの友人である瑞原みずはら真由まゆだ。

 誘拐から日が浅く体力が残っていたことに加え、彼女自身の勇敢さがそうさせていた。最後まで犯人に抗い続けようとする強い意志が、真由の瞳には宿っている。


「良いね。君みたいな強気な子は好きだよ。よし、君に決めた」

「痛っ」


 毒島は悪魔のような思考を巡らせ、両手両足を拘束された真由の髪を無理やり引っ張り、強制的に立ち上がらせた。


「な、何をする気?」

「僕さ、一度でいいから人が死ぬところを目の前で見てみたかったんだ。誘拐も楽しいけど、少し飽きてきちゃってね」


 強気を貫いていた真由の顔が青ざめる。今自分が連れ込まれそうになっている一室には、実行犯の一人であるガスマスクの大男が待機していた。


「気づいたみたいだね。あいつが処刑人さ」


 無邪気な子供の用に、毒島が白い歯を覗かせる。


「これまでは催眠ガスしか使って来なかったけど、やっぱりそれだけじゃつまらない」

「止めて、離して!」


 体を揺らして必死に抵抗を試みるが、細身な女子高生が手足を拘束された状態で大の男に敵うはずもない。体は無情にも処刑室の扉へと近づいてく。


「安心しなよ。そう遠くない内に君の友達も送ってあげるから」

「まさか世里花を?」

「君をつけている最中にたまたま目に留まってね。彼女は僕の好みにドンピシャだ。たっぷり可愛がった後で、殺すことで二度楽しませてもらうよ」

「ふざけないで、世里花に手を出したら絶対に許さないんだから!」


 涙交じりに暴れるが、毒島はまったく動じない。


「まずは自分の心配をした方がいいんじゃないかい? これから君は、恐怖に顔を歪ませながら死んでいくんだから」 


 死が迫っているという恐怖はもちろんだが、何よりも親友に会えなくなってしまうと思うと、悲しみから大粒の涙が溢れてくる。


「誰か、助けて……」

 

 真由の口から、自然と救済の願いが発せられた。


「期待するだけ無駄だよ。倉庫の存在は直に警察にも知れるだろうが、少なくとも今すぐにということはない。つまり、君の迎える結末は何ら変わりないということだ」

『それはどうかな!』


 唐突に倉庫内へと響く第三者の声。その声には感情こそこもっているが、加工が施されており機械的な印象を与える。


「誰だ!」


 毒島が警戒心を露わに周辺を見回すと、二階部分の天窓が開いており、その先には黒いパーカーを被った男が佇んでいた。

 毒島と男の視線が交錯した瞬間、男は悠然と天窓から飛び降り、一階へと降り立つ。


「何者だお前は?」


 マッドガッサーを伴う毒島をも困惑させる存在感を男は放っていた。服装こそダークグレーのスラックスに黒いパーカーというシンプルなものだが、何よりも目を引いたのは男の顔だ。

 男は、十七、十八世紀頃に存在していたペスト医師が着用していたという、ペストマスクを模した仮面を身に着けていた。大きな黒いくちばしのようなデザインはからすの頭部にも似ており、全体的なシルエットは、人の身に烏の頭部を有した怪人のようにも映る。


『女性達を解放しろ』


 毒島の問いには答えず、仮面の男は無機質な音声で告げる。


「質問に答えろ、お前は何者だ?」

『正義の味方』


 その言葉は、毒島の怒りの沸点を超えさせるには十分だった。


「やれ、マッドガッサー!」


 毒島の一声でマッドガッサーが処刑室から飛び出し、仮面の男に迫る。


『馬鹿の一つ覚えみたいに突進とは、底が知れるな』


 仮面の男は軽快なサイドステップでマッドガッサーの攻撃をかわし、マッドガッサーが身を翻そうとした瞬間に強烈な回し蹴りを頭部へと叩き込んだ。

 マッドガッサーの首は不自然な角度へと曲がり、蹴り飛ばされた勢いで壁際に山積みとなった段ボール箱へとその巨体を沈めた。


「立ち上がれマッドガッサー! お前の力はこんな――」


 言い切るのは待たずして、仮面の男は毒島の顔面を思いっきり殴りつけた。


「痛い! 痛い! 痛い!」


 鼻血を滴らせ、毒島は痛みに悶絶しもがく。


『痛いじゃねえよ。てめえの犯した罪を考えろ!』

「やめ――」


 駄目押しにもう一発叩き込んでやると、毒島は完全に意識を失った。しばらくは目を覚まさないだろうが、念のため近くに落ちていたロープ(毒島が女性の拘束に使っていた物の余り)で縛りあげ、動きを完全に封じておく。


『しばらくそこで寝てろ』


 騒がしい口を黙らせたところで、仮面の男は床に倒れたまま唖然としていた真由の拘束を解いてやり、片膝立ちで目線を合わせる。


『大丈夫だったか?』

「は、はい」


 ペストマスクと機械的な音声というインパクトに少し気圧されながらも、真由は不思議と仮面の男に恐怖を感じてはいなかった。自分達を助けに来てくれた人物であることは紛れもない事実だ。


『動けるか?』

「大丈夫です」


 しばらく拘束されていたのでやや体が動かしにくい感覚があったが、動き回るのに支障が出る程ではなかった。


『だったら一つ頼まれて欲しい。間もなく警察がやってくるはずだから、君には警察をこの建物まで誘導してほしい。人手が増えれば、他の女性達もここから救い出せる』

「あなたはどうするんですか?」

『俺にはまだやることが残っている』


 立ち上がった仮面の男は、マッドガッサーを吹き飛ばした場所へと視線を移す。


「あれって……」


 常識離れした光景がそこにはあった。立ち上がったマッドガッサーが、人間なら死んでいてもおかしくはない角度へと曲がった首を、自らの手で無理やり真っ直ぐに矯正したのだ。まるで首を鳴らすかのようにいとも簡単に。


『俺はあいつの相手をするから、君は早く行って』

「あなたはいったい?」

『レイブンと呼ばれている者だ』

「それって都市伝説の」


 夜光市でまことしやかに囁かれる仮面の男。日夜異形の怪物と戦い続けているとされる謎の存在。空想の産物だと思われてたヒーロー。それらが全て事実であったのだと受け入れることは、今の状況では決して難しくはなかった。


『さあ、早く行って!」


 レイブンは最後にそう言い残すと、体勢を立て直したマッドガッサーへと強烈な体当たりを叩き込む。勢いそのままに倉庫の壁をも突き破り、マッドガッサーを倉庫の敷地外へと押しやった。ガスを操るマッドガッサーの攻撃範囲は広い。可能な限り真由や他の女性達から遠ざけなければいけない。


「私も出来ることをしなくちゃ」


 少しふらつきながらも真由はしっかりと自分の足で立ち上がり、微かに聞こえて来たサイレンの音を頼りに警察の車両を探す。


 他の女性達と共に、帰るべき場所へと戻るために。

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